どうも押し紙とかいうのがあるらしいよ。そうした話を知ったのは、いったいいつの頃だったんでしょうね。もう数年も経とうかと思う、それくらい前の話。時はまさにインターネット時代、どこだったかのサイトで、写真だとか含めて紹介というか告発というかされていまして、もしかしたらそのサイトというのは、この本の著者である黒薮哲哉氏のサイトだったのかも知れません。同時に週刊誌だか雑誌の記事のスキャンも見たように思う。そうしたものがくっついてきたから、根も葉もない話というわけではなさそうだ、信じてもよい情報なのだろうという判断をした。そんな覚えがあります。
押し紙というのは、新聞販売店に押しつけられる過剰な部数のことをいうのですが、それがもう尋常じゃないほどの量になるという話。三割とか、場合によっては過半を超えることすらあるらしく、この本に現れる毎日新聞箕面販売所では50%あたりを推移しています。衝撃的なのが同紙蛍ケ池及び豊中販売所の率でしょう。脅威の7割を記録していて、うへえ、そりゃいくらなんでもやりすぎだというのが私の感想。たまたま毎日が続きましたが、他も違いはさしてありません。讀賣の4割に達し5割に迫る例も紹介されていますし、朝日だってだいたいそんなもん。で、この押し紙、新聞販売所に押し付けられるわけですが、もちろん支払いが免除されているわけなんてなく、販売所の負担になります。ただし、そこにはからくりがあって、新聞社からの補助金や、あるいは水増し部数に基づく折込チラシの収入などで押し紙の代金をまかなうようになっているのだそうです。
以前、押し紙について触れたことがありましたが、その時、私は率にして2割に達することもあるらしいとかいっていました。けれど実際の事例を見れば、そんなどころではないという状況があって、しかしなんでこんなことするんだろう。なんていってますが、話は簡単で、そうまでしても部数を増やしたいんでしょうね。部数が増えれば、広告で得られる収入も増える。また、世論に対する影響力も増やせる。そうした効果が期待されているのだろうというのが著者の主張でありました。見掛けの部数が増えたところで、影響力が増えるなんてあるのかといえば、政治への働きかけ、また政治からの働きかけが期待できる。かくして両者もたれあいの癒着関係になれば、はたしてそこにジャーナリズムなんてものは期待できるのか、いやできない。再販制度や新聞特殊指定を維持せんがために、時の政権与党に恩を与え、結果として利益を受けている新聞は、ただのプロパガンダ機関になり下がっているのではないか。
そうした著者の謂には、論拠となる周辺情報こそ多々あれど、絶対確実の証拠といえるようなものは欠けているから、読んでいるこちらとしては多少のもどかしさも感じないではありません。下手をすれば陰謀論めいたものに向かいかねないのではないか、そうした心配もないわけではないけれど、けれど新聞というものが大きな暗部を抱えているっていうことは知っておいた方がいいことであろうと思います。しかも、こうしたメディアの暗部は、新聞は絶対書かないし、テレビも新聞社と関係を持っているわけだから取り上げない。よって週刊誌や、あるいはインターネットといった新規メディアに期待するしかないということなのかも知れません。新聞やテレビが、既得権益を手放さず、新規参入を困難にする構造を堅持し続ける限り、状況を引っくり返すような機会はそうそう訪れないように思いますが、それでも放置しておきたい状況とは決して思いません。なので、まずはこういう本のあること、押し紙というものが存在しているという事実だけでも広く知られるのが肝要かなと。そう思ったので、ここにこうして書きました。
いや、新聞業界にとってはタブーかも知れないけど、私、新聞業界には読むこと以外で関係していないから。こうした立場の人間が、まるでこれは触れちゃいけない秘密のことなんだといわんばかりの態度をとる、そうしたこともまた問題かと思ったことがあったんですよ。だから私はそんな態度は、ポーズであってもとらない。押し紙っていうのがあるらしいぜ。大っぴらにいってしまうのです。
- 黒薮哲哉『「押し紙」という新聞のタブー — 販売店に押し込まれた配達されない新聞』(宝島社新書) 東京:宝島社,2009年。
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