2010年3月11日木曜日

音楽史の休日 ― 見落されたエピソード

私は、子供の時分、音楽に憧れを持っていたものの、あまり恵まれた環境にいなくてですね、だって、うちには音楽聴くのを趣味にしてる人間とかいなかったんです。だから、学研の児童向け事典の音楽の巻に入ってたレコードを、それこそ繰り返し繰り返し聴いていた、そんな子供であったのですね。これ、クラシックの話。当時はレコードとか高くて、テレビで見て聴いて、みたいなのが一般的だった時代です。そんな私が本格的に音楽に興味を持ちはじめたのっていつだったのかな、って思うと、それはやっぱり高校時分なんじゃないかなって思います。図書館で音楽関係の本をいろいろ借りて読んだ、それで、音楽ってのは面白そうだなあって思った。それまではただ曲が好きだっただけ。それが、曲の背景にも興味が広がった。ええ、大きな転換点だったと思います。

音楽の背景に興味を持つようになったのは、所属した吹奏楽部、それがですね、毎年5月に定期演奏会するんですね。だから、新入生なんてほったらかしだった。下働きというか人足というか、そういう扱いを受けるのが例年のことだったのですけど、私はそんなの興味なかったから、出席だけ取って図書室に入りびたってたんです。本読んで、雑誌読んで、そんな放課後。そこで出会ったのが『音楽史の休日』という本だったんですね。

これ、タイトルにあるように音楽史に関する本です。ですが、正統的な音楽史をがっちりしっかり書いてます、っていうような本ではなくてですね、音楽史の裏にはこんな面白エピソードがあるんですよって紹介する本でした。基本的にエピソード単位で語られるので、歴史的に積み重ねられていくものを把握しようという本ではないのですが、そういうのが知りたかったらちゃんとした音楽史のテキストを読めばいい。この本は、そうした体系的な知識を得るよりも、面白エピソードを通して音楽や音楽家を身近に感じることのできる、そういった類いのものなのです。

でも、ただ面白いだけじゃなくて、結構しっかりしたエピソードもあったです。もう、忘れもしないです。ヘンデルの『水上の音楽』に関するエピソード。これ、ヘンデルが王室においていかに立ち回ったかっていう話なんですが、当時ヘンデルが働いてたのはイギリスの王室なんですけどね、ええと、アン王女の時代です。本職はハノーヴァーの宮廷楽長だったにもかかわらず、イギリスに入りびたってたんです。

面白いのはここからです。アン王女、亡くなります。そうしたら、よりにもよってハノーヴァーの選帝候ゲオルク・ルートヴィヒがイギリス王室にやってくるんです。名前も変わってジョージ1世。このへんは、世界史にも出てくる話。けど、世界史だけじゃ、この出来事の影で右往左往したろう音楽家の姿は見えてきません。ええ、きっとうろたえたんだろうと思うんです。ずっと、お前、帰ってこいよといわれてたのをほったらかしてたんですよ。そうしたら、雇用主がこっちにやってきちゃった。しまった。どうしよう! ヘンデルは困ってしまって、そうだ、王様の船遊びにナイスな楽曲プレゼントして御機嫌とろう! って感じに作られたのが『水上の音楽』だったというような話があったとかなかったとかいうんですね。

この伝説は有名なもので、この時代の音楽が好きという人間なら大抵知ってるんじゃないかと思います。最近の研究では、このエピソードは後に作られたものという説が主流になってたような気もするんですが、けれど当時の私にとっては、ものすごく衝撃的な話であったんですね。音楽というものが、音楽家というものが、歴史的事件に深く関係しているんだって。音楽はまさに社会や歴史に関わりうるものであって、また歴史というものはただ出来事の羅列されるようなものではないんだって。その影にはこうした個人の生きて思って動いている、そういうようなものなんだって、実感的に理解したのはこの本のおかげでありました。ええ、歴史観まで変化させてしまったのです。

この本、絶版して随分たつのですけど、復刊して欲しいなって思うんですけど、最新の研究からしたら古い記述があったりするとかなんでしょうかね、リバイバルする気配はなくて、古書で入手するしかないというのが残念なところです。私も、これ、買っておかなかったのは失敗だったと思っています。ネタ本としても優秀なので、折に欲しいなって思うことがあるんですね。

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