本日、須藤真澄さんの漫画が私に向いているんじゃないかというお勧めを受けまして、いやあ本当にびっくり。だって実際、私は須藤真澄さんの漫画が好きなもんですから、本当にピンポイントに急所を突かれたような、はっとするような思いがしましたよ。須藤真澄さんの漫画は『てぬのほそみち』で出会って、それから少しずつ買っていって、けれど全部買っているわけじゃないんですね。というのも、予算に問題があるものですから、どかっと一度には買えないでしょう。いや、一度に買う必要ないじゃんかという意見もあろうかと思います。ですが、一度に買わないと書店で持っているかどうか迷うんです。その怖れがあるものですから一度にどかっと買いたい。でも買えない。ああ、すごいジレンマですよ。
でも、やっぱり新刊が出てたりすると買っちゃうんですね。常に買うわけじゃないのが微妙なところで、やっぱりその時の経済状況に反映されます。いいわけですね。いいわけです。
『マヤ』は単行本未収録作品をもって編まれた短編集で、帯にあるもう、逆さに振っても出ません
という文句が本当に小気味よく感じられて、これは買わないとという思いに突き動かされるように買ったのでした。私、実はこういう初期短編集みたいなものが好きでしてね、なぜかというと、第一作にはその作家のすべてが含まれているという説を信じているからなんです。初期短編集には作家の、この場合は須藤真澄という漫画家のあらゆるエッセンスがちりばめられているはずで、で、須藤真澄はこの期待を裏切らないんですよ。
『マヤ』には、須藤真澄らしいコメディタッチがあり、ファンタスティックがあり、心躍るようなみずみずしさがあり、そして可愛さがあり、悲しさも寂しさもわびしさもつらさもあり、それらに負けないくらいの楽しみも喜びも安らぎも暖かみもあって、素晴らしいですよ。でもこの短編集には、ちょっとシリアスに傾いた作品が多いかも知れません。私はこれら初期作品に触れるまで、須藤真澄が隠していた厳しさを長く知らずにいたんですね。ところがこの一冊で価値観が転倒するような思いを持った。なんと深い人なんだと思った。それで、より以上にこの人のことを好きになったんですね。
実をいうと、私は今日、須藤真澄の人の悪さで書こうと思っていました。ですが、私はとんまなもんですから、そのための題材を間違えてしまい、ええ、『マヤ』と思って持ってきたら、私の当初考えていたのは『あゆみ』だったんです。
だから、私はまた近々にでも『あゆみ』でひとつ書くことでしょう。私、須藤真澄でならどれだけ書いてもかまわないなんて思っているんですから。
- 須藤真澄『マヤ』東京:創英社,2004年。
引用
- 須藤真澄『マヤ』(東京:創英社,2004年),帯。
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