2007年7月8日日曜日

棺担ぎのクロ。 — 懐中旅話

  こいつはなんだかぶってやがんなあ、『棺担ぎのクロ。』の連載が始まった頃、私はそんな風に思っていて、それは別に嫌いってわけじゃない。ただ、あんまりに見慣れた四コマの雰囲気とは違っていたから、少し距離を置いて様子を見ていたのでした。確かに、すごくぶっている漫画。ファンタジー色を持つ四コマはきらら系列にはたくさんあるけれど、『棺担ぎのクロ。』は飛び抜けて濃厚にファンタジーで、いやむしろメルヘンくさいといったほうがいいのかも。日本漫画の柔らかさに、ヨーロッパ的重さ固さが同居するような手応えがあって、けれど私はヨーロッパに幻想を見たいと思っているような人間だから、ことさら意地悪な見方をしようとしていたのかも知れませんね。けどさ、読んでたらわかります。この漫画は、ヨーロッパ的味付けをほどこされながら、ヨーロッパではないんです。そこにあるのは、もしかしたら私も育ってきた環境の、有り体にいえば八十年代から九十年代にかけて醸成された、日本におけるヨーロッパ的なるもの。私もすごく好きな空気。だってそこで育ってきたんだもの。けれどそれゆえにかたくなだった。だからかたくなさが抜けてしまえば、後はもう一緒に踊るしかないじゃないですか!

にしても、このきゆづきさとこという人は希有であると思います。この人の描く漫画は、絶妙のバランスによって成立していると思うのです。それは例えば、微妙に理屈っぽかったり、微妙に説明的だったりするところを、それと感じさせないぎりぎりに収めて、けれどそれで突き放したようにもしないというバランス感覚。あるいは独自の色彩や、かなり作り込んだ世界観を、独りよがりにならないように押さえ込みながら、けれど確固たる立ち位置を確保して、決して他に紛れさせることのない — 、そういうバランス感覚。他人の色に染まらない、自分自身の色を持っているってことをほかならぬ自分自身が一番よく知っているというそんな感じがするのです。

けれどそれは孤高ってわけじゃない。歩み寄りもすれば、一緒に踊りもするという柔軟さがある。それは下手をすれば敷居を高くしかねない独自の世界を親しみやすいものに変え、どうぞお上がりといった人懐こさでもてなしてくれるようだといったらどうでしょう。ええ、私は最初そのチャーミングさに気付かず、いや気付いていたからこそかな、遠巻きにしてしまったわけです。けど、一度その世界に踏み込んでみたら、やあこれはすごく素敵な舞台じゃないかと、やんや喝采を送るひとりになってしまっているんですね。

上にいったような感じ、『棺担ぎのクロ。』に実によく現れた特徴だと思うのです。一見すごく独自かもしれない、けれどその実、読者とも共有できる感覚がたくさん盛り込まれているものだから、親しみやすくそしてチャーミング。けど、そうした特性を決して表立って喧伝するようなところがないから、読んでみないとわからない、けど読めばわかる、そして一旦それとわかれば、このうえもなく大切なものになるんですよ。この漫画を、そして作者を介して広がる世界に、私も愛した時間や空気がちりばめられている。だから、まるで宝探し。自分にとって大切なものが見つかれば、それだけこの漫画がかけがえのないものに変わっていくような気がして、ええ、なんか言葉交わすこともなく深まりあう友情みたいな感じなんだと思います。

今日は蛇足はなし。かわりに主人公クロについて。上に書いてきたこの漫画に関する感触は、そのままクロに通じるところがあると、そんな風に思います。一見とっつきにくいんだけど、よくよく近寄ってみれば、人懐こさもあってそれになによりチャーミングだ! けどそれは迎合してるとかじゃなくってね、あくまで自分独自のカラーがあるから、決して他人には染まらないのさ。なんか、ちゃんとした個人が確立されてるって感じがあってさ、あんたは私とは違う、けれどもしかしたら大切に感じるなにかは同じなのかも知れないよって、そんな感じのわかりあい方、べたつかずさらりとして、クールだけれど暖かでもある、そういう繋がり方が気持ちいいんだと思います。

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