読んでいて、こんなにつらいKRコミックスははじめてかも知れません。なにかとやる気のないヒロイン、かなえが仕事を知るまでの紆余曲折、それが1巻で語られたことのすべてかも知れません。高校を卒業して、進学するでもなく、働くでもなく、ただなんとなく日々を過ごす、一日をごろごろとして無為に過ごす、そんな彼女の姿を見て、なんかすごくいたたまれない気持ちになって、胸が痛い。読んでいて、気持ちが沈むってほどではないけれど、涙がにじんでくる、そんなこともたびたびあって、それはかなえが、というよりも、かなえと同じような境遇にある人たちのことを思うからなんだろうなって思います。この漫画では、かなえを当初ニートであるといっていたのだけれど、そう呼ばれる人たちも、社会にまったくかかわりたくないわけじゃない、それこそ、描き下ろしのあいつみたいに、楽して寄生して生きていきたいわけでもない。自分の置かれた状態、これなんとかならないか、そう思っている人もいる。けれど、どうにもならない、そう思ってしまう心が痛ましくて、それでなんだか泣けてきて、ええ、つらい。なんかすごくつらいのさ。
けど、これ、一昔前、いや、もっとさかのぼらないといけないかな、昔はかなえみたいな人ってわりといたんだと思うのですよ。女子は高卒で充分、せいぜい短大程度でいい。就職は、してもいいし、しなくてもいい。漫画の中でかなえは、女の人のニートは家政婦見習いって言ってもいいんだって
いうんだけど、実際むかしは家事手伝いなんていってましたよ。でも、これは女子はお嫁にいって、それでゴール。そんな時代だったからありえたことで、今は女子でも仕事をして、独り立ちするのが普通のようになっているから、だから家事手伝いっていうのは、よほど特別な要件がないと成立しないように思うのだけど、そう考えれば確かに時代は変わったのだなあ。
この漫画では、なにをやるにも意欲がないかなえに対照されるキャラクターがふたりほどあって、ひとりは友達のまゆこ、この人はスーパーに就職して、きっちり真面目に働いてる。そしてもうひとりは、木津君。こちらはなんだか大変そう。プログラマとして就職して、過酷な現場に身を置いてる。私は昔スーパーでバイトしていたことがあるから、まゆこの職場が理想的環境だなんて思わないけど、ともあれこの漫画の中では、比較的まともな働きかたをしている人と、それから異常な働きかたをしている人があって、つまりは極端ながら二種の働きかたのモデルが出てくるんですね。
そしてかなえはというと、仕事をするということがそもそもわからないといっている。外の世界に打って出ようという、そういう意欲がそもそもないんです。自分も仕事をしようという段になって発せられた言葉、社会って もっと人間味のあるものだと思ってたけど
なんてのは、すごく象徴的でした。自分は能力がない、自分はなにもできない、要求に応えられない。社会の求めるものを過大に捉えすぎて、自分では努まらない、きっと振り落とされてしまうと思って怖れている。怖れるあまりに、社会に関わることができなくなってしまっている。こうした社会や仕事への誤解ともいえる恐怖が、彼女から気力といったものを奪う原因になっている、そのように思えてしまうのです。
仕事を社会と考えてみれば、社会と折り合いをつけられたまゆこのような人がいれば、社会に関わりを持ったはいいが、今にも押し潰されそうな木津君のような人もあって、そしてそれ以前の問題として、社会に対する不信のために前に進めない人がある。実際、ニートと呼ばれるような人というのは、かなえに同様の考えかたをしている人が少なくないって聞きます。自分なんて駄目だ、社会に通用しないゴミみたいなもんだって思っている。あるいは、社会は自分の価値なんて認めてくれない、でもいい。過剰にネガティブな感情を持っているために、あまりに過大で非情な社会と、あまりに矮小で無力な自分のアンバランスに苦しんでいる。そりゃ、社会に関わりたくとも、関われないよなって思います。社会に出るっていうことを、戦いのように感じていて、しかもそれがあまりに強大すぎるっていうんだもの。挑戦したくっても足がすくむって。気力だって失せるって。そうしてすくんで、立ち上がることさえもつらくなった人、そういう人がニートだっていうのなら、社会は彼彼女らにどう手を差し延べるべきなんだろうなって思います。
この漫画が時につらくとも、深刻なところまで落ちていかないのは、かなえのほんわかしたキャラクターと、そして少しずつでも前に進んでいくところが描かれているからなんだと思います。職安にいって、まあそれはなんの役にもたたなくって、いやにリアルな気がするんだけど、でもバイトながらなんとか職を見付けてね、それで働くっていうことを知っていく。そのプロセスは、もう本当に要領の悪い、そういうしかないものではあるのだけれど、社会のいい加減さを知り、仕事の責任を知り、そしてなんとか求められたことに応えて、それが自信になっていって、進んでいくこと、学んでいくことに意識を向けられるようにもなって — 。成長していく。かなえのそうした様子がとてもいじらしくて、応援したくなってたまらないのですね。そして願わくば、いま社会に対し怖れを抱いている人があれば、かなえがそうであったように、少しずつ関係を回復することのできる場があたえられたらどんなにかよいだろうと、そんな気持ちになるのですね。
ところでだ、KRコミックス好例の描き下ろし。こんなにありがたくない描き下ろしははじめてかも知れません。まあ、それでも面白かったりはしたんだけど、けど本編の途中にこいつが出てくると、うわっ! なんか損した気分になるっていうね。やっぱり、こういうやつもいるでしょうからね、っていうんだけど、こういう人はこういう人で問題ですよ。一定数、こうした人も社会には存在していて、かじれるうちは、親のすねをかじってしのごうと思っているのがいるかと思えば、家庭の外に出て女のすねかじったりしてね。かなえみたいに、怖れすぎているケースも大変だけれど、描き下ろしの小僧のように世の中をなめきってるケースも大変だよなって。ああ、この大変っていうのは、社会の側が大変っていうことです。こうした人たちもあって社会なんです。まねきいれて、うけいれて、そして共存していく。そのためには、社会はどういう手を打てばいいんだろう。
私なんて、社会の周辺で、つまはじきされそうになりながらぶら下がってるような程度のものですけれど、そんなでも、こうした彼女彼らとともに暮らしていける社会ってどんなだろう、どうしたら皆が少しずつでも仕合せの方向に歩みを進められるのだろうって考えます。好き嫌いは当然あって、あの小僧みたいやつはどつきたくなるし、かなえを前にしたらいらいらもするかも知れない。けれど、社会はこうした彼女らをも内包して社会なんだと思うから、そんなに不安や怖れを抱かなくとも暮らせるような状況に、少しの厳しさと包容力を持った状況に向かうことができればよいなと、ついそんなことを思ってしまうんです。
- 双見酔『空の下屋根の中』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2009年。
- 以下続刊
引用
- 双見酔『空の下屋根の中』第1巻 (東京:芳文社,2009年),19頁。
- 同前,50頁。
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