2006年2月28日火曜日

そらのひとひら

 野々原ちきは私の好きな漫画家のひとりで、そのやわらかにはなやいだ描線が紡ぎだす可愛らしく美しいキャラクター群も魅力であれば、そのキャラクターでもってこれを? というような黒いネタを展開する意外性もやはりまた魅力で、どうにも目の離せない感じです。既刊は『姉妹の方程式』。私は『姉妹の方程式』を読んで、そしてこの度『そらのひとひら』を通読してみて感じたのですが、どうやらこの人は黒いネタを追求するほどに面白さを増すのではないか。いや、単純に黒いといってもブラックユーモアみたいなことをさしているのではなくて、もっとなんか、屈折した感情とそのもつれみたいなものを描き出すのが大変にうまいと思うのです。

『姉妹の方程式』でも感じていた感情のもつれっぷりの面白さですが、それは『そらのひとひら』において充分に展開されて、私は途中の回を何度か読んだことはあったけれど、その時には感じなかったもつれが最初から読むともう見事に見えてきて、主要キャラクターの感情のすれ違い、近づくに思わせて近づけさせず、逆に遠ざけることもまたないという絶妙の距離感は面白い。主人公はまれに見るネガティブさでもって、けれどそのうじうじとしたキャラクターが悪くなく、私は彼を愛せると思います。そう思えるのは少年を描写する筆の確かさで、彼のトラウマとなった出来事(そしてそれはいずれ誤解とわかるのでしょうか)や過去を追想し今に戸惑う大隅くんの心をしっとりと大切に扱って、まあその丁寧に描き出されたぶん、かわいそうさはいや増すのではありますが!

野々原さんは人の心の機微を扱うのに長けていらっしゃるのかと思われます。そうっとすくい取られて絶妙のタッチで描き出されるそれは、思わず笑みのこぼれ胸に暖かみをともさせるようなよい話に持っていくこともできれば、残酷にも相をずらすことで泣き笑いのおかしさを生み出すこともできて、だからきっとこれからもおかしかったり嬉しかったりする素敵な世界を提示してくれるだろうという予感がするのです。

野々原ちきは私の一押しです。読んでみればわかる。読めばわかっていただけることと思います。

蛇足

笑顔の春賀さん、眼鏡の春賀さんも最高なのではありますが、とりあえず今は児玉ちゃんに夢中です。い、いや、普通にめちゃくちゃ可愛いですじょ?

  • 野々原ちき『そらのひとひら』第1巻 (ガンガンWINGコミックス) 東京:スクウェア・エニックス,2006年。
  • 以下続刊

2006年2月27日月曜日

忘れません

私が以前から好きだといっている、小樽在住のラグタイムギタリスト浜田隆史氏。氏は深いラグタイムへの取り組みや音楽性、そのギターの技巧によって知られているのですが、その活動のうちにシンガーソングライターとしての顔もお持ちでいらっしゃいます。そう、自作の歌を歌っておいでなのです。当世風の流行に接近するでなく、ラグタイムに向かう姿勢がそうであるように、自分独自の世界観を大切に見つめている、そんな雰囲気のする歌ばかりです。そんな歌の中に『忘れません』があって、これはかつて氏が経験した別れを歌ったものであると聞きました。素朴な歌。ひとりの人が、自分の置かれた状況を見つめて、とつとつと語って見せたみたいな歌。『忘れません』は聴くものを前にして語りかけるように歌われる、すごく心が近しく感じられる暖かい歌です。

別れを歌った歌は数あって、そのどれもが別れの寂しさや悲しさを広く通じる言葉に変えること余念がなく、けれど浜田氏の歌はなによりもまず自身の実感の中に歌をかこって、大切に大切に言葉を磨いたすえにようやく語りはじめるよう。氏の歌に身近さを感じるのは、あなたに話したいことがあるというみたいにしてはじまる、語りかけに似たスタイルのためなのかと思います。確かに、氏の身近に起きたことが追想されるようで、その意味でこの歌は氏の個人的な歌であるでしょう。しかしひとりの人が友人に語りかける言葉は磨かれたことによって、個人的な枠組みを超え、普遍に一歩踏み込んでみせる。それは技術やなにかによってもたらされたことではなく、言葉にして伝えたいという氏の気持ちがまっすぐに通っているからなのだと思います。

私はこの歌を、はじめて参加した氏のライブで聴いて、そのしんみりとした叙情に打たれたのでした。そして歌のアルバムを手にして、やはりいい歌であると思っています。もし氏の許しを得ることができたら、私もこの歌を歌いたいと思う。私がこれまで繰り返してきた別れと出会いを懐かしみ惜しむようにして『忘れません』を歌うことができたら、私はどんなになぐさめられることであろうかと思います。

『忘れません』、ええ、忘れません。あなたのことは忘れません。そうした思いは私の胸にもやっぱりあるのです。

2006年2月26日日曜日

卒業

   私は中学高校と吹奏楽部に所属していたので、なんかイベントがあるとそれに応じた曲を演奏するということになって、ほら、入学式とか体育会とか卒業式とか、そういう式典ではとにかく演奏をしていたものでした。で、中学のこととなるともうほとんどなにをやったかなんて覚えていないのですが、ところが卒業式に演奏したものは覚えています。卒業式用に編曲されたメドレーで、ミュージックエイトだったと記憶しています。そしてその曲目に斉藤由貴の『卒業』が含まれていた。ええ、はっきり覚えています。

私は当時アイドルを追うような少年ではなく、それでも斉藤由貴は知っていました。人気がありました。幼さの残る可愛い感じの女の子として今は思い出されますが、なんせ当時は私も子供でしたから、そうした印象を当時持つことはなかったでしょう。きれいなお姉さんみたいな感じで見ていたのじゃないかな。それも、ほんの少し年上の、そんな親しみのある雰囲気をともなってテレビや雑誌に登場されていたように思います。

今から振り返ってみれば、あり得ないほどに時代を感じさせる歌詞で驚くんですが、今の若い人は卒業式で先輩のボタンをねだったりなんてするのでしょうか。なんか、まだ時代はすれていなくって、中学生や高校生は素朴さを残していた、そういう時代の歌なんじゃないだろうかと思って、けど、こういうプラトニックといったらいいのか、恋愛に純粋性を求めたいみたいな気持ちはきっと今もあるんじゃないかなあ。私がこの歌を聴いてなんか胸にぐっと迫るなにかを感じるのは、そうした恋愛の純粋性に期待したいノスタルジイをどこかに抱いているからなのだと思います。

そういえば、私が卒業するときに後輩たちが演奏してくれた曲はいったいなんだったんだろう。ついぞ思い出すことができず、やはり先輩を送るという印象をともに演奏した曲こそが記憶に残るのかも知れません。いや、ただ単に斉藤由貴が好きだったからという可能性もあるんですが、けど練習していた音楽室の雰囲気も思い出されるようで、これは私には珍しいことです。それはつまり、それだけこの曲が印象深かったということなのかも知れません。

2006年2月25日土曜日

セーラー服と機関銃(夢の途中)

  私くらいの年代だともう合言葉のようだと思うのです。さよならは別れの言葉じゃなくてと問われれば、即座に返す言葉は再び逢うまでの遠い約束。映画『セーラー服と機関銃』の主題歌となった『夢の途中』の歌い出しの歌詞で、その最も耳に残るフレーズこのまま何時間でもとともに、耳の奥にそっとしまわれるように記憶されています。しかし、私は当時こうした若い人向けの風俗に背を向けるようにいた、ある種ひねくれた子供だったのですが、でもそれでもはっきりと覚えているのだから驚きました。映画もテレビで見たんですよ。多分、一度だけしか見ていないけど、それでも最後の機関銃を撃つシーン、はっきり覚えています。私にしても時代の子であったのだと痛く感じ入りますね。

思えば、私、薬師丸ひろ子が好きだったんだと思います。こないだからやってるゲームのベータ版。ドラマパートで塀を乗り越えようとする女の子を下から支えるシーン、「絶対上を見ないで」という台詞に「探偵物語だ」とメッセージを送ったら、「年がばれますよ」って返ってきて、いや、あんたもわかってるやん。いずれにせよ、背を向けていたつもりで私も結構薬師丸ひろ子の映画見てたんだなあ。うん、映画『探偵物語』の主題歌の極めて有名な歌詞、好きよ、でもね、たぶん、きっとなんて、私の言語感覚の深いところに入り込んでるものなあ、たぶん、きっと。

この曲を今紹介しようと思ったのは、さっきもいっていたゲームが原因です。ユーザーが学校に参加し、偶然同じになったクラスの中で授業を受け、おしゃべりをし、そうしているうちになんだか離れがたくなっちゃいましてね、けどこれはベータ版、来週月曜には終わります。そうなればきっと私たちはばらばらになるねって話していて、寂しいねっていいあっていて、けどきっと忘れませんからって。その時に私の脳裏に流れていたのが『夢の途中』、さよならは別れの言葉じゃなくて再び逢うまでの遠い約束……。うん、またいつかどこかで会いましょう、でもね、たぶん、きっと……。

嬉しいことがありまして、ベータ版のキャラクターは正式サービスが開始されても継続使用できるとのこと。そして、これが重要なのですが、クラスが引き継がれます!

この頃でこんなに嬉しいことってあったろうか。それくらい私は喜んだのです。ええ、きっとまた会えるというのですよ。

なので、この曲の紹介を前倒ししました。本当なら明日に書くつもりでいたのです。ところが思いがけない変更が計画の修正を余儀なくさせて。けどこんな変更ならいくらあってもかまいません。ええ、出会った友人たちにまた会えるだなんて、こんなに嬉しいことはないのですから。

薬師丸ひろ子

来生たかお

引用

  • 来生えつこ『夢の途中
  • 松本隆『探偵物語

2006年2月24日金曜日

笑う大天使

昨日紹介しました『3人の写真』ですが、私はこの歌を聴くと自分の学校時分のことではなく、川原泉の漫画『笑う大天使』を思い出してしまいます。『笑う大天使』、川原の大出世作にして、今なおファンをつかんではなすことのない名作で、もちろん私もこの漫画を愛しています。お嬢様学校に入ったものの、どうにもこうにも馴染めない三人娘が繰り広げるどたばたのアクションがあったと思えば、心に深く刺さって涙を絞るシリアス展開もあって、けれどこれらのまったく違ったように見える向きが、ひとつのカラーの中に収まって、すごく馴染んでいるのです。華やかでにぎやかで、あたたかで、私はこのカラーこそが川原泉のらしさであろうと思っています。

『笑う大天使』というのは、学校のあまりのお上品さに馴染めない三人が、というのが基本のプロットであったのですが、その彼女たちは学友上級生下級生を渾身の頑張りでもって助けましてさ、それまでかぶっていた猫なんてなんのそのって感じでもって奮闘して、そしてその心根のまっすぐさが通じたと思える瞬間があるのですよ。彼女らは彼女ららしさでもって、繕ったうわべの笑顔ではなくって、その本当の心意気でもって、自分たちの位置を友人の心の中に作った。私はだからあのシーンも大好きで、誰かのために一生懸命になれるというのは素晴らしいことだと、輝いてるよね川原、なんて感じてしまいます。

さざめくような華やかさだと思うのです。決して派手ではないけれど、川原の描く少女たちは凛々しくまっすぐで、伸びやかな木々の春に芽吹く生き生きとした生命が満ちていて、健やか。そしていつか花開こうとする予感をひしひしと感じさせて、私がひかれるというのはそこなのでしょう。最終話、卒業式のスナップ写真。そこに居並ぶ三人娘のまぶしさはなんか心の奥にきれいな水が涌くような思いがします。清冽な印象は、消えず心に残り続けています。

  • 川原泉『笑う大天使』第1巻 (白泉社文庫) 東京:白泉社,1996年。
  • 川原泉『笑う大天使』第2巻 (白泉社文庫) 東京:白泉社,1996年。
  • 川原泉『笑う大天使』第1巻 (花とゆめCOMICS) 東京:白泉社,1987年。
  • 川原泉『笑う大天使』第2巻 (花とゆめCOMICS) 東京:白泉社,1988年。
  • 川原泉『笑う大天使』第3巻 (花とゆめCOMICS) 東京:白泉社,1989年。

2006年2月23日木曜日

3人の写真

  いよいよ卒業が間近に見えるようになって、これまで級友と一緒に過ごした時間が終わり、慣れ親しんだ学校ともお別れ。私はね、ここにちょっと告白しますとね、これまで卒業式に泣いたことなど一度もなくて、けれどそれは学校を出ることにさばさばとしていたということではないんです。私の学校生活の拠点は音楽室で図書室で、卒業式を終えて、それら思い出深い場所にいってそっとお別れをしてきた。だって、友達とはまた会えるでしょう? だから彼らと別れることはそれほど悲しむべきこととは思えなくて、けれど実際高校時分の友人で今も親交があるのといえば二人しかいないんじゃないだろか。仲のよかったのは他にもいたろうに、あいつらは今いったいどうしてるんだろうなんてふと思うことがまれにあります。

Kiroroの『3人の写真』は、私にとっては『長い間』のカップリングに過ぎず、だからそれほど期待もなく聴いた曲であったのですが、今となってはむしろ『長い間』以上に親しみを感じる曲となっています。『長い間』に見られたピアノによる感傷をかきたてる伴奏や変則の小節がはっとさせるそういう効果は『3人の写真』には見受けられず、その意味では非常にオーソドックスなポップスです。ですが、これらの曲にはKiroro二人の実感がぎゅーっとつまっている。その実感が、わーっと広がるところが私は好きで、そしてその実感の素朴にして確かな『3人の写真』。卒業ソングとして秀逸であるという評価を超えて、私にはまるで自分もかつて感じただろう学校の景色、空気の揺らぎを歌の向こうに見るかに思い懐かしむ、そんな心に染みる一曲として数えています。

もうじき三月。卒業ですね。巣立つ人、見送る人。一人一人の胸に去来する思いが、いつか大切な思い出として振り返ることができるものであればいいと願います。卒業が、もう二度と会うことのない本当の別れになるかも知れないとしても、思い返せば懐かしくいとおしむことのできる記憶となれば、それで友達と過ごした時間は価値のあるものになる。そんな風に思います。

2006年2月22日水曜日

勉強の歌

  森高千里の『勉強の歌』はテレビアニメ『おちゃめなふたご—クレア学院物語』の主題歌として使われていた歌で、その明るくて陽気なところはアニメによくあっていて、そして勉強は嫌いだったけど、もっとちゃんとしておいたらよかった! という内容もすごくマッチしていて、けどこういう後悔はどうしてもその当時にはわからないんですよね。私が『おちゃめなふたご』にはまったのは、まさに高校在学時でしたから、『勉強の歌』は本当に身につまされるような歌で、でもあの時だったらまだ取り戻せたのかもなあ。なんて思います。

私の勉強における一念発起は大学デビューでありまして、そもそも学問するつもりで進学したわけでもなかったというのに、けれど少しでも取り戻すことができたようで、その意味では入学を許可してくれた大学には感謝しています。大学で取り戻すことができた部分というのは主に外国語とヨーロッパ史でありまして、けどそれでも不充分だと思うんですよね。人と話をするときなんかに感じるんですが、ちゃんと中学高校で基本的なところを押さえた人にはかないません。よくご存知で! そんな感じがする。だから私は今からでも教えを請うて、少しでもわかるようになりたいなんて思うんです。

私はこないだ絶対値がわからないなんていっていましたが、さらにおとつい、部分集合がわからないということにも気がつきまして、さらにいっておくと虚数というのもわかっていません(つまりこれは複素数や実数の概念をつかんでいないといってるのと一緒です)。こういったエピソードからうかがえるのは、私のウィークポイントは数学にあるということ。どうもあの記号山盛りで計算をたくさんしなければならない数学が面倒で、あまりに面倒だったから演習とかやらずにいて、余計わからなくなってという悪循環。私は未だその悪循環から抜け出せずにいます。けれど、わからないところでも解説してもらって、おおまかな概念を教えてもらえたりすると、ちょっとだけ進めるんです。一歩かも知れないし、半歩にも満たないかも知れないけれど、少しだけ進む。今からではもう遅いかも知れませんが、それでも少しずつわかる。面白い! 知るということにまさる喜びはないのかも知れないと、本当に心の底から思えます。

ちょっと余談ですが、Wikipediaをさまよっていたときのこと、0.999...が1に等しいことの証明という記事を見つけまして、その証明、1 = 9/9 = 1/9 + 8/9 = 0.111... + 0.888... = 0.999... 、を見たときにはちょっと感激しました。で、この事実について私は知らなかったのですが、やっぱりちゃんと高校時分に勉強していた人は知っているんですよ。ああ、悔しいって思いました。知識で劣っているのが悔しいんじゃないんです。そんなすごいことを今まで知らずに過ごしてきたということが悔しいんです。

世界には面白いことがたくさんあります。知ることは喜びです。本当に思います。

だから、詳しい人、私にいろいろ教えてください!

2006年2月21日火曜日

終末の過ごし方

  次の週末に人類は滅亡だ。『終末の過ごし方』はいきなりそんな極限状態からスタートして、公約通りといいますか、その一週間が過ぎれば世界は終末を迎えておしまい。そんな状況だというの主人公たちは日常を淡々と平時同様に送っていて、いざ世界が滅びます、逃げられませんよ、なんてことになれば実際でもこんな感じなのかなと思ったりもする。そういう妙な感覚が妙に心地よく感じられるゲームで、結構この雰囲気が好きだという人は多いみたいなのですね。もちろん私も嫌いじゃない。絵のはかなげで優しい雰囲気、音楽の繊細さも加わって、悲劇的なはずが悲劇とは感じられず、そうですね、穏やかなのです。残された時間をどう過ごしたらいいんだろうかとぎりぎりまで迷いながら、でもあくせくもせず淡々と。私の人生の最期はこんなだったらいいなと思ったりしたのは秘密です。

一週間というのは長いようで短く、短いようで長く、そんな微妙な時間の感覚というのは、実は人生に似ているように思います。人生は、なにもせずただ過ごすにはあまりに長すぎ、けれどなにかひとつでも目標を持てばあまりに短い。その長く短い生をどのように過ごすかは、その人生を送る本人次第。価値あるものに変えられるか、それとも空しさにため息つくか。本当に、本人次第であると思います。

もしもですよ、後一週間ですと刻限が切られたとしたら、私はいったいどうするんだろうかなんて考えましたらね、きっと、多分、私は今までと同じ暮らしを変えないだろうと思います。ギターを弾いて、仕事にもいくでしょう。そして、できれば残された時間一杯を使って、今まで知りあって、好きになった人たちに会いたい。あって、最後の挨拶をしたいではありませんか。思いがけず世界が終わっちゃうことになりましたよ。いつかくるとは思ってましたが、こんなに早くくるとは思いませんでした。振り返れば短いなりにいろいろあった人生で、そんななかで、あなたにお会いできたのはすごくありがたいことでした。得難いことを得ることができました。あなたと話したこと、あなたと一緒に見たもの、感じたなにか、それらは世界が終わっちゃうのと一緒に消えてなくなってしまうのかも知れませんが、私はそれでも忘れないと思います。

そういう挨拶をしたい。出会えたことへの感謝と、喜びを言葉にして伝えたい。そして最後に、あなたと、あなたのいらっしゃったこの世界が大好きでした。そういってお互い微笑んで別れることさえできれば、— 私は、私が生きて死ぬということを悔いることも嘆くこともなしに受け入れることができるように思います。

なんや、えらい陰気になってしまいました。私はまだまだ生きるつもりだから、あと五百年は生きるつもりだから、この人あやういんじゃないかなんて、どうぞお思いにならないでくださいましよ。それでできましたらば、ああ、この人はシニカルなふりして見せてるけれど世界や人間が好きなんだと感じてくださったりしたら、どんなにか嬉しいことかと思います。

2006年2月20日月曜日

おちゃめなふたご

      学生時代を懐古してみるに、あれは確か高校三年の頃だったと思います。テレビで『おちゃめなふたご—クレア学院物語』というアニメをやっていまして、これがまた仲間内ではやったんですよ。主人公は双子の女の子イザベルとパトリシア。私はこれ偶然病院の待合室で見ましてね、多分春休み。ああ、そうだよ、突然腹痛に襲われて担ぎ込まれた時じゃなかったかな? 思えばこれは虫垂炎で、その後八月に私はきっちり入院します。とまあ、そんな話はどうでもいいのであって、アニメ『おちゃめなふたご』は関西では休み期間に集中放送されましてね、毎日毎日やってくれるもんだからはまったはまった。それでもう集中講義なんていってましたね。ええ、こういう風に呼んでいた人は関西では結構いらっしゃったみたいなんですよ!

で、笑うのは、休みが明けた学校でのこと、やっぱり友人も『おちゃめなふたご』にはまっていまして、それでもう大盛り上がりでしたな。さらには、私は当時図書室入り浸りだったのですが、図書室仲間の下級生も『おちゃめなふたご』に大はまりで、いやあここでも盛り上がりました。私はアニメの絵を写して描くのに長けていたから、当時はやりの絵しりとりでイザベルやらパトリシアやらをがつんと描いて、いいねえとゆわれて、いや、すまん、マニアの昔話になってしまいました。

アニメの『おちゃめなふたご』は明らかに原作よりも高い年齢層を狙っていて、学生や、また中学高校を卒業してしまった人でも楽しめるような内容であったと記憶しています。舞台は全寮制のクレア学院。わがままな双子の姉妹が、クラスの友人たちと過ごす日々の中成長していくという物語はとても丁寧に優しく描かれていたから、もう理想の学院と思えました。全寮制ってなんか憧れませんか? いや、実際にそんなところに叩き込まれたら即日脱走決行すると思いますけど、海外児童文学に見る全寮制の学校ってすごく輝いて見える。ええ、私たちにとってクレア学院はまさに輝いていましたね。憧れましたよ、憧れました。

なので、レッスン先の山科の書店にて『おちゃめなふたご』の原作を見つけたときには嬉しかった。興奮しました。だから件の友人をたきつけて購入させて、授業中に回し読みさ。そういう授業中の出来事も今は懐かしく感じて、そしておしゃまなふたごやそのクラスメイトに起こる出来事の数々も懐かしい。サワーミルクのプルーデンスでしたっけ? ギャングエイジの女の子の世界を垣間見て、うへー、みたいな話もありましたけど、フランスからきたクロディーヌが妹と、こっそり早口のフランス語で内緒話するとか、フランス語の授業でRの発音が奇怪極まるとか、このときにはまだ将来フランス語を自分の主たる外国語にするだなんて思ってなかったけど、思い返せば少なからず影響受けてるんじゃないかと思います。

実は、『秘密の花園』を探していたときに『おちゃめなふたご』が新装版で出版されているのを見つけて、ああ懐かしい、欲しいなと思ったのでした。その時にはまだ『おちゃめなふたご』しか出ていませんでしたが、今では『おちゃめなふたごの探偵ノート』まで出ているみたいですね。でも、買うならやっぱり旧ポプラ社文庫版かな。ええ、今ならまだ間に合いそうじゃないですか。愛らしいカラーの表紙、そして挿絵。ここは思い切って、どーんっといっちゃいましょうか、どうしましょうか。ちょっと迷いますけど、けど私の性格の常で、きっと買ってしまうんだろうなと思います。

  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたご』佐伯紀美子訳 (ポプラポケット文庫) 東京:ポプラ社,2005年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごの秘密』佐伯紀美子訳 (ポプラポケット文庫) 東京:ポプラ社,2005年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごの探偵ノート』佐伯紀美子訳 (ポプラポケット文庫) 東京:ポプラ社,2006年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごの新学期』佐伯紀美子訳 (ポプラポケット文庫) 東京:ポプラ社,2006年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごのすてきな休暇』佐伯紀美子訳 (ポプラポケット文庫) 東京:ポプラ社,2006年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごのさいごの秘密』佐伯紀美子訳 (ポプラポケット文庫) 東京:ポプラ社,2006年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたご』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社文庫—世界の名作文庫) 東京:ポプラ社,1982年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごの秘密』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社文庫—世界の名作文庫) 東京:ポプラ社,1983年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごの探偵ノート』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社文庫—世界の名作文庫) 東京:ポプラ社,1984年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごの新学期』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社文庫—世界の名作文庫) 東京:ポプラ社,1985年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごのすてきな休暇』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社文庫—世界の名作文庫) 東京:ポプラ社,1985年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごのさいごの秘密』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社文庫—世界の名作文庫) 東京:ポプラ社,1986年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたご』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社の世界こどもの本) 東京:ポプラ社,1984年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごの秘密』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社の世界こどもの本) 東京:ポプラ社,1984年。
  • ブライトン,エニド『おちゃめなふたごの探偵ノート』佐伯紀美子訳 田村セツコ絵 (ポプラ社の世界こどもの本) 東京:ポプラ社,1985年。

2006年2月19日日曜日

M-AUDIO Pulsar

 以前いっていたM-Audioのオーディオインターフェイス先月の末に買ってしまいまして、その際に私が選んだマイクというのは、やはりM-AudioのPulsarでした。まずは楽器を録ろうということで、インストゥルメント・マイクロフォンとわざわざ書いてあるPulsarを選ぶのがまあ間違いもなかろうと、そういう理由からです。

そうしてうちにやって来ることになったPulsarは、驚くほどに小さくスマートなマイクで、けどブラスでできたボディはしっくりと重くて、ちゃちな感じは全然しません。で、早速ギターを録音してみたりしているわけですが、これがなかなか難しくて悩みどころが増えてしまったと感じてます。

なにが悩みどころといっても、まあふたつの録音を聴き比べてみてください。一つ目は適当なフレーズを弾いてみたもの、二つ目はアグアドの練習曲です。

これね、一つ目は音を絞りすぎて、二つ目は大きな音で録りすぎて、あんまりよくないんです。いろいろ試してみたりして、ぎりぎりのところを狙ったつもりなんですけど、それでもうまくないんですよね。デジタル録音は、過大入力があるとクリップノイズというのが発生して、二つ目の録音の全体に渡って聴こえるぷちぷちざらざらした感じがそれです。で、それを避けるにはゲインを小さく絞ってやるといいんだけど、そのへんのノウハウがまだないので、本当にこれからだと思います。

Pulsarを使ってみて、私にとってははじめてのコンデンサマイクで、いいとか悪いとかはいえないんですけど、それでも想像以上にいいというくらいはいってもいいんじゃないかと思います。すごいですよね。はっきり入って、きれいに録れます。当然なのかもは知れませんが、それにしてもコンデンサマイクを一万円台で買えて、自宅で簡単に録音できる時代とは本当に夢のようです。

とりあえず現状は不満の多いに残る録音で、だからこれからギターの技術とともに、録音のノウハウもためていきたいと思います。少しでもよく録れるようにして、少しでもよい録音を公開できれば嬉しいなと思っています。

いや、それにはまず練習だね。うん、練習して、練習して、それで録音。で、この録音というのはいい緊張感をもたらしてくれるから、練習に張り合いをもたせてくれるんです。なかなかいい循環が発生しているんじゃないですか? 悪くないと思います!

2006年2月18日土曜日

卒業 — 泣かないで

 来るべき卒業シーズンに向けて、ちょっと卒業にまつわるものを取り上げてみました。気が早い? いや、一月は往ぬる、二月は逃げると古来から申します。あと十日なんてあっという間ですよ。ええ、楽しい時間は矢のごとくに飛び去っていくものじゃないですか。

あゆみゆいの『卒業』は、その中身も知らないままに購入した漫画で、いわゆる表紙買いというやつです。忘れもしません、香里園の女学を受験した帰り(もちろん生徒としてではない)、坂の途中にある古書店にて購入したのでした。過去の表紙買いを振り返ってみるとわかるのですが、どうも私は真っ正面から見つめる目に弱いようです。

帰りの車内で読んで、不思議な読後感がある漫画だと思いました。物語は卒業式の当日にはじまり、その日のうちに終わります。物語られる内容は、ヒロイン美晴のモノローグであり、入学式からの三年間、印象的なエピソードが繋ぎ合わされることによって、美晴と大樹の関係が明らかになっていきます。

うまい手ですよね。読み切りで三年間を描こうとすれば駆け足になりかねないというところを、時間軸は最終日に固定し、とびとびに起こる必要なエピソードを挿入していくというやり方は、すでに終わっているだけにはらはらさせるでもなく、むしろ美晴の一人称であり続けるから、すごくしっとりとして内省的です。センチメンタルと言い換えてもかまわないかと思います。表にあらわす自分と中に動く気持ちを対比しながら、だんだんと心が動いていく様をモノローグによりはっきりさせて、そして最後にドラマを作る。

激情型にならないのは、すべて出来事が終わってしまった過去として描かれているからなのだと思います。けどそれゆえに穏やかで、不思議に心に染みとおるようで、私はこの感触は好きだなと思ったものでした。

人間というのは不器用で、ぎりぎりにならないことには自分の気持ちさえはっきりしないようなもので、だから私はそういう不器用を見るといじらしいなと思うのでしょう。

さて、私にとってはまずは十日後。いくらなんでも私は歳が歳ですから、その当日ぎりぎりまで自分の中の心の動きがわからぬ、予想もできぬなんてことはないでしょうが、けどきっとなにか感傷的に兆すものはあるのではないかと思っています。

さよならは別れの言葉じゃなくてでしたっけ? ええ、突然なにいってんだって感じに唐突ですが、きっとそんな感じであればいいと思う。ええ、そんな感じであればいいと思います。

引用

  • 来生えつこ『夢の途中』

2006年2月17日金曜日

Inspiration

  ああ、やっぱり『鬼平犯科帳』はおもしれえなあ。役者がいいよ。いい役者をそろえて、もうしっかりと作ってあるから、ぐいぐいと引き込まれて、テレビの中の作り事だっていうのについつい熱くなってしまってさ、もういけないよ。

そう、私はテレビドラマの『鬼平犯科帳』が好きでございましてね、もう心底惚れてしまっています。とはいってもとてもとてもDVD-BOXなんかにゃ手が出ず、だからこうしてテレビでスペシャルででもやるとなったら楽しみにして見るといった次第です。

で、今回は『鬼平犯科帳』ではなくて『インスピレイション』。ジプシーキングスの名曲です。

日本においてジプシーキングスは知る人ぞ知るとでもいったらいいのか、人気であるし曲も有名だし、名前は知らなくても聴いたらわかるという人は多いのじゃないかと思います。例えば、かつてビールのCMで使われて大ヒットした『ボラーレ』。しかしそれ以上に知られているのは、『鬼平犯科帳』のテーマ曲として使われている『インスピレイション』なのではないでしょうか。

ジプシーキングスはヨーロッパにルーツを持つグループで、その中心となる楽器はスパニッシュギター。なぜこのような音楽を時代劇の、それも本格時代劇のテーマ曲に選んだのか、そのセンスにはほとほと感服します。ミスマッチのよさなんてものじゃございません。すごくマッチしている。お江戸の暮らし風俗を写しながら、そこにジプシーキングスの『インスピレイション』をあわせる。神妙で美しいパッセージがひとしきり、そこへはじける火花のようなギターの響きが格好良く、しかし私にはなぜこの音楽がこんなに日本の昔の光景に似合うというのかがわからない。けれど、まるでこのために書き下ろしたかのようにぴったりで、すごい、すごい、本当にすごいと思います。

もし私が『鬼平犯科帳』を見ることがなかったら、きっと私はジプシーキングスを今も知らないままにいて、じゃあもしやしたらギターも弾いていなかったかも知れない。ええ、こんな可能性をぐじぐじいってもはじまらないことは承知しています。けれどさ、『インスピレイション』はギターはじめる前からさ、格好いいなと憧れていた曲なんですよ。いつかこんな曲弾ければいいなあと、今でも憧れている曲なんですよ。だから、もしこの曲に出会っていなかったとしたらなんて思うわけなんです。きっと私の人生は、少なからず違っていたはず、そうまでいうほどに『インスピレイション』は私の中に食い込んでいるんです。

2006年2月16日木曜日

チャーリー・ブラウンなぜなんだい?

  故人の消息を聞くというのは寂しくもあり、悲しくもあり。ですが、忙中閑ありともいうがごとく、寂しさ悲しさの中にも嬉しいと感じる思いもあるものなのですね。以前、何度かこのBlog上でもお話した私の好きな漫画家についてを人づてに知ることができて、今私はそうした、嬉しさをわずかに含んだ悲しさに沈んでいます。私の気性、情緒不安もあるのだと思うのですが、突然涙が出てたまりませんでした。お会いしたこともない方で、ですがディテールが積み重なることで、悲しさはここまで深まるのだと思って、けれどいつまでも悲しがるというのも逆に失礼なのではないかと考え、さいなまれます。

私はそうして涙を流して、その人はすべての命が帰るべき場所に先立っていかれたのだという感じがしてきて、そう思えば人の死はただ悲しむばかりのことではないのかも知れないという気もするのです。いや、それでもやはり死は痛ましく、つらいものにほかならず……、ですが、私もいつかそこへゆきます。私の大切な人たちもみんな、帰るべき場所に帰っていく。その時がしかるべき時であるのかどうかは浅はかな私にはわかりませんが、誰もが逃げることのできないことならば、それはもう受け入れざるを得ない。私たちが生きるということは、来るべき瞬間を受け入れるための準備をするということなのではないかと思ったりします。

今日記事を書くに当たり、そうした気持ちを表すことのできるなにかはないかと考えました。ですが、ふさわしいと思えるものを見つけることはできず、そのかわりというのでもないのですが、『チャーリー・ブラウンなぜなんだい?』を取り上げることにしました。この短い物語は、ともだちがおもい病気にかかったときというサブタイトルからもうかがい知ることができるかと思いますが、病気になった友達にどういう態度で接したらよいか考えさせられるような深みを持っていて、いやしかし、私にはこのタイトルがなにより重く響きます。ライナスが親友のチャーリー・ブラウンに問い掛ける、なぜなんだい、という言葉。いったいどうして、その人がそのような理不尽を抱え込まされなければならないんだという問い掛け。私たちは生きているうちに、いったいどれくらいこのような疑問を持つことでしょう。なぜ、この人が。なぜ、このような目に。なぜ?

理不尽は、人が生み出すものもあれば、人の知を超えたものもあり、そのような目に遭う友人を前にしたとき、私はなぜ以外の言葉を口に上すことができるかどうか。圧倒的現実に打ちひしがれるだけかも知れませんが、それでも励まし力づける言葉を発することができれば、その人の助けになれればどんなにかよいだろうと、そんな思いを巡らせます。

ビデオ

2006年2月15日水曜日

なんちゃってアーティスト

 『まんがタイムジャンボ』で連載されている真田ぽーりんの『なんちゃってアーティスト』がいよいよ最終回を迎えるとのことで、なんかしみじみと寂しさを感じてしまいます。とはいっても、作中ではすでに就職活動が佳境に入っていて、ああ、もうすぐ彼らも卒業なんだなという、そういう寂しさ、晴れ晴れとした寂しさ、うん寂しいんだけどなんか悲しさというよりも微笑みのともなうというようなそういう感じがしていたのです。だから最終回と聞いてもそれほどショックではなく、おひさまデザイン専門学校を卒業していく彼らを気持ちよく送りだすことができるのではないかと思います。

(画像は真田ぽーりん『必殺白木矢高校剣道部』第1巻)

以前にもいっていましたが真田ぽーりんは私の好きな漫画家のひとりで、むやみにエネルギーのある登場人物が見ていてほほ笑ましくて、『なんちゃってアーティスト』もそんな感じなんです。馬鹿でエネルギーにあふれた(持て余した?)男子たち、真面目で常識人の女子たち。そんなクラスの中、ヒロインのあかりは女子なのに男子的だなあ。ともあれ、未来のアーティストを目指して専門学校にて課題に取り組む彼らの頑張りは、たとえその方向性が間違ったものであったとしても気持ちよくて、楽しそうだなあって思えるものばかりでした。だから好きになった。そうですね。真田ぽーりんの漫画は、読んでいてすごく楽しそうなんです。出てくる人たちが生き生きとしていて、エネルギーにあふれています。

『なんちゃってアーティスト』が私の真田ぽーりん初遭遇で、面白いなあって思っていたものだから、書店で『ウチら陽気なシンデレラ』を見かけたときなどは瞬間に確保。どの漫画を見ても明るくて楽しくて健やかで伸びやかで大好きです。そんな私にとってすごく気持ちのいい漫画たちに出会うきっかけとなった『なんちゃってアーティスト』も終わる。……いつの間にか、そんなにも時間がたっていたのだなあとしみじみした思いが兆します。

その『なんちゃってアーティスト』ですが、単行本は出ないのだそうです。こうしてまた私には捨てることのできない雑誌の山が残されて、捨てるに忍びないのですよ。好きだったものがむざむざと消え去り、流れていくままになることが耐えられないのです。私は単行本購入は一票を投じるようなものだと考えているのですが、私の力は及ばなかったのだなと、こちらは悲しい思いで寂しさを感じています。

面白い漫画です。読めばその面白さは必ずわかると思います。だから、ここであきらめてしまいたくない。漫画の登場人物の前向きさを見習って、私は『なんちゃってアーティスト』にも以下続刊と続けたいと思います。この言葉は私にとって希望であり、作品に対する愛です。もっと広く読まれて欲しいという願いであります。

でも、今はまずはお疲れさま、そしてありがとうございました。晴れ晴れとした寂しさをともに、笑顔で送りだしたいと思います。

引用

2006年2月14日火曜日

ヤダモン

以前、出るといいながら全然リリースされる気配のない『ヤダモン』DVD-BOXの話をしていましたが、ここに朗報をお伝えします。出ます! 2006年の3月24日に『ヤダモン』DVD-BOXが出ます!

最初はキングから出ると案内されていたのですが、その後ジェネオン エンタテインメントに変更になったようですね。変更点は他にもありまして、一箱で全話、ではなくて、上下巻にわけてのリリースなのだそうです。聞いた話によりますと、第一巻は85話分を収録。ただし放送順ではなくて、一週間、五話でひとつの話を展開していましたが、まずはそれからのリリースなのだそうです。私としてはこの手法はちょっと疑問で、というのは一週間連続の話と十分一本完結の話に関わりがないというわけではないからです。ちゃんと流れがあるとすれば、その順番に見たいなあと思って、けどまあ、NHKの放送順からがむちゃくちゃだったからいいといえばいいんですけどね。

しかし、嬉しいじゃありませんか。一度は頓挫したかに見えた『ヤダモン』DVDが、なんとか発売にまでこぎ着けられたというのですから。あんまりに発売が伸ばし伸ばしにされるもんだから、権利でもめているだとか、原版が失われているだとか、さらには児ポ法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)の絡みまで噂される始末で、一時はもう本当になにが本当やらわからないというような混乱状態でした。

ところが、それが販売元を違えてリリースされると案内されて、私は正直小躍りする思いで、以前のキングの頃から応援の意味も含め予約していたのですが、もちろんその予約はジェネオン版に持ち越し。購入することは間違いありません。

実をいいますと、私、『ヤダモン』は全話ビデオに録画しています。当時(今もか)、私はちょっと病的で、自分の好きななにかが流れて消え去るままになるというのが耐えられなくて、見ていたアニメのほとんどをビデオにとって残すというようなことをやっていたのですが、まあ、もちろんすべてではなくて、特に気に入ったやつを残すのが精いっぱいで、なかでも『ヤダモン』は苦労しました。なにが苦労するといってもその放送形態で、『ヤダモン』は月曜から金曜の帯番組ですから、それこそ毎日ある。で、私は毎日その時間にうちにいるわけじゃないんですよ。当たり前ですよね。当時はまだニートや引き籠もりはポピュラーではなかったんです。私もいろいろ出歩いていたんですよ。だけど『ヤダモン』は見たい。なので、古いビデオデッキまで動員して、これが二年続きました。なんで二年かというと、まあ『ヤダモン』に詳しい人なら説明するまでもなくご存知でしょうが、一年目には欠番があったんです。しかも、大河展開に入ってすぐに! だから、二年かけて録り続ける必要があった、とそういうわけなのです。

二台のビデオデッキで、それぞれに録ったものだからテープは実に整理されていなくて、新しいビデオデッキで録ったのはラベルが赤字で、古いビデオデッキの方は緑でラベリングされているから、まあ続けて見られないというわけでもないのですが、それでもやっぱり骨ですよ。それに、トラッキングがどうしてもあわない話も出てきていて、視聴に耐えないような回も存在して……。

だから、私はこのDVD発売を、本当に心から楽しみにしています!

VHS

CD

書籍

  • 面出明美『小説ヤダモン』上 ちいさな魔女がやってきた! (アニメージュ文庫) 東京:徳間書店,1992年。
  • 面出明美『小説ヤダモン』中 砂の迷宮 (アニメージュ文庫) 東京:徳間書店,1993年。
  • 面出明美『小説ヤダモン』下 地球の詩がきこえる (アニメージュ文庫) 東京:徳間書店,1993年。
  • SUEZEN『ヤダモン』前編 (アニメージュコミックス) 東京:徳間書店,1993年。
  • SUEZEN『ヤダモン』後編 (アニメージュコミックス) 東京:徳間書店,1994年。
  • ヤダモン』第1巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1992年。
  • ヤダモン』第2巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1992年。
  • ヤダモン』第3巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1993年。
  • ヤダモン』第4巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1993年。
  • ヤダモン』第5巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1993年。