2008年6月26日木曜日

北京いかがですか?

 私は大学院に通っていた頃、中国語を習っていたのですが、そのきっかけとなったのが小田空の『中国いかがですか?』という漫画であったということ、もう何度も書いてきたことであります。たまたま寄った書店で立ち読みした雑誌がすべての始まりだったのですよね。だからもし、私があの時、あの書店に寄らずにいたら、少なからず私の人生は変わっていました。なにを大げさなとおっしゃるかも知れませんが、中国の知人(といっても、みんな日本在住なんだけど)と知りあうこともなかったでしょう。また、気のいい学習仲間との出会いもなかったはずで、ということは2006年の成都九寨溝旅行もなかった。まあ、だとしても私には中国留学の友人があったりするから、どこかで中国への関わりを得るチャンスはあったのかも知れませんけれど、でもずっと西洋ばかり向いてアジアを気にかけることのなかった私が中国に興味を持ったのは、間違いなく小田空の漫画のあったためでした。別に中国を後進国として見下していたりしたわけではないんです。ただ、視界に入っていなかった。それくらい私にとってはヨーロッパが大きかった。ところが『中国いかがですか?』は鮮やかに私の視野を広げて、中国びいきに変えてしまいました。ええ、閉じられていた目が開かれた、それくらいのインパクトを持った漫画であったというのですね。

そして、今また小田空の漫画が出て、その名も『北京いかがですか?』。見た途端に購入決定。ええ、私は小田空のファンだから、とにかく本が出ているとなれば買うんです。しかもタイトルがタイトルですよ。『中国いかがですか?』の関連本であることは明らかで、これはもう買わないなんて選択肢はあり得ませんでした。

そして読んで、面白かった。小田空という人の目を通して語られる中国のすごく生き生きとして魅力的であること。特に今回は北京という都会がメインです。これまで語られてきた、なんだか微妙に遅れている中国というイメージを見事に払拭して見せて、いや、もうすごいですね。実際、私は成都という都会を見て、今の中国をそれなりに感じたつもりではいたのですが、いやいや、北京はなんだかもっとすごそうです。そういえば、私も北京にはいっているのでした。飛行機の乗り換え、空港の風景しか知らないからいったうちには入らないでしょうけど、でもかいま見るくらいはできたんじゃないかな。待合に置かれたタンク式飲料水、そして携帯電話充電スタンド、これらは外国人も利用するからではなく、中国人が普通利用しているものだからそこにあったんだということが、この本を見てはっきりとわかりました。今中国は猛烈な勢いで近代化が進んでいる、その渦中にあって、変化するもの、新しく現れたもの、失われゆくもの、そして消えず残っているもの、それを小田空はつぶさに観察しているのです。

あ、これおまけ。水はちょいぬる。充電器は線をどう繋いだらいいのかわからんという不親切仕様で、上海のお姉さんと一緒に思案したんだけれど、怖くてよう使えませんでした。

Beijing Beijing

私が中国語を勉強していたのは、今からだいたい十年くらい前でしょうか。十年前にはすでに中国の変化ははじまっていて、北京の駅がものすごいだとか、トイレがものすごい勢いで整備されていっているだとか、ものすごい富裕層が出現してものすごい高級住宅もどんどん建設されてるとか、そういう話を聞いて、へー、中国はがんばってるんだねえなんて思っていたんです。で、十年が経って、小田空の北京レポートを読んで、いやあ、驚きました。中国、えらい変化してますね。例えばペット事情、私の常識では中国のペットは固有名を持たず、白い猫なら白猫とか、そんな呼ばれかたしてるって話だったんですが、とんでもないですね、今は中国でもペットブーム、思い思いに思い入れたっぷりの名前を付けてかわいがってるっていうんですってさ。また買い物も、伝統の市場が消え、近代的なスーパーマーケットが主流になっていくなど、またそこに並ぶ商品も日本のものあり欧米のものあり、もちろん中国のものあり、中国のものも一流品があれば、中国人も眉をひそめる末流品があって、百花繚乱とでもいうべき状況があるんだそうです。

そういえば、中国人民の中でも富裕層はよいもの、安全なものを求めて、海外製品を選んで買っているだなんていう話がありました。そして安全を求めるのは庶民でも変わらないようで、安かろう悪かろうあやしかろうというものは避けているとか。そういうところは、日本においてもかつてきた道でありますね。私が子供の頃は、残留農薬であるとか中毒であるとか、そういう話がありました。もう少し時代が遡れば、もっといろいろあったといいます。そういう時代を経て、なりふり構わない発展から一歩引いてみて、ようやく安心や安全を第一にという状況がやってきたのだとしたら、多分中国もこれからなんだろうと思うのです。小田空もいっていますが、強烈な格差が是正されて、教育が行き渡ればこうしたことは改善の方向に向かうのではないか。一朝一夕にはいかないことだとは思いますが、でも少しずつよくなろうとしているのではないか。だって中国の消費者も品質そして安全を求めるようになっているわけですから、そうした要望が状況に変化をもたらす可能性は充分あるわけで、だから数年後の中国はまた違った顔、違った状況にあるんじゃないだろうか、そんなことを思わせるのですね。

中国の変化は、コンピュータや携帯電話、(制限付きとはいえ)インターネットなど、こうした情報技術の発達においてもかなりのものであるようで、実際私も九寨溝にいった時ですが、インターネットが当たり前に利用できることに驚いたものでした。あそこ、標高三千メートルですよ。いわば、そういう僻地においてもインターネットの利用が可能。小田空いわく、回線の基本インフラはかなり整備済み 中国人はおそらく日本人が想像する以上にネットから情報を得ていると思われるだそうですから、いやあ日本もうかうかしていられません。中国人は、政府のいいなりなんかではなく、自分で情報を得て、自分で判断を下すようになってきているっていうんです。実際、中国帰りの友人や留学生の話によると、中国政府が必死で制限しようとしているような情報は、ある一定以上の階層となるとかなり知られているのだそうで(つうか、周知の事実?)、さらに中国人は歴史的経験から政府は信用しないものと学んでいるらしく、そういうところに体制のきしみはすでにはじまっていると感じたものでした。思えば、私が中国にいったのは丁度共産党の選挙があった時らしく、そうした看板もろもろ見ながら、あんなの茶番だと中国人がいっている。その会話は日本語でなされたものでしたが、小田空のレポートによるとスタバで堂々と中国人と一緒に社会批判できる時代になりました。確かに中国は変わりつつあるようです。

これは是非とも触れておきたかった。2005年に中国で吹き荒れた反日デモの嵐について。中国に留学していた私の友人は、丁度この時期に北京にいたのです。日本政府から安全のため云々と連絡はあったそうなんですが、平気平気と帰国もせずに、普通に北京に暮らしていた。そんな彼女がいうには、北京市民はそんなデモなどちっとも知らない。普通の中国人、少なくとも彼女のまわりにいた人たちは、反日デモに参加するどころか、そうしたことがあったことさえも知らないでいた。そんな程度だったんだそうです。ところが、日本においては、まるで中国人民が皆一斉に蜂起して、街を破壊しながら、日本領事館やレストランに押し寄せたような印象で語られていました。そうした行為がおこなわれたことは一面確かに事実です。そういう不心得者、デモの名を借りて破壊や略奪、暴行をおこなった不埒な連中はおったわけです。けれどもそれはすべてではない。すべてではないのに、それがすべてであるかのように煽るメディアがある。それも双方にある。日本のメディアはセンセーショナルな絵を求め、中国は政府批判をかわすために日本をうまく利用する。そうした思惑が、実際の状況を覆い隠しているのだとすれば、それは不幸としかいい様がなく、そして目を耳を塞がれた私たちは誤った方向に向かわされてしまう — 。

見なければならないことはあるし、知らずにいてはならないこともあるし、だから報道は良いことも悪いことも、できるだけ誇張なしにやってほしい。けどメディアにゆがみがあるのだとすれば、風の吹きようで、いいことばっかりいってみたり、悪いことばっかりいってみたりするような、日和見であるのだとすれば、自分のやるべきことは、多くの情報をいろいろなチャンネルから得ることにつきるのでしょう。そのチャンネルとは、インターネットもそうでしょうが、できれば信頼できる知人など、そういうものであれば望ましい。私にとっては、留学していた友人で、あるいは留学生の中国人など、いろいろな意見、見方があればいい。そして自分で見るのが一番いい。けど、そうしたチャンネルが得られない場合には、小田空をはじめとする、様々な体験記が力になってくれるのだと思います。

最後に。後書きにて2008年の四川大地震について触れられています。私のいったという成都は四川省の省都、九寨溝も四川省です。だからちょっと心配していて、というのは成都を案内してくださった方は、日本で中国語を教えている方のご家族で、いろいろお世話になっているんですね。それに、現地で言葉交わしたお店の方、レストランでバイトしていた学生さん、記憶に残っている人、よくしてくれた人、その人たちはいったい今どうされているのだろうと思って、心配なのです。とはいえ、なにをできるわけでもなく、本当にどれだけ役に立っているというのか、大した支援さえもできずにいて、実はいろいろともどかしいのでした。

この地震では、日本から救助隊が出たりして、またそのことが中国のメディアで取り上げられて、日本への印象がよくなったなんていいますね。そのことは嬉しい。すごくいいことだとは思うけれど、今回はまあそういう風が吹いたってことなんだろうなあ。オリンピックも近いし、チベットの問題でこじれそうになってたりもしたし、そういう風を吹かしたかったんだろうと思って、そうした思惑がまるでこの災害を利用しているかのようで、それで利益を得るのが被害に遭った人たちというより、政府だったりするのがどうにも……。いや、でも長い目で見ると、よかったのだと思いたい。明日は明日の風が吹くものだけれども……。

どうか、できるだけ多くの人が無事でありますように。私の関わった人たちだけでなく、その他多くの人たちも、これ以上の災いを避けられますように。思惑でも無私でもなんでもいいから、援助の手が多くの人に届きますように。そして、決して元通りにはならないとしても、早く日常が取り戻されますように。

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