2007年7月30日月曜日

手塚治虫「戦争漫画」傑作選

 私はもちろん戦後の生まれで、安穏と平和に浸って育ってきたものだから、戦争の本当のところはわかりません。これは父にしても母にしても同じようで、二人とも戦中生まれですが、物心ついた頃には戦後です。それはそれなりに苦労もあった時代とは思いますが、けれど戦争の苦難、悲哀のようなものは聞いたことがなくて、だからやっぱり父母にしても戦争を実感するように思うことはないでしょう。そういえば、以前たまたま駅で出会って話した女性が、大阪の空襲のこと話してくれました。工場に動員された少女時代。大阪は丸焼けになって、瓦もオレンジ色に変わるほどの火勢、焼け野原あちこちに死体が転がっていたといいます。いつ死んでもかまわないという捨て鉢の毎日で、けれど生きるのに必死だった。食べられるものはなんでも食べて、けれどこうしたことは実際に体験した人でないとわかってもらえん。戦争を経験しても空襲を知らない京都の人には、わかってもらえないのだとおっしゃってました。なら、空襲も戦争も、どこか遠くのできごとのように感じる私たちの年代はいかなるものでありましょう。きっとわかるまい。口ではわかった風にいうけれど、本当に理解することなどできっこないのだと思います。

手塚治虫が書いた戦争漫画が新書で出ています。ぱらぱらとページめくってみたら読んだことあるのもいくつかあったけど、なぜだかそのままにしておけないような気持ちがざわざわとざわついたものだから、購入、帰りの車内で没頭するように読みました。そして今更ながら手塚治虫の語る力にほとほと圧倒されて、この人の漫画はやさしくて、言葉の運びも美しいのに、どっしりとのしかかるほどに重いです。こと戦争ものとなるとその実感は普段以上で、痛ましさはいうまでもなく、無力感や絶望めいたやるせなさがコマの端々に顔をのぞかせて、救いがないとはいわないけれど、でも救われないものも多すぎたというように思います。これらはどこまでが手塚の体験で、どこからが手塚の創作であるのか、読んでる私としては判断のつけようもないのですが、けれど読んで感じることは、それらはきっと実体験の反映であるということです。手塚はあの戦争を、餓えや空襲に苦しめられながら、自由の制限されるというかたちで経験したのでしょう。それこそいっぱいいやなことも舐めてきたに違いなく、夢や希望が潰えるのを見て、人間の悪いところがあらわになるところも見て、それで戦争という人がおこしたものに、抑えようもない怒りを感じていたのだろうと思います。

『紙の砦』で、主人公は米兵を前に一度は怒りを炸裂させながら、けれど兵士という個人に対しその怒りをぶつけることはできなかった。それは臆したからではなく、リンチの末に殺された兵士を目の当たりにして、思うところがあったのでしょう。爆弾を落としたそいつが悪いのか。戦争に巻き込まれ翻弄されるなか、人間性を失って憎み合い殺し合うという現実が、おそらくは手塚にとって到底耐えられるものではなかったのだと思うのです。だから手塚は、戦争に取り巻かれるままに残虐性を満足させたものを断罪しながら、一方では軍という組織を離れ人間性を回復させる将官なども描いたのでしょう。

手塚の戦争ものは、内地における暮らしものにこそリアリティが感じられると思えて、それは漫画に描かれたできごとが手塚の実体験であるかのように迫るからかも知れません。かつて身のそばにあったものが永遠に失われるという、深い深い喪失の体験。戦後のどさくさを描く『すきっ腹のブルース』なんかはむしろユーモラスであるのだけど、愛に恋に焦がれながらも意地汚く食に執着する主人公、彼が本当に餓えていたものというのはなんなのかと考えると、胸が詰まる思いがします。

そういえば、野坂昭如なんかもいっていました。戦時中の記憶は餓え一色だったと。激しい餓えとともに青春を過ごした彼らにとって、餓えとは単に食えなかったということではなかったのかも知れません。戦後、なんとか食えるようになったとしても、餓えがまとわりついて離れなかった。餓えの記憶に、体感に、食だけにとどまらない思いが渦巻いているのかも知れないと、そう思いながらも私には結局その想像の向こうに広がる現実の苛酷を知ることはなく、だから本当の意味でわかることなどできなくて — 、ただこうして思いをはせるのが精一杯なのかと思います。

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