2007年7月11日水曜日

人体模型の夜

  中島らもは、私の読書体験において決して抜くことのできない作家で、いや、作家っていうのとはちょっと違うかな? っていうのは、私にとっての初中島らもは新聞連載のコラムであって、その名も『明るい悩み相談室』。読者からの相談を受けて中島らもが答える。けどその相談がちょっと普通と違って、ほら、普通新聞とかの身の上相談って、誰にもあり得そうなことを取り上げるでしょう? でも『明るい悩み相談室』は違う。こんなので悩んでんのいったい日本に何人いるものだか、下手したらこの人だけじゃないのみたいなのが続々出てきて、そうした特異な悩みを解決すべく答える中島らもの文章もふるっていて、面白かったなあ。茶化してるんじゃないんです、わりと真面目なんですよ。でもその真面目の軸が普通からかけ離れていて、目からうろこ的体験があって、常識を疑ってみるというのはこんなにも楽しいことなんだと教えてくれたのは中島らもでした。と、こんな具合に面白い中島らもがその後小説書くようになって、私もいくつか読んでいるのですが、今日はそんな中から『人体模型の夜』を取り上げたいと思います。

『人体模型の夜』、なんか珍妙なタイトル、けれど私はこのタイトルすごく好きで、忘れられない小説のタイトルを挙げろといわれたら、きっと候補にあがります。それくらいに好き。そしてその内容についても忘れられないものがあって、ときに、例えばラーメン屋に入ったときなどに思い出す。なんかね、身体的な部分、触覚嗅覚といった感覚に訴えるところのある小説だからだと思います。

身体に訴えるというのは、まあ当たり前なんですけどね。っていうのは、この小説、身体の部位をテーマにした短編が十二編たばねられたもので、そうした特質もあってか体感的に残る感触がある。妙な気色の悪さ、ぞっとする怖さというより、うえっとくるおぞましさ。基本的には怪奇譚なんですが、ホラーと思わせて現実的なところに落とされる話が多いというのも特徴かも知れません。実際にもありそうと感じた話が、ことさら私の記憶に残ったってだけなのかも知れませんけれど。

今回、最初に『明るい悩み相談室』に触れたのは、胃袋に関する短編が、明らかに『明るい悩み相談室』に寄せられたケースをもとにしているからでした。冗談めかした相談も多いこの連載において、シリアス味もないではない相談で、そのせいか私の記憶にも引っかかって忘れられないものとなったのですが、もしかしたらそれは中島らもにとってもそうだったのかも知れないですね。その時の中島らもの答えは、この短編においてもあらわれているんだけど、けれどそれは通過点に過ぎなくて、より深みに向かって落ち込んでいくような嫌な感じのある短編に仕上がっています。ちょっと終わりに向かって焦り気味という感もないではないけれど、その切迫感のせいもあって、がつがつとラストに向かおうという気持ちが強くなって、そして小気味のいい落ち。ああいいひねりだなって思いましたとも。あの悩みを受けて、数年寝かした結果がこういうかたちに落ち着いたのかと思った。私の子供の頃の引っ掛かりがいい感じにいなされた、そんな風に感じたのでした。

もしかしたらこの短編に限らず他のものにしても、なんらかの原体験のようなものがあるのかも知れないですね。なにか引っ掛かりやわだかまりのようなものがあって、それが小説というかたちをなして満足させられた。そんな感じがしています。けれどその小説は、読んだものに新たなわだかまりや引っ掛かりを残して、それが例えば私がラーメン屋でふと思い出すといったような話。かくしてわだかまりは連鎖して、そのわだかまる感じを決着させたいのか逆なのか、ざわつく気持ちに押されるように読みたくなることもある、そんな一冊です。

戯曲

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