2008年5月31日土曜日

ようこそ。若葉荘へ

  眼鏡ヒロイン三連続。なんてことはどうでもいいとして、『ようこそ。若葉荘へ』がめでたく完結いたしました。はじまった頃は確かに東宮院華憐がヒロインだったのに、気付けば荒井アラシがメインヒロイン位置に着けていたという漫画です。あまりに意外すぎた展開に、え、今どうなってるの!? とまどいながら読んだのも懐かしい。けれどその戸惑いに再びまみえる日がこようとは思いもしませんでした。ラストに向けての急展開、なんらの心の準備もなく、主人公もヒロイン(荒井の方)もラストステージに放り込まれて、私はついていけなくて目が点。こ、これは終わるな! そう思いはしたけれど、急転直下の大団円、本当になにがなんだかわからんうちに終わりました。

けど、その怒濤の激流に揉まれ、振り回されるのもまた楽しかったかもなあ。先がまったく予想できない、なんてったって、予兆がないんだもん。新たな展開、新たな前提がどしどし現れる中、えっと、これいったいどこに繋がってんだろう、なにぶん月刊連載ですから、前回を忘れてしまっているということはよくあることです。思い出そうとするも思い出せず、確認すれば新事実。でも、第2巻読んでると、明かされなかった新事実はまだあったようで、そうかあ、もっと振り回される可能性があったわけだ。それが実現しなかったのはつくづく残念ですが、けどラストの展開で充分かも知れません。それくらい激動でした。

男主人公がハーレム的シチュエーションに置かれる、そうした舞台を設定する場合、どうしても主人公は優柔不断にならざるを得ないのか、『ようこそ。若葉荘へ』主人公沢井健太郎もそんな具合です。平凡、優柔不断、そんなお前がなぜモテる!? でも、こいつを決断力ある魅力的な男にしたら、早い段階で東宮院に突進して、ものすごい勢いでケリがついちゃうから駄目なんでしょうね。そうしたら、荒井がヒロインの位置に躍り出ることもなかったわけで、だから沢井はそれでいい。むしろそうでないといかんかったのです。

すんません、荒井が好きなもので。

東宮院、荒井二人を筆頭にして、若葉荘住人のどたばたコメディ繰り広げられたわけですが、加藤メインエピソードがなかったのはちょっと残念。というか、他のキャラクターにしてもまだまだ掘り下げの余地、広げられる余裕があったと思うものだから残念です。深く心情を掘り下げていくタイプの漫画ではなかったとは思うのだけれども、それでも主に荒井の気持ちの揺れる様子はよかった。表向きは強気で粗雑で荒っぽいのに、実はプライドと自己否定との狭間に迷っていたというところなんてのは絶品で、沢井の中にあるしーちゃんのイメージと今の自分とのギャップに怯え、しかし今の自分を見てくれるようでないといやだという。だからこの話が荒井シナリオでもって決着した(した?)のはよかったなあ。なんて思うんですが、けどあの沢井はあんまりにも失礼だ。しーちゃんとしての荒井が好きなんでなく、今の荒井が、眼鏡の荒井が好きなんだといってやれ。それを沢井はあんな言い方をして、だからもう二三発殴られるくらいで丁度いい。というか、あんな娘に殴られるだなんて、むしろご褒美だと思います。

あとがきに、面白くなるのはむしろこれからじゃないのかみたいなことがありましたが、実際私もそう思います。私は多分、地の東宮院の方が気に入るはずで、しかしそれがなぜあの沢井を奪いあう!? というのはどうでもいいとして、けど本当にまだまだ広がる余地があった。そんなところで終わったものだからちょっともったいないですね。けれど終わるには終わるだけの理由があるのでしょうから、まだこの人たちの話を読みたいぞと、そう思えるところで終わったことがむしろよかったのだと思うことにします。

  • 阿倍野ちゃこ『ようこそ。若葉荘へ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 阿倍野ちゃこ『ようこそ。若葉荘へ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。

2008年5月30日金曜日

きつねさんに化かされたい!

  『きつねさんに化かされたい!』は実に私のお気に入りの漫画で、それこそ急所をぐさりと突くようなところがあるのです。絵柄、キャラクターの異常性、そして変にドライなところ。もちろんそのドライさは意図されたもので、わあわあと異様な盛り上がりを見せる局面に、冷たく乾いたきつい一言が投下される、その思い切りのよさがよいのですね。しかし、そうした言葉、表現が効果的に響くのは、ある種読者のつっこみを代弁するものであるからでしょう。あからさまな偏りを見せる人たちが、その偏りをむしろ王道と強弁するその際に、そんなわけないだろうと対立する陣営からつっこみが入る。そしてそのつっこみから派生する暴走に、今度は第三者から切り捨てるがごとき勢いでつっこみが入る。変態とは仲良くしない。おおお、なんとひどい一言でありましょう。

それをひどいというのは、以前、こんなこと書いたことがあったからです。

えっと、私が好きなのはこくりさんだけじゃありませんで……、甘ロリ服もいいけど和服もねってやつでして、見た目キツ目の子供で中身は年増って、実は最高なんじゃありませんか!?

ああ、ほんと、もう駄目だ。変態だ。変態とは仲良くしない!

きつい一言が飛び交うこともある『きつねさん』ですが、それでもそれがぎすぎすした感じにならないのは、その変態変わり者たちが筋金入りで、ちょっとやそっとじゃへこたれない強さを持っているからかも知れません。それと、そうしたきつさを緩和する要素、あまりに素直で、あまりに無垢、純粋なこくりさんの存在でしょうか。でもここに私は、なんのかんのいって仲が良かったり、相手のこと思いやったりしてるって、そんな要素があるってことをいいたい。特に先生の田中に対する態度などがそうで、どれほど好きだ好きだ愛してると言い寄られようと、無下にあしらう態度は一貫してぶれがなく、でもそれはあくまでも教育者の立場を崩そうとしないためであって、本心では気に入ってるし、憎からず思ってるんじゃないの!? と私は思いたい(すんません、妄想です)。でも、多分、これが本当だと思うんだけどなあ。思いたいだけかなあ。ていうか、もういい加減、愛してるっていってあげたらいいじゃないですか。

ともあれ、仲が悪いのではなく、仲が良いからこそのきつい一言なんだと思うんですね。そして、そういう仲の良いと感じさせる雰囲気、変わり者をも受け入れる懐の深さが、あの保健室の繁盛を生み出している最大の要素なのかもなと、そんなことを思います。入り浸るきっかけこそは眼鏡やらなんやらであったかも知れないけれど、しまいには打ち解けた人のいる場所になったように、獣耳やキュートな美少年が目的の人たちも、いつかはそこが大切な場所になるのかな、なったらいいなと思っています。

というわけで、第3巻でも新規の人たちが出てきて、鷹尾望と山村祐樹。山村祐樹は男だからか、話の中心をとることは本当に少ないけれど、鷹尾に関してはもうかなりの勢いで中央に躍り出て、派手なキャラクター、魅力的な台詞回し、そしてどことなく歪んだ認知が素晴らしく、そしてあんずとのからみ。思想の敵であるにも関わらず、こんなにも惹かれるなんて — 。一種のロミオとジュリエット的展開には、村田先生ならずともわくわくとさせられて、本当によい盛り上がりを見せています。そして、不遇な片思いの連鎖。常に現実が希望願望理想から外れている鷹尾の嘆きには、小生も思わず落涙でありました。けれど思い掛けない内心の発露、普段の態度の裏に隠された本心がぽろりとあらわにされる描写は、鷹尾のみならずすべてのキャラクターにおいてその魅力を増大させて、共感もあらば、人という存在への愛おしささえ感じさせるようで、うまいなあ。ほんと、そういうふとこぼれる人の気持ちの綾に、私はひかれます。

ところで、よくよく考えたら、変態とは仲良くしないは、初対面での台詞じゃないか。いや、でも、まあいいや。彼が変態なのは間違いなさそうだし。ということか、やはり私も変態か……。

蛇足

変態ついでだ。眼鏡の田中さんもべらぼうにかわいかったけれど、機能性重視型こくりさんは、普段よりも数倍素敵であったと思います。それと、これはどうでもいいんだけれども、バレンタイン仕様のあんずはすごくかわいかったし、制服鷹尾さんも結構好みだ。

ところで、山村祐樹ですが、自分の興味の対象を前にして、その関係に参加することなく傍観者であることに徹している彼は、ある意味悟ってるなあと、感心してしまいます。彼は自分が、自らの人生の主人公になることを妄想しない。実に超越的であります。

さらに、ところで。そういうゲームが出るというのなら、予約してでも買います。面白かった。そんだけです。

どうでもいいこと

忘れるところだった。

Amazon.co.jpできつねさんにをキーワードにして検索してみたところ、検索結果第二位に『ごんぎつね』が! ちょっとうなぎが食べたくなりましたの関係ですか?

Searching with the keyword "きつねさんに" on Amazon.co.jp

それはそうと、リストマニア!に紹介されているひよさん。こちら、作者の桑原ひひひさんご本人であります。

引用

2008年5月29日木曜日

あぶない!図書委員長!

 十年二十年前ならいざ知らず、今更眼鏡を云々する気にはなれないし、それに私はメイドにも興味がないときています。委員長という肩書きに心動かされることもありませんし、巨乳なんぞとなればもってのほか。なのにこうした方面への傾きを強く感じさせる西川魯介の本が出ていると察知すれば、きっと必ず買ってしまうというのだから説得力がありません。けれど、西川魯介の漫画はすっかり高度専門化しちゃったなあ、特に眼鏡やらそういう方面の描写、話の展開、それからギャグなどもろもろにそういったこと感じること多く、その特化具合、すっかりできあがった西川魯介的世界に、私はそろそろ振り落とされるのかも知れないなと感じることがあります。特にここ最近の図書委員長ネタにおいてはその傾向色濃く、でもそういいながら新刊が出てるのを見かけたら買う。だから結局は好きなんでしょう。西川魯介を切るか、あるいは切られるか、そのどちらであるとしても、私はまだこの人の漫画をあきらめきれずにいるようです。

西川魯介の専門化、それは結局は、西川魯介の提示するキャラクター、のり、物語世界の雰囲気などなど、そのカバーする範囲がどんどん絞られ、深化しているということだと思うのです。だから、きっとこの提示される趣味にぴったりマッチするような人、同じ世界を見、価値を共有できる人にはこのうえもない楽しさがあって、読めば読むほどにはまる、深まる、どんどん持ってこいってな状況にもなろうというのでしょう。ですが、その先鋭化する世界に違和感を感じたものはどうなるかというと、はじき出される他ないわけでして、そして私はその限界の線上にいるのではないかと、我が身を省みて思います。

ここ数年の状況、薄々思っていた以上のこと、今日『あぶない!図書委員長!』を書店にて見て、こうして新刊が出ることの喜びを感じつつ、しかしいよいよ追いつめられたような気分にもなったのは、これが眼鏡図書委員長を前面に押し出したものだったからでした。ああこれは危険かも知れないなあ、用心しいしい読みはじめ、正直、電車の中で読むのは少々きつい展開。まあ、それでも読むんですが。『あぶない!図書委員長!』は、いつもの魯介節からはじまって、嫌いじゃないさ、嫌いじゃないよ。けれど最初の二話ほどは少々の厳しさ感じたことを白状します。そのきつさが緩和されはじめたのは第3話くらいからだったでしょうか。いや、女装美少年が出てきたからじゃありません、多分。むしろ私がここで心を緩めることができたのは、片岡と高山の間に流れる、ほのかに息づき動き出す心の微細な震えの甘さのためでありました。

そうでした、私が西川魯介を好きだといったのは、こうした震える心のありようを描き出そうとする筆致、叙情感じさせる景色がためだったのでした。だから、『図書委員長!』は、水野委員長が少し退く第3話以降に、そして同時収録作である『dioptrisch! — ディオプトリッシュ!』においても、眼鏡眼鏡とかまびすしい奴らを尻目にふと盛り上がりを見せるかと思われた望月、阿部の交わす視線に漂う色のあでやかにしてうぶである様に心を持っていかれそうになって、ああ、やっぱり直接的な性表現はいらないですよ。誰かに、憧れをともに触れようとする時のしびれにも似た感覚、鮮烈で清冽であるがゆえに、恐れを感じないではおられず、怯えをともにおずおずと伸ばされた指がそっとあの人の心に触れる、そんな世界に再び立ち返るかのような気配を感じて、私は少し嬉しかったです。

こうした傾向、これからも続くのか、それともより以上に専門化が進むのか、それはわかりませんが、まだ私は西川魯介の漫画に触れていたいと思っているようだということが知れて、それはとてもよかったと思っています。

2008年5月28日水曜日

ふおんコネクト!

  『ふおんコネクト!』第2巻発売! アレルーヤ! といっても、出ることは確実と確信していたので、ことさらに喜び庭駆け回る必要もないのですが、けどやっぱり嬉しいことですよ。『ふおんコネクト!』はマニア向け小ネタ多めにして、しかしそれだけにとどまらない広がりを持った漫画であります。小ネタに限らず台詞や書き込みも多いものだから、読むのに時間がかかるなんていわれたりもするようですが、けれどその時間のかかる漫画をことさらに時間かけて読んでいるのが私です。小ネタを満喫したいから? そうかも知れませんね。けど多分そうじゃありません。私が『ふおんコネクト!』を異常な時間をかけて読むのは、その描かれている世界に没入し、引きつけられるままにからめとられてしまっているからだと思います。

私の『ふおんコネクト!』の読み方は、なにをおいても反復が特徴的です。ひとつの話を読むにあたり、何度も何度も同じところをなぞって読んでいる。それはわかりにくいからではないのです。わかっても、理解できていても、まだ読む、同じ台詞を、立ち止まり足踏みするかのように読む、ひとしきり読めば戻る、その繰り返し。それは、私の気持ちが、時間に対し追いつかないからなのです。思うところが大きすぎて、一通り読み通す時間では到底足りないのです。だから、後戻りする。後戻りを繰り返しながら、私の感じたところが満足し、収まるのを待つというのでしょう。けれどこうした反復はなおも感動を後押しするから、もうまったく収拾がつきません。雑誌連載一回分、決して多くはないページなのに、それが何十分もかかったりするのは、この漫画が私の気持ち、心を捉えて、振り回すから。そして私は、抵抗なく、いやむしろ自分から飛び込むみたいにして振り回されている。それは、それだけの面白さ、よさ、感動があるからに他なりません。

第2巻はその傾向が強かったですね。雑誌であれだけ読んで、もう壊れたレコードみたいに同じところばっかりリピートして、それこそ目に映像を焼き付けるつもりかというほどに読んだのに、単行本でも読む、まだまだ読める。大枠を読み、流れを読み、細部に目を配り、登場人物に移入して、そして物語に戻る。ああ、もう、負けっぱなしだなあ。けれど、この負けたって素直に思える感じ、それはこの漫画の強さゆえですよ。読んでいる私をぐいぐいと引っ張る引きの強さ。ものすごいドライブ感があります。ドライブするもの、それは、キャラクターであり、小ネタであり、絵であり、張り巡らされた伏線であり、物語ろうとする意思であり、そして情緒。あらゆる要素が一致団結し、ひとつ目標に向かっている、そういうエネルギーが満ちている、そんな漫画であります。

ひとつ目標、そりゃなんだといわれれば、読者を喜ばそう、面白さを作り上げようということなんでしょうが、ちょっとそのレベルは超えつつあるかなというのが私の感じるところです。緻密に構成される物語が生き生きと動き、躍動する。そうした感覚を覚えることがあって、昔から作品をもってひとつの生命になぞらえることってありますが、本当にそんな感じがします。ああ、生きてるなあって思って、そしてこの生きた躍動が私をどこにつれていってくれるのか、たとえそのたどり着く先がわからなくとも、安心して身をまかせていられる。その信頼感のために、私は『ふおんコネクト!』に気を許し、耽溺するというのでしょう。読み終えた時には完全に心が開かれていて、楽しい話なら楽しさにあふれ、深く心に訴えるものなら声もなく、ただ感極まるばかり。そしてこの漫画がこれから先、なお発展し、広がりを持つというのなら、もう私はどうなっちまうのだろう。心配になるくらいですが、いやそんな心配なんのその、存分にやってくださいませい。壊れてしまうこと覚悟で、見事振り回されてみせますよ。

  • ざら『ふおんコネクト!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • ざら『ふおんコネクト!』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年5月27日火曜日

とりねこ

 『とりねこ』、鳥と猫という相容れない存在をタイトルに盛り込んで、そう、この漫画は対照的なるものの同居ものなのであります。鳥と猫、鳥は白文鳥、猫は黒猫、文鳥の名前は大福、和菓子で、猫の名前はマカロン、洋菓子、文鳥の飼い主はボーイッシュ眼鏡の美少女、猫の飼い主はフェミニンな美女。けれどこんなふたりには似たところがあって、それは自分のペット大好きというところです。ペットの文鳥を馬鹿にされて大げんか、結果アパートを追い出されることになった梅田ちはると、ひとり大好き、マカロンがいればそれでいいの、しかし人付き合い苦手が高じて弟にまで心配される七北田亜希。自分のペットを愛して愛して愛しているということに関しては負けず劣らずですが、それ以外は結構違っているふたりの同居をめぐる風景が描かれて、それがなんだか楽しい漫画です。あ、名前が春と秋で対照になっていますね。

けれど、実はそんなにちはると亜希って対照的ではないなあと、はじまった当初なんかは思っていて、それはきっと亜希が猫かぶってたからだな、ってのは別に駄洒落をいいたかったわけじゃありません。人前ではしっかりとしたクールな美女を演じているけれど、プライベートでは結構だらしなくて、しかしそうした性質も魅力的と感じられるのはどうしたもんでしょう。天真爛漫、行き当たりばったり、根は明るくポジティブで、喜怒哀楽が豊か。しかしながら我が強く、わがままをとおす術を知っていて、時には思いやりを示すもののどことなく自分ペースは健在で、けどそれが嫌みに見えないのは美人だから? でもさあ、こんな姉がいたらなあって思いますよ、実際の話。44から45ページにかけてのシーケンス、おかえりちはる!から一緒に食べようと思って待ってたのの流れ、ああ、もう、なんて魅力的なんだ。っていうのは、きっとこの人が私の姉ではないからそう思うんだろうな。もし実の姉がこんなこといい出したら、全力で警戒しなければならないシチュエーションです。

亜希さんがポジティブならちはるは結構ネガティブ。心配性の不幸体質で、わりかし神経質、でもってきっとお人よし。人の顔色うかがうようなそぶり見せる割に、思ったことを思ったままにいうタイプで、つましい倹約家、物事はきっちりこなさないと気が済まないくせに、意外とうかつでおっちょこちょい。クールなふりしてるけど、困った人を見ると手助けしないではいられないような、本心と自己表現がちょっとずれてるようなところがどうしようもなくキュートなお嬢さんです。この人のいいところは、こうした人のよさを亜希さんにすっかり見通されてしまっているとこじゃないかなと思ってて、それどころかマカロンにさえいい感じに振り回されて、でもそれがだらしないとか情けないとかじゃなくて、なによりの魅力と感じられるんですね。ほんと、かわいい人だと思います。昔、学生時分、後輩にこんな感じのお嬢さんがいましてね、私結構好きだったんですが、どうともなりませんでした。ともあれ私は、こういう自分には魅力がないと思い込んでいるお嬢さんが気になるようにできていて、なにをいってるんだ、こんなにも魅力的だのに! とはげましたくなる性質を持っているものだから、ちはる見てると、もうたまらんね。こんな調子だから、『とりねこ』、連載の開始された当初から、一貫して好きであり続けました。ええ、本当、好きでした。

私がこの漫画を好きだというのは、ふたりのヒロインが魅力的ということもあったけれど、ふたりのペットであるマカロンそして大福さんもまた魅力的だったから。ええ、私は猫が、そして鳥も好きなんです。あれは幼稚園に通っていた時だったかなあ、もう小学校に上がってたかな? うちに白文鳥が迷い込んできたことがあったんです。その鳥を母とふたりでうまいこと捕獲して、保護して、しまいにはうちの鳥になったんですけど、その後つがいを買ってきて、雛も生まれて、都合六七年飼っていましたね。いや、迷い込んできた文鳥は八九年あるいはもうちょっと生きてたかも。私が中学生だった頃の、季節は冬、寒さでね、死んじゃいましてね、かわいそうなことをしたと思っています。鳥は自己主張できないから。申し訳ないことしました。

文鳥は雛のうちから人に馴らすと、手乗りになりまして、それはそれはかわいいものなんです。チチ、チチと鳴きながら飛び回って、肩に、手に、頭に乗って、愛嬌をふりまきます。鳥を放している時は、踏んだりしたらおおごとだから、足もとなど細心の注意はらって、ガスなんかも全部消して、危なくないようにして過ごすのですが、本当、楽しかったですよ。子供の頃は籠の鳥に歌いかけたりしましてね、ええ、鳥はよいものです。そんな楽しさ、嬉しさ、かわいさ、心地よさをこの漫画は思い出させてくれたから、なおさらに好きだったのでしょうか。

それほどにストーリーが込み入って盛り上がるような漫画ではなく、細部にこまやかな面白さ、楽しさが込められた、愛らしい連作掌編の趣のある話であったと思います。ペットのいる生活の楽しさは、ペットにいやされる、喜びを与えられるばかりでなく、弱い彼らを守ってやらないといかんのだという、そうした責任も込みであるからこそのものなんだと感じられる漫画でした。自分のペットは大事、だからこそ他人のペットも大事、ましてや大切な同居人のともなれば……。そうした心配りが感じられたところもまたよかったと思っていて、猫好きと鳥好きは同居できる。違った個性、感性をお互いに認めあいながら、楽しく暮らしていける。こうした感じが幸いでした。けど、最後には自立を選択するというところ、甘えすぎず、けれど突き放したりはしない。それぞれが相手を、自分のやり方で尊重し、愛着を示して、そうしたべたべたしすぎない、程々の距離をわきまえた友達のあり方というのは、素敵だな。そう思わせてくれたんですね。

実際の話、もっと読みたい、続きがあるなら! と思うくらいのところで終わったのは残念だったところで、けれどそうした飢餓感を残すくらいが丁度よかったのかも知れませんね。それにこの話が、前後編の『ファミレス☆スマイル』に連なっていたように、この話に多少の関係を持った物語が今後描かれないとも限らない。いや、たとえそれが描かれなくっても、新しい生活を始める二人の関係の広がりが示されたラストは、飢餓感を和らげる、そんなふくよかさを持っていたと感じられます。

ところで、あまりに大福さんがかわいいから、自分でも描いてみたくなりました。

Daifukusan

トラックボールでがんばった! でも、やっぱり野々原さんの描く大福さんの柔らかさ、愛らしさは特別で、私の絵はなんだか鏡餅みたい。野々原さんの大福さんは、リアル志向もデフォルメされたのも、皆かわいく、眺めているだけで嬉しくなるようなチャーミングさにあふれています。ああ、Vol. 07の扉絵などは、このうえもなく魅力的で、なんとか壁紙にとかできないかなあ。無理だろうなあ、私はそっち方面の才能ないから。なので、たまにページ開いて愛でる、そういう感じでいきたいと思います。

蛇足

七北田、梅田、そして広瀬。これってみんな川の名前なんですね。七北田は、よう読めませんでした。ななきた、難読地名ってやつですね。

  • 野々原ちき『とりねこ』(まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。

引用

  • 野々原ちき『とりねこ』(東京:芳文社,2008年)、44頁。
  • 同前,45頁。

2008年5月26日月曜日

わたしの母さん

 先日、朝日新聞のコラム、天声人語に紹介されていた本、『わたしの母さん』が妙に気にかかったので買ってみることにしたのでした。いったのは大阪梅田の紀伊国屋書店。児童書の棚を一巡りして、見付けられず、そうだ、それで『はじめてのこぐまちゃん』を買ったんだった。その支払いの際に、探している本があるんです。これこれかくかくしかじかと説明して探してもらったら、出版社にも在庫があるかどうかわからない、どうしますかとの返事。ああ、せっかく探してもらったんだから注文します。しかし帰宅後Amazonで調べると、注文不可の状況。これは入手できない可能性が高いと思っていたら、昨日、入荷しましたとの電話がありました。ああ、Amazonでは注文できないけれど、書店で頼むと取り寄せが利くみたいですよ。

私がこの本を気にしたのは、その紹介されていた内容のためでした。小学四年生の女の子高子が知った母の秘密。簡単な計算もできない母、漢字が読めないという母に感じてきた違和感の正体、それは母が知的障碍を負っていたということだったというのですね。そして、台詞がひとつ引用されていました。母の恩師が高子にいった言葉。人間の賢さは、学校の勉強ができるか、できないかで、決まるものじゃないわよ。この台詞を引用する前に、苦手なこと、できないことがあっても、工夫しながら乗り切ろうとしている母のエピソードが紹介されていた、これが決め手であったのだと思います。それは、このふたつが併せて紹介されていることで、少しずつどこかが欠けている私たちが、それでも懸命に生きようとするところに価値があるのだといっているように思われたからなんです。

そして、その少しずつどこかが欠けているというのは、私にとっては他人事や、ましてや比喩などではなく、というのは私も欠けた人間だからです。具体的にいうと、脳に器質的な障害を持っているらしいというのですが、アスペルガー症候群と呼ばれるタイプの自閉症であるようなんですね。ようだというのは診断書をまだもらっていないから。けれど、かなりの濃厚さでもってアスペルガーとみなされていて、確かに私がASであるとすれば説明のつくことが多すぎて、ああもう確定だなあと私自身も思っている。けれど、昨年まで、そんな可能性すら考えたことがありませんでした。アスペルガー症候群という症状というか状態があると知っていたにも関わらず、他人事だと思っていた。それが急に当事者と知れて、参りましたねえ。でも、まあいいかと思った。そんな風に違和感なく受け入れられたのは、それだけ生きづらさの前にくたびれていたということなんだろうと思うんですが、けどなにごともはっきりとするというのは悪いことではないとも思うんですね。

話を戻して、私がこの本に興味を持ったというのは、直感で、知的障碍を持つ母親と健常とされる娘の関係を通じて、多様な人間が共生できるということを描こうという本に違いないと思ったからで、だとしたらこの本は私のような人間にとってきっと大きな力になる、参考になると思ったからです。なぜなら、ASである私は、他者との共生に問題を抱えているからです。一般の社会において私はどうしても生きづらさを感じてしまうし、また逆に、一般の人との共同生活において、私は彼らに多大な迷惑を感じさせてしまいます。それはもう仕方がない。よくいわれるのは、両者が属する文化が違うからなのだというもので、ある種相容れない部分を持った文化が衝突する。そうした現場で、少しでも両者が仲良く暮らすには、お互いが敵を知り己を知り、敵じゃまずいか、互いの文化をよりよく理解し、双方ともに相手を受け入れるという努力を怠らないことが大切と思っています。少数派が多数派に遠慮するのではなく、多数派も少数派を荷物のように抱えるのではなく、お互いがお互い様としての関係を良好に築き上げることが大事なのだろうと。そして、こうしたことは私、ASにおいてもそうですが、この本にいう、知的障碍を持った人においても変わらないのだろうということを思ったのです。

『わたしの母さん』、高子の母は、知的障碍を持つゆえに、皆にできることができなかったりします。母は高子に自分の障碍を知られることを怖れ続けていたのですが、しかし本当なら隠したりせず、堂々としていたかった。けれどそれでも告げることができず、びくびくとしてきたという、その気持ちは痛いほどわかります。自分がマイノリティであることを確定的に知られる、ということは、本当におそろしいことです。だから隠す、隠すから引け目がある。そうした、自信を持てない、自分のらしさを押し殺して生きなければならないことはつらく、けれど、その自分らしさが受け入れられないかも知れないという怖れが、自分らしく振る舞うことにブレーキをかけさせるんですね。

この本においての登場人物の役割は、母が少数派の代表、高子が多数派の代表だと考えるのがよいのでしょう。偏見を持ち、少数派を遠ざける。そんな、少数派について知ろうともしなかった高子が、母の抱える現実を見据えることでだんだんと変わっていく。その過程は一言、素晴らしかった。悩みながら、怖れながらも、与えられた現実に負けず、よい母であろうと努力していた母親。そんな母親の真実を知って、また母を理解しようとし受け入れている人たちとの交流を通して、偏見を流し、母に向き合うことのできるようになった高子。ある種、理想かも知れない話です。ですが、自分の障がいに甘えるんじゃない、貴子の母がまだ若かった頃に、恩師にいわれた言葉でありますが、だとしたら私たち、多数派も少数派も、現実の前にあきらめるべきではないのでしょう。現実を前に、よりよい状況を作るべく努力するということ。欠けた部分を持つものは、それを埋める努力、あるいは迂回する努力を放棄すべきではないし、足りているものは偏見を拭い、ともにあれる環境を整える努力を怠るべきではない。そして、こうした不断の努力こそが、人間の価値を決めるのではないか、私はそのように思います。

あと、蛇足。すべての人は多数派であり、また少数派であるということを忘れてはならないとも思っています。私は確かにある面ではマイノリティですが、異なる面ではマジョリティになりえます。自分は少数派だから手を差し伸べられて当たり前なのだ、多数派だから恵まれているのだ、こうした勘違い、驕りが往々に問題をややこしくしていると感じています。私が先にいったように、誰もが多数派であり少数派でもあるから、少数派と多数派の共存可能性の高い社会は、多くのものに多くの利益を与ええます。それを思い違いしてはいけないのだと、私は自らを戒めます。

引用

2008年5月25日日曜日

Reflection, taken with GR DIGITAL

ReflectionGR BLOGのトラックバック企画、5月のお題は空であります。空というと、夏になるとなんでか私は空ばっかりとる癖があるのですが、いくらなんでも芸がないだろうとでも思ったか、空メインの写真はだんだんと減ってきています。けれどそれでも、印象的な景色に出会った時、ぱっと撮るとその背後に空が広がっているというのはよくある話。なので、今回はそういうものを選んでみました。

休日、雑誌を買いにコンビニまで行く道すがらに出会った光景です。竹林沿いの下り坂、左手には空が広がっていて、ああ気持ちいいなあと思って撮った写真です。そして山吹の向こうに小さな畑、住宅街、山、そして空。こうして写真に撮ってみると、実に田舎だなと思わないではおられませんが、そこにのどかさがあるのだとしたら、自分の暮らしているところが田舎だというのも悪くないと思います。

Bamboo grove

Japanese rose

ついでに。冒頭の写真は、大阪天満橋、オフィス街です。都会の空には都会の空のよさが、田舎には田舎の空のよさがあるということなのでしょう。私がすごいと思った空は、美瑛で見た空でした。普段見る機会に恵まれないからか、大きく開けた空の気持ちよい美瑛は素晴らしかったです。

おまけ、大阪の夜景

Osaka twilight

2008年5月24日土曜日

西部戦線異状なし

 塹壕戦には興味があります、だったらこの映画を見るべきでしょう、なんてことを先日書いていましたが、買ってきました。駅前のレコード店のワゴンにて売られていたものを、適当に買ってきたのですが、パッケージを見ればどうもGPミュージアムソフトの版であるみたいでして、価格は五百円。対してAmazonでは2,100円。この価格差はなんだろう。けど、気にしません。そのへんのもろもろはどうでもいいです。人によっては字幕であるとか、吹き替えの声優であるとか、画質、編集、特典などなど、こだわりをみせるところなのでしょうけど、そして私にもそうした嫌いはないではないのですが、しかし『西部戦線異状なし』に関してはそうしたことは気になりませんでした。それよりも、描かれている内容に対する興味が強く、そして見終えて、これは名作といわれるだけはあるねえと、がっかりしながら思ったのでした。

がっかりしながらっていうのは、つまらないとか期待外れだとかいいたいんじゃなくて、その逆です。第一次大戦を戦うドイツの前線を駆け抜けていった若者たち(おっさんもいたけど)の姿が、あまりにも鮮烈で、儚くて、やりきれない悲しさが胸いっぱいに押し込まれたみたいになってしまったんですね。いや、わかってたんですけどさ。そもそも私がこの映画を見ようと思ったのは、第一次大戦の塹壕戦をよく描いている映画だと聞いていたからですし、そういわれるからには、そこには悲惨悲哀があふれているに違いあるまいと予想がつこうというものです。

そして、実際に悲惨悲哀はあふれていて、しかしそれ以上のものがありました。悲惨悲哀のあるということに対し、まったく目を向けようとしない者たちの姿があったということがあまりにも切なく、主人公ポールに対し真の意味で共感を寄せたものは、家の女達だけではなかったか。この映画を見て、ああ、母というのはありがたいものだとは思ったけれど、それ以上に母から子を奪ってしまう戦争のむごさを思ったものだし、戦地においては塹壕にて消耗し、戦闘にて損耗し、野戦病院においても過酷を味わうという、その非人間性に恐れを抱いたものでした。

実際の殺し合いの現場としての戦場を意識しないでおれば、古い戦争にどことなくのどかで朴訥とした様子を思い起こすこともあるようですが、実際にこうして映画として見せられると、なにいってやがるって話です。砲撃を繰り返した後に突撃、機銃弾浴びせられながら運よく敵陣にまでたどり着ければ、そこでは銃剣サーベルスコップなんでもありの乱戦となって、ああ、もう、むごい。ああした極限の現場に身を置いて、どうして人間性を保ってなどいられようか。実際、戦地で異常な事件が起こったりするというのもわかります。正気の沙汰ではないだなんて思うのは、我々が戦場を知らないからで、そもそも前線で正気を保ち続けるなんてことは可能なのだろうかな。映画を見てさえそう思うのなら、現実の戦場はより以上に過酷でしょう。

塹壕戦については、ちょこちょこ読んだりしているんですが、不衛生な塹壕にこもっての戦いは、戦闘もおそろしいけれど、病気も負けず劣らず怖かったといいます。栄養失調やストレスによる変調に、病原菌や害虫に悩まされる劣悪な環境。この映画でもそのへんは触れられていますけれど、小説だとより詳細に書かれていたりするのでしょうか。なので、いずれ小説も読んでみたいと思います。映画とはまた違ったつらさ、悲しさがあるんだろうなあ。でも、是非読みたいと思います。

本

CD

2008年5月23日金曜日

山原バンバン

『がんばろ・まい!』で名古屋ファンになり、『トリコロ』、『ぴっぴら帳』の合わせ技で広島ファンになり、北海道は『動物のお医者さん』だなあ、きっと。その土地の魅力を伝える漫画に触れれば、あっという間に感化されて、そこのファンになってしまう。私というのはどうもそういう人間で、言葉やら文化、風物に接近したいという気持ちがわーっと盛り上がってしまうんですね。そんな私が沖縄に興味を持ったことがありました。それもやっぱり漫画のせいで、それは『山原バンバン』という沖縄コミック。しかし、この漫画に出会ったというのは、本当に縁でありました。

以前私の勤めていた図書館は事務所の棚に、なんとなく置かれていた漫画、それが『山原バンバン』でした。聞いたことのない出版社の聞いたことのない作者。中を見ればなんとなくのんびりどころか、すごくゆったりとした時間の感じられる漫画で、だってヒロインが女子高生でそれも結構やんちゃな娘だというのに、ちっともがちゃがちゃしてないっていうのは、沖縄は山原という土地の持つ雰囲気なんでしょうね。描かれた時期は1990年代の初頭。もう平成に入っているんですが、なんかそんな感じはなくて、じゃあ昭和かというと私の知っている昭和ともまた違う感じで、それは山原の時間なのかなあ。なんか穏やかでね、引きつけられるところがあったんサー。

私がこの本にであった時期は、大学を出ているわけだから、1999年以降であることは間違いなく、多分2000年くらい。最初、排架しないんだったらもらっちゃおうと思っていたんですが、思い直して整理して排架してしまいました。だってやっぱり読んでもらいたいですから。かわりに、出入りの書店外商さんにお願いして、一冊自分用を取り寄せてもらいました。

2000年頃にはちょっとした沖縄ブームがあったんでしたっけ。それとも私の周辺だけ? バンドブームの残照がまだあったのかな、沖縄バンドの影響でか、三線やってるのが何人かいたっけかなあ。そんな状況だったので、この漫画を読んでくれた人はそこそこあって、感想きいたら、やっぱりもともと好きな連中だからかね、評判よくって嬉しかったです。しかしやつらがあんなに沖縄にはまってたんはなんでだったんだろう。聞いたこともあるかと思うのですが、これといった理由はないようで、いやあ、なんかよくわかんないんですけど、いいんですよー、そんな返事が返ってきて、ほんと、ちっともわかりません。

でもこの漫画を見れば、わからないながらもなんとなくわかるようにも思われて、それは今の自分たちが暮らす土地にはないものがあったからだったんじゃないかなと思うんですね。せかせかとした日常、なんとなく型にはまったような生活に対し、沖縄はまったく違った時間の流れ方、あり方をしていると感じられた。すなわち一種のユートピアの幻想を沖縄に見たのかも知れませんね。『山原バンバン』に描かれる沖縄、山原の暮しや自然を見れば、こういう暮しもあるんだなあ。今自分が必死にしがみつこうとしている現実だけが真実ではないんだと気付かされる思いがして、そうしたら凝り固まった気持ちに少し余裕もできる、そんな効能のある漫画であるのですね。

でも、もちろん、そこが生活の場になればなんと思うかはわかりませんよ。そうしたことはわきまえたうえで、異郷に暮らすということを夢見ることがある。そしてそうした夢のきっかけは、私にとっては漫画であることが多いのだと、そういう話でありました。

2008年5月22日木曜日

がんばろ・まい!

QMAやってる友人の話によると、柴島の読みを答えさせる問題があるんだそうです。これ、大阪の地名なんですけど、普通だったらしばじまとでも読んでしまうところが、なんとこれでくにじまと読みます。読めないですよね、読めないです。こんなの読めるのは、地元の人間かあるいは鉄道マニアか、それくらいなんじゃないかと思います。けど、関西は土地が古いからか、まともに読めない地名は結構あるんです。これもQMAの問題にあったんだそうですが、放出。ええ、関西の人ならおわかりでしょう。あなた車売る? 私、高く買うわ! でおなじみのハナテンです。読めんよね。あと有名どころは、枚方。これでひらかたというんです。そう、ひらパーですよ。

さて、その友人は愛知の方なのですが、名古屋あたりにも難読の地名があるそうで、ピックアップされたのが千種、御器所、浅間町の三箇所。でもこれ、二つ目は読めますよ。ごきそです。なんでかっていうとですね、漫画で覚えたんです。『まんがタイムファミリー』に『がんばろ・まい!』っていう漫画が連載されていましてね、それに御器所さんって人が出てくるんですよ。

でもって、この漫画がいいんですよ。名古屋出身の女の子、星崎まいが東京にてがんばるって話なんですけど、愛知の言葉でがんばろまいといったらがんばろうってことなんですってね。なんか語感がよいなあと思ったのがきっかけになって、以来ちょっとした名古屋ブームが続いています。少々うかつなOL星崎まいの活躍する四コマは、彼女の持ち味である元気さ、明るさがそのうかつという欠点をさえチャームポイントに変えて、ぱっと明かりの点るようなそんな雰囲気が温かいやら、心地よいやら。読んでいると楽しくて、それでもって嬉しくなってくるのですが、それもこれも星崎まいを中心とした会社、ご近所の人間関係の円満にして、和やかであるためでしょう。

漫画は、OLまいの日常の話、会社でのがんばり、お隣さんとのおつきあいがふたつの軸になって展開されるのですが、そこに加えて名古屋ネタというのが入ってきます。それは食べ物や喫茶店の話しなど、地域性をうまく膨らませて紹介してくれるものなのですが、そういうの読みますとね、なんだか名古屋も面白そうだぞという思いがふつふつと沸いてきて、仕舞には、こりゃいっぺんいってみやんといかんなあ、そんな気分になるのです。

今、『まんがタイムファミリー』には名古屋漫画『がんばろ・まい!』の他に、京都漫画『おこしやす』や北海道漫画『移住イイっしょ!!』があって、どうよこの豊かなる地域性。それぞれに持ち味があって、それがまたいいんですよ。そして『がんばろ・まい!』は明るさがいい。派手さ、けれん味は弱い漫画なんですが、その明るさがために引きつけられてしまうんですね。

回答

千種はちぐさかと思ったらちくさ、浅間町はあさまちょうかと思ったらせんげんちょう! なんですね。せんげんちょうは無理ですよ。地元の人か鉄道マニアじゃないと読めません。

  • 逸架ぱずる『がんばろ・まい!』

2008年5月21日水曜日

速水螺旋人の馬車馬大作戦

 書店への買い出し、レジ前でのこと。ひときわ大きな表紙とその色、そして魅力的なキャラクターが目を引いて、立ち止まりましたね。鮮やかとはいいがたい、少々くすんだ赤が基調の表紙に、赤毛の女の子がレーション? 食ってる表紙です。娘の服装や描かれている乗り物もろもろ見れば、どうも軍もの臭いのですが、それがどうにも魅力的でありましてね、しかし高いんだろうなあ。本のサイズは26センチ、大型本に分類してもおかしくない判型であるのですが、これなら三千円はとるだろうなあ。そう思って確認したら、なんと千五百円てな具合で、思わず安っ! 買うことが決まった瞬間でした。

しかし、この本は本当に安いですよ。中を見れば、前半分が架空戦記物といいますか、架空の国での架空の戦争、そして架空の兵器が活躍するそんな漫画であったり、詳細解説つきイラストレーションであったりしまして、その名も『馬車馬戦記』。これが面白いのです。著者は、最新兵器とかではなく、ちょっとノスタルジー感じさせるような昔の兵器、第二次大戦からそれ以前といったような頃のもろもろがお好きなのかなあ。実際、あれくらいの時分の兵器は変にロマンが濃厚なところがあって、独特の世界を作り上げているように思います。そしてこの著者は、溢れんばかりの想像力を振るって、そうした時代のテイストを持った架空兵器を描いて書いて描きまくっているんですね。

『馬車馬戦記』第0回「頭上の装甲列車」において描かれたものは、装甲列車ならぬ装甲モノレール。第1回「防空王国」においては空中聴音機なるものを描いて、こうした、ありそうな、けどやっぱりなさそうな、そんな危ういところをついてくる絶妙なさじ加減が面白くてたまらないんです。ないものはないとわかるように描かれてはいるんですけど、実際にあった兵器が比較や導入目的で描かれることもあるから、本当に混乱します。きっとミリタリーに詳しい人たち、この連載がされていた『アームズ・マガジン』の読者とかですね、なら、私みたいにくらくらと混乱したりはないんでしょうが、私はお手上げです。でも、このくらくらとしながら読めるところ、変にリアルというか、あったら面白そうと思わせる雰囲気は、実にたまらんものがありますよ。

この本の前半がファンタスティックアナクロ兵器賛歌であるとすれば、後半はまさしくファンタジー、想像力が支える世界、TRPGリプレイであります。これ、TRPGは知ってるけれどやったことのない私にはその真価をうかがうことはできないと思われて、けれどそれでも、本当に色んなのがあって、世界観からルールから、実に多彩な広がりを持った遊びなのだなあということが伝わってきて、ちょっとやってみたくなったりしましてね、危ないんですよ。いやほんと、肉欲値には笑いましたよ。そんなんあるんだ! 是非プレイしてみたいです! こんな具合。すごい感染力をもった漫画ですよ。

この本の密度の高さは、本当に凄まじいです。緻密なイラストに緻密な解説がのっているから、読むだけでもえらい大変です。その大変さを越えさせるのは、まさしく面白さってやつですね。各話についた解説を読み、本編の手書きの解説も読み、面白いんだけどくたくたになります。だから、正直ちっとも読み込めてなくて、気に入ったところはさすがに何度も読むんですけど、ああ、時間しっかりとって、しっかり読みたいなあ。読み込めば読むほど面白くなることが予感されるから、本当、この本のために休みとろうかしら。

各話解説なんか読んでいますと、どういう本や映画にあったシーンがどうこう、こういう時代、こうした戦争のもろもろはどうした本に詳しいなどということ書かれていまして、ちょっとしたブックガイドにもなるから素敵です。なにしろ私が興味があるのは、戦争の最前線よりも、その裏側。例えば塹壕戦の実際、兵士の暮しや兵站であったりしますから、実に調べにくいのです。でも、この著者ならそういうところ詳しそうで、実際装甲炊爨車なんてきてれつなもの描いてますが、その手書き解説に見えるタイトルなど、見てみたい、読んでみたいって気にさせますからね。だからきっと『西部戦線異状なし』には手を出すことでしょう。つうか、塹壕戦に興味があるなんていって、まだ読んでないとはなにごとか! ですよね。ええ、近々に見ます、読みます。けど、そうやって興味が広がりはじめると、本当に時間が足りないなあ。時間ってやつは、いくらあっても足りないと思いますね。

2008年5月20日火曜日

ドラえもん

 今日、ドラえもんの1巻を懐かしく思い出しながらの帰り道、のび太が昭和の時代の子であったからこそあの話は成立したのかも知れないなと思われて、いや、だってね、のび太にはなんのかんのいっても子孫がいるのですよ。歴史を書き換えるべくドラえもんを送り込んだセワシです。本意だか不本意だかはわからないけれど、それなりに進学して、それなりに職業を持って、それなりに結婚をして、子供も持って、いうならば人並み。人並みが仕合せであるとは限らないけれど、人並みの人生を歩んだのび太は、たとえ晩年が借金まみれであったとしても、多少はましだったんではないかと思ったのですね。なにせ、今では人並みを求めても得られずあえいでいる人がいるっていいます。そう、のび太がもしも平成の子であったら、不登校からひきこもりに、あるいは進学したとしても就職に失敗し、起業も叶わず、フリーターないしはニートと呼ばれるような立場に追い込まれていたかも知れないな。そんなこと思ったんですね。

定職を持たず、収入も乏しければ、結婚という選択も閉ざされ — 、というようなことにでもなれば、彼のもとにドラえもんを派遣したセワシが生まれる可能性も断たれるのです。セワシはのび太に対し、れき史の流れがかわっても、けっきょくぼくは生まれてくるよなんて呑気なことをいっていますが、のび太が結婚できなければ、そして子供を持つことができなければ、そこでアウトです。それでもセワシは生まれてくるのだとしても、そのセワシはのび太とは縁もゆかりもない他人であるのだから、あまりに駄目だった先祖を助けるために、エージェントを送り込もうなんて思わない。だとしたら平成ののび太は、漫画『ドラえもん』を眺めながら、来もしない友人を妄想のうちに待ち続けるしかないのかも知れないなあ。そう考えると切なくて切なくて。

『ドラえもん』は、のび太のもとにドラえもんがいることを当然の前提としていますが、その前提が成立する条件というのが、今となっては非常にシビアになっているということに愕然としたのでした。昭和のころは、もちろん誰もが結婚できたわけではなかったけれど、でもある程度の年齢になれば結婚するものだという常識が存在していて、よほどのできない坊主でも、われ鍋にとじ蓋、なんとか相手を探してくっつけようという社会的システムが働いていたんだろうなあなんて思いまして、ああ、つくづく私は平成ののび太でよかったと思います。だって、そんなの余計なお世話じゃんか。なんていって人並みであることを退けようとするのが私で、だからこんな私は、来もしない友人を妄想のうちに待ち続けなければならないのでしょう。

しかし、久しぶりに読んだ『ドラえもん』第1巻は、もうべらぼうに面白くて、やっぱり『ドラえもん』は初期から中期にかけて、そうさなあ、20巻台中盤くらいまでが最高だと思います。今はもうアニメも見てないし(歌が変わったんだってね、びっくりしましたよ)、興味もなければ注意も払っちゃいない有り様だけど、でもそれは私の中に『ドラえもん』の黄金期が確固としてあり続けているからだと思います。私には、その過去の『ドラえもん』で充分なのですよ。見たくなれば、自分の本棚を探せばいい。それ以上の『ドラえもん』はもういらないなあと、初期中期のシニカルでそれでいて理想主義的な様を愛する私は断言してしまいます。

  • 藤子不二雄『ドラえもん』第1巻 (てんとう虫コミックス) 東京:小学館,1974年。

引用

  • 藤子不二雄『ドラえもん』第1巻 (東京:小学館,1974年)18頁。

2008年5月19日月曜日

トンボ鉛筆 エアプレス

 理想のボールペンを求めての旅路の途中、今現在におけるお気に入りは三菱鉛筆のパワータンクであるというのは先日いいましたとおりですが、もうひとつ気に入っているペンがあります。それは、トンボ鉛筆から出ているエアプレス。加圧式ボールペンのもうひとつのあり方、とでもいいましょうか、あらかじめリフィルにガスを封入したパワータンクとは異なり、ノック機構に加圧用ピストンを追加したという、まったく異なるアプローチが光る加圧ペンです。しかし、これのどこがそんなに気に入ったというのでしょう。全長122ミリという、すごく小ぶりのペンです。握った手の内にほぼ収まってしまうというようなサイズ。しかしこれが意外に持ちやすく、書きやすかったのです。持ち運びにおいて邪魔にならず、筆記時には充分な機能を発揮する。ああ、これは外で使うには理想的なペンかも知れないぞ。そんなところがよいと思ったんですね。

持ちやすさの理由は、軸の太さと素材にあるように思います。樹脂製のボディ素材は指になじんで滑らず、けれどべたつくようでもないという、程よい仕上がり。グリップ部分には指に引っ掛かりを持たせる工夫がされていて、安定感は抜群です。正直、こういう短いペンでこんなに持ちやすいというのははじめてのような気がします。確かにこれはボールペンで、万年筆とは違いボディ中ほどを持つようなことはないから、なおさら長さは必要ないのかも知れません。ペンを立てて持つのなら、拳ほどのペンで充分なんですね。

このペンも加圧ペンだということは、最初に書きましたとおりです。だから、上向き筆記は可能だし濡れた紙にも書けます。実際に試してみて、通常のボールペン以上の機能性を発揮していることは確認済み。さすがに氷点下での筆記実験はしていませんが、常識的な温度でなら問題なく筆記できるでしょう。そしてこうした機能性は、やはり屋外での使用向けで、実際トンボ鉛筆も各種現場で使われることを想定している模様です。室内環境とは異なり、イレギュラーの要素が増える屋外において、安定して使えるペンというのは、きっと力になってくれるのではないかと思います。

興味を持ちつつも、どこか色物っぽく感じていた加圧ボールペンですが、いやね、なんだかオーバースペックな感じがして、日常に使うには大げさなんじゃないかななんて思っていたんです。ところが使ってみて、その印象は劇的に変わって、オーバースペックなもんか、ましてやギミックの面白さだけのペンでもありません。実用において、これはかなりよいという印象。すっかり気に入ったのは、やはり書きやすさ、インクの出の感触です。

エアプレスとパワータンクは、その性質からライバル関係にあると考えてよいかと思いますが、持ち運んで使うなら、屋外での使用をより以上に意識しているエアプレスが便利そうです。なので私は、外での使用、手帳を使う時などですね、にはエアプレスを、対して屋内での使用、ペン習字の練習などにはパワータンクを、というように使い分けていくのではないかと思います。

2008年5月18日日曜日

Filofax Kendal

 手帳問題、一段落いたしました。ええと、買ったんですよ。今なにかと話題のFilofaxです。いや、ほんと、この数日は日ごとに新たな展開があるという、実にエキサイティングな毎日でありまして、発端は14日の水曜日のこと。手帳が欲しいがどんなのがいいのだろうと、ぶらり見回った店頭に発見した茶色の革のシステム手帳。ああ、なんかいい風合いだなあと思ったのですが、値段が少々高めだったので頭を冷やそうと思って、その場は撤退。けれどうっかりブランド名を控えるのを忘れたのですね。だから、翌日木曜日、そのブランドがイギリスのものだったという記憶を手がかりに検索して、FilofaxのKendalというモデルというところまで突き止めました。そしてその翌日、金曜日、RSSリーダが気になるニュースを拾ったのです。

asahi.com:英ブランド手帳、中国製なのに英国旗 不当表示で処分へ - 社会

おーまい、青天の霹靂だ。記事を読むと、輸入代理店が景品表示法違反(原産国の不当表示)の疑いで、公正取引委員会の調査を受けているんだそうでして、つまりは手帳は中国で生産されているにも関わらず、その事実をあやふやにすることで、優良誤認を招く意図があったというのでしょう。確かにあの強気の価格です。Kendal A5でいいますと、イギリスでは77ポンド(15,706.722円)、ヨーロッパでは145ユーロ(23,541.302円)、アメリカでは115ドル(11,986.45円、いずれも2008年5月18日現在)、それがなんで日本だと34,650円にもなるのさって話でして、いやドルは今値を下げていますからあまり参考にはならないとは思いますが、本国イギリスと比べても倍以上。もしこの手帳が本国並とはいわなくとも、ユーロ圏並であったらば、もう少し買いやすかったろうになあと思う気持ちはありまして、それで迷っていた矢先の公取委調査です。ほんと、どうしようかと思いましたよ。

私はこの手帳が中国生産であるとかは割と気にしていなくて、結局はどこで作られていたとしても、きちんとした品質管理体制が整ってたら問題はないわけです。その後調べてみたところ、昔に比べると品質は落ちたなんていわれていまして、そうかあ、だとしたらそれは残念なことです。でももうそれは仕方がないし、たまたま気に入ったモデルであるKendalは2006年の新製品でありますから、質のよかったという十年二十年前のものが手に入ろうわけがありません。じゃあ、まあいいや。あの強気価格で買うことを納得できるのなら買えばいいし、そうでないなら値引きしている店探すなり、個人輸入するなり、はたまた別のブランド、別の手帳選ぶなりすればいいだけの話です。そして私は、店頭購入を選んだのですね。でも、店にいったらこないだは確かに陳列されていた商品が根こそぎ消えていたのには参りました。

Kendal、バインダーはオイルレザーが使われているのですが、そのマットで温かみのある質感が魅力的だと思ったのです。確かにオイルレザーは傷のつきやすい材質で、実際展示品もあちこち触られて、大きなこすり傷がいくつもできていたのですが、逆にそうした傷が風格になってよいなと、そういう印象与えてくれて、実はこれ私にしては珍しいことです。傷なし、綺麗なままがいいと思うような人間だったのですが、ちょっとずつ変わってきているのかも知れません。実際、使っている間にできる傷は、そのものの持つ歴史であると思います。あまりにひどいものは別ですが、大切に、あるいは普通に使っていてできる傷は、私の使い方が刻まれた一種のフィンガープリントでしょう。大量生産品が、他のなにでもない、私の手帳になる。それもまたよいかなと思うのですね。

リフィルはばりばりの欧米仕様で、カレンダーなんかはまさしく日本お断り感が漂っているのですが、そこはまあ気にしません。日本の休日に関してはシールもついてくるから、暇な時に貼ってもいいし、自分で書き込んでもいいし、もうお好きにってところでしょうね。ただ、ちょっと驚いたのが、冒頭に用意されているPersonal Informationに日本語のページが用意されていて、ほー、まったく無視されているわけじゃないんだ。これも、ぼちぼち埋めていこう。ただ私の場合、勤務先住所ががさっと空いてしまうのが空しいところで、いや、働いていないわけじゃなくて、帰属意識が強烈に低いのです。けど、これらの項目見てると、かかりつけ医師や歯科医の欄もあって、このへんは日本人の発想じゃないと思わされます。

さて、こうして手帳を手にして、そこには当座のリフィルが用意されていて、じゃああとは使うだけというところまでこぎ着けました。果たして私はこの手帳になにを書くのでしょう。とりあえず綺麗に行儀よく使うつもりはさらさらありません。とにかくなんでも、覚書を書く、気付いたこと、興味を持って調べたことを書いて書いて書いていくつもりです。アドレスには、コンピュータのAddress Bookから少しずつでも写していくとして、とにかくこの手帳に情報を集約させるのがいいのでしょう。仕事上の気付いたことでも、趣味、日常のなんでも。アイデアから調べものから、気付いただけのことまで、なにでも書くことにしたいと思います。なにか知りたい、思い出したいとなった時、この手帳が助けてくれる、そんな頼もしい相棒、秘書のようになってくれたらどんなにかよいだろうと思うのですね。

ペンは、一応用意したのですが、ペンホルダーにはおさまらないので、ジャケット必須ぽいです。ボーテックスのF字、オレンジ軸にはブルーブラックを入れて、そしてもうひとつ、ボールペン。書く道具もこだわらない。その時その時のベストで、思いついたままに記入、まとめは後日。リフィルを差し替えられる手帳の便利は、あとで編集できることだと思いますから、まずは考えずに書きはじめる。それをやっていこうと思います。

2008年5月17日土曜日

三菱鉛筆 ユニ パワータンク

 私のやっているペン習字は、年に二回ほどボールペンでの筆記を求める課題がありまして、だからその時になっても困らないよう、少しずつ油性ボールペンでの書き味に慣れようとしているところです。そして、より書きやすいペンの開拓もしているとそういうわけで、いろいろと情報を集めつつ、気になるものがあったら買う。とりあえず、ひと月に一本ないし二本くらいのペースで、気になるペンを手にし、使ってみようと思っています。まあ、こういうこと繰り返すうちに、文具マニアになるんだろうなあ……。文具もまた深く果てしない沼であるようなので、あまり深入りしたくはないんですが、まあ仕方ない。悪いのは文具じゃない、私の性格だってのは重々わかっています。

今月買ったボールペンは、三菱鉛筆が出しているuni パワータンクというものです。これはどういうものかというと、ボールペンリフィルにガスを封入することでインクを加圧し、上向きだろうと無重力であろうと、はたまた濡れた紙にも、氷点下であっても書けますという、そういうペンなのです。

ほら、聞いたことあるという方もいらっしゃると思いますが、Fisherのスペースペンですよ。重力の働きによってインクをペン先に送るボールペンは、宇宙空間では使えないということから、巨費を投じて無重力空間でも書けるペンを開発。一方ロシアは鉛筆を使った。ってやつですが、まあこれはジョークで真相とはずいぶん違っているという話なのですが、いずれにせよフィッシャーの作り上げた過酷な条件にも耐えるペンと同質のものが、現代日本では二百円そこそこで手に入ります。こりゃいいや、というわけで買ってみたのですね。

私が選んだのは、ノック式のスタンダードです。キャップ式もあったのですが、小さなキャップがどうもなくしてしまいそうで、それでノック式。私はこれを室内ではなく、屋外での筆記に使おうと思っていますから、使い回しの便利を考えるとやはりノック式に軍配が上がります。ほら、昨日おとついと手帳手帳といっていますが、手帳に書くのに便利なペンもと思っているわけです。小雨の中でノートを取るようなことがあるとは正直思えませんけどね、でもこの先どういう場所にいくかなんてわかりませんでしょう。だから、あらゆる環境で、それこそ小雨そぼ降る夜明け前、低い空の下で、冬の北海道、小雪舞い散る大通り公園で、水中で、極地で、宇宙で、明け方の街、桜木町で、メモを取ることがないとも言い切れません。まあ、ないでしょうが。あって小雨、北国でしょうね。水中なんて、まず手帳がもたへんやん。

冗談はさておいて、手帳で加圧ボールペンを使うという場合、一番のメリットは上向き筆記に強いということではないかと思うのです。もちろん、頭の上に掲げて書くなんていう意味じゃありません。手帳を手に持って書く時に、ペン先が上に向くこともあるでしょう。それでもよどみなく書ける。そういうのがいいかなと思ったのですね。まあ、本当に私がそんなにアグレッシブに活動するかどうか。そんなことはわかりませんけれど、まあ可能性のひとつということで。

ボールペン自体の書き味についてメモしておきます。インクの色は濃く出て、また筆圧軽めでも問題なくインクも出て、割と悪くない感じです。滑り云々に関しては特に取り上げることもなさそうですが、その若干の抵抗感は慣れたペンに近いから、むしろ悪くないと思います。まだそれほど書いていない状態でありますが、ダマが比較的気になりません。確かに多少は出ているのですが、けれど盛大に出るようなことはなく、あめまなどの文字のくるりと返すところの線が多少太る程度です。糸を引くようなところまではいかないのは好感触で、けれどこれは今後も見ておかないといかんでしょうね。

軸の持ち手、グリップが多少太めになっているので、持ちやすいのがよいですね。またグリップ上、クリップのある面とその裏側にインク残量を確認するための窓が開いていて、その片方が丁度中指にかかるから、持った感じが安定するのもよい感じです。だから、ペン習字のボールペン課題は、このペンでやるようになるかも知れません。現時点における最有力候補であります。

ユニ パワータンク スタンダード(ノック式) 三菱鉛筆株式会社

ユニ パワータンク スタンダード 三菱鉛筆株式会社

ユニ パワータンク 三菱鉛筆株式会社