2007年7月10日火曜日

論文作法 — 調査・研究・執筆の技術と手順

大学は卒業にあたり論文を必要とするものと思っていたのですが、学部によっては、あるいは大学によっては必要なかったりするみたいですね。けど、可能であらば論文は書いたほうがいいと思っています。たとえそれができの悪いものであっても、一度は経験しておいたほうがいいものだと思うのです。ひとつのテーマに取り組んで、あれやこれやと頭悩ました結果を文章に落としていく。こうした一連の作業を通して、頭の中にもやもやと立ちこめる思いや疑念、疑問、迷い、情念、思いつきからひらめきまでを整理し、明確な輪郭を持つ論にまとめる術を学ぶことができる。まあ、論だなんて大げさなこといわなくてもですね、自分の思っているところを誰かに伝えるための方法が学べるわけで、こうした技法はですよ、その後の人生で一度も論文書くことがないとしても、無駄にはならないと思うんです。実際私は論文書いて、得るところが大いにあったと思っています。だから私は大学にいっといてよかったなあって、本心から思うのです。

大学では論文を書くにあたり、ゼミ(ゼミナール、最近はセミナーっていうの?)においてその方法をみっちりと仕込まれるのが普通です。少なくとも私の大学、専攻においてはそうでした。論文を書くための指南書というか、テキストを講読しながら、その実際的な方法を学んでいくんです。またこのテキストを読むこと自体もひとつの訓練で、資料をあるいは著者のいわんとするところをよく把握しまとめる力をつける、そうした練習にもなっているのです。

大学の三年のゼミ、採用された指南書はふたつありました。ひとつは『音楽の文章術』、非常に実際的な手続きをよく説明する良書です。そしてもうひとつはウンベルト・エーコの『論文作法』。論文を書くとはどういうことかといった心がけから資料の集め方、整理法、そして実際に書くという作業について。丁寧な筆致で例も豊富に説明する、これもまた良書であったと思います。『音楽の文章術』みたいに、ツールとしての便利さがあるわけではないのですが、けれど論文を書くということ、つまりは研究するという姿勢において大切なことに触れるような、そんなところのある本でした。ちょっと情緒的かも知れない、例えばが多すぎる、くだくだしいと感じるところもあったりしたけれど、けれどそうした部分も含めて読んで面白かった。論文というものは大げさな新説をぶち上げるのが本筋じゃないんだよといってくれてるようで、先もわからず不安だった私たち学生に、頑張ろうという気持ちを沸き立たせるようなところのある本でした。

でも、私はそれでも誤ったんですよね。エーコが例として出したアドルフ・アッピアに取り組む学生の話。歴史家や理論家によって多量に研究され尽くされている、もはや何もいうべき新しいことはないように思われるテーマを選択した学位志願者が、研究の結果アッピアの書き物[中略]や、アッピアに関する書き物について文献表を作成することに成功した、という逸話を曲解して、詳細な調べ勉強さえすればいいという間違ったやり方を選択した揚げ句、読んでいてつまらないと評される論文(ともいえない代物)をでっち上げるにいたったのです。あれは失敗でした。態度がすでに間違っていた。自分がその対象についてどう取り組みたいかという、それさえもなかった。だから私にとってあの作文は悔いです。けれどその悔いがあったからこそ、次に私はまっすぐに対象に向かう勇気を奮うことができたんだと思います。少しはましな論文を書けたという実感を持てて、そうして私は前に進むことができるようになったのだと、そしてエーコがこの本においていっていた本当のことを、目をそらすことなく正しく受け取れるようになったのだと思います。

多分、この本はまだなんもよくわかっていない学生の頃に読むよりも、ある程度いろいろが見えてきてから読んだほうが面白いんだと思います。けどあくまでも論文を書くための本ですから、論文を書かなくなった今あえて読もうという気にもなりにくく、ですがそれでもいつでも手の届くところに置かれている。なんだかちょっと特別な本みたいじゃないですか。いや、実際に私にとっては特別な本であるのだと思います。

引用

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