2012年2月11日土曜日

ももかコミカライズド

 ももかコミカライズド』、完結しましたね。漫画を描いた、誰かに見てもらいたかった。そうした素朴な動機からはじまった姫咲ももかの物語が、ついにひとつの成果を成し遂げて、ええ、それは確かに成果といえるものであったと思うのです。漫画を描くってどういうことなのだろう。漫画に限らず、すべての表現に通じる問題提起がなされていた。そう感じています。自分の作ったものを見て欲しい。それはひとえに伝えたいということ。なにを伝えるか、どう伝えるか。どうしたら伝わるか。伝えたいものはなんなのか。ももかの悩んで苦しんで、そして臣と一緒に探し、見付け拾い上げていった気持ちや気付きを肉付けしていく過程。それが確かであっただけに、その先に待ち受ける結末もすとんと気持ちの底にまで落ちてしっくりと収まる、そうしたものになったと思うのでした。

伝えるということ。それに尽きると思うのですね。自分の感じ思っていることを伝えたい。自分の好きを伝えたい。そのための手段が、ももかやアリスにとっては漫画であったってことなのでしょう。そこには自分の思いがある、より確かに伝えたいと思えばこそ、伝えるという行為は時に苛烈なものにもなるのかも知れません。正真正銘の自分がそこにはあるから。それほどまでに突き詰められたものであるから、拒絶されれば傷つくし苦しい。けれど、だからこそ、受け入れられた時の喜びはいっそうのものとなる — 。アリスの、胸の内に抱えていた不安に付け込むように発せられた言葉に見せた動揺や、がっかりされるかも知れないという怖れからシルクに漫画を見せられなかった気持ち、それらは漫画家、表現者ならずとも、誰もが持ちうるものであると思えばこそ、読者である私にも痛いほどに伝わったのだと思います。そしてだからこそ、嫌われること、拒絶されることを怖れてきたももかが、臣に隠していたことも自分の気持ちもすべて曝けだして伝えようとした、その態度、怖れや不安を乗り越えて伝えようという気持ちの強さも、確かなものとして読み手の心に響くのだと思います。

伝えるって、どういうことなんだろう。自分の気持ちをただ伝えればいいっていうもんじゃないんだ。届いて、はじめて伝えたっていえる。そのためには、伝えたいことを整理し研ぎ澄ます必要がある。そして表現者であればこそ、それもエンタテイメントを提供しようという漫画であればこそ、どうすれば喜んでもらえるのだろう、求められているものに応えられたといえるのだろう。そのための方法を考え、悩み、探し模索し、投げて、投げ返されるものにまた応えることで、相手を知ろうというのでしょう。こうした伝えるということを、漫画家のそれと、男女のそれを対比させ、私を知って欲しい、あなたをもっと知りたい、人ならばおそらくは誰もが持つ欲求に発する営為として描いて豊かでした。その人と過ごしてきたことで、わかったことがある。紆余曲折して苦しんだ、そんな経験に根差して咲く花だってある。自分の得てきたものすべてが私自身をかたちづくっているんだ、どんな苦い経験でも受け止めて、人は前に進んでいける、そうした人たちの物語。物語とは「本質が変化する」ことであるならば、『ももかコミカライズド』とは、伝えるということを本質として、誰かに見てほしい、そういう素朴な気持ちを純化深化させ、確かなものとして届け、時にはその人の行き方にさえ影響してしまう、そうした強靭なものにまで育てていった、そういう物語であったのだろうと思ったのでした。

それと、これはちょっと蛇足なのだけれど、ストールをはずしてからの臣が、すごく面白くて、あんなに人間くさいやつだなんて思わなかった。トレーディングカードゲームにも詳しい臣! たゆまぬ勉強が生きて嬉しい臣! どんどん世間ずれしていく臣! そして、自分たちの作り上げたもの、その結果を待って震えるほどに思いつのらせる臣! いや、すまぬ、ドラムだったね。ああ、あれほどに自信のあるように感じられた彼も、ここまで不安にかられるんだ。そして、こうした感情や表情をももかを前にして出せるようになったんだ。ええ、この漫画は、不安や怖れを乗り越えても伝えようとする、そうした物語であり、同時に、作り伝えるという行為を通して、自分自身を知り、かつての自分を受け入れ、慰撫し、その先に進めるまでに回復する、そうした物語でもあったのですね。弱かった自分も、迷っていた自分も、確かに自分自身。そうした迷い苦しむ彼彼女のつかんだ結果だからこそ、それは価値あるものであったのだ、そう思った。そして、人はどれほどに苦しもうと、喪失感に苛まれようと、きっと再び立って歩きだせる日がくるんだ、そう感じたのですね。

あの、ともに向き合って漫画に取り組むふたりを描いたシーン、疾走する気持ちよさにあふれたシーンの連続は、ふたりの気持ちから重石がとれて、その歩みも軽やかになったから。それに加えて、ものを作りあげようという時の高揚感も手伝っているのかも知れませんね。本当に気持ちのいい、高揚とともに優しさや暖かさも感じられる、そんなラストスパート。そこには確かなしあわせがあった、満ち足りたものがあったのでした。

引用

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