2006年5月15日月曜日

RICOH Caplio R4

 ああああああ、しくじりました。先日、母のためにカメラを買ったといっていましたが、そのカメラというのがRICOH Caplio R3だったのですね。それで、件の係長に報告をしまして、そうしたらR4じゃないの? っていわれてしまいました。ああ、そうだ。あの時、話題に上ったカメラというのはR3じゃなくてR4だったんだ。しくじりました。

R3とR4の現時点における価格差というのはだいたい五千円くらい。結果的に型落ち品で安くすませたみたいになってしまって、私はちょっとショックですよ。別に、これは自分の買い物ではないのだから、安く押さえようだなんて気はなかったんです。あああ、くやしい。だから、その差額分でSDカードを買うことにしました。これで少しは気が晴れます。

なんか変だなという気はしていたんですね。R3の在庫を確認したら、もうないというところが結構多くて、人気商品なのかも知れないけど別に新発売でもないんだし、変だなと思ってたら、そうですか、単純にモデルチェンジ時期であるからというのが品薄の理由だったんですね。

R3とR4の違いはといいますと、まず大きなところでは画素数。R3が513万画素ならR4は604万画素。あとは液晶が見やすくなったとか、電池の持ちが多少よくなったとか、そういうマイナーチェンジが施されているみたいなのですね。正直、差がそれほど致命的でなかったからほっとしているのですが、けど本当に買い物をするときにはよく確認をしないといけないのだなと思いました。

R4にはR3よりもちょこっと機能が増えていますが、本当にちょこっとだけで、正直自分にはいらないような機能だから特になんとも思わないので助かりました。母にしても、あまりいろんなモードを使いこなしてということもなさそうだから、大丈夫でしょう。それよりも、レンズやシャッター等々のカメラとしての機能がしっかり同じであったことが私には嬉しいです。これはすなわち、カメラとしてはR3でひとつのかたちをなしていたんだろうなとそういう風に思います。

けど、もしR3とR4を勘違いしていなかったとしたら、私は間違いなくR4を選んでいたと思います。だって『二銭銅貨』のたとえもあります。私は五千円やそこいらを始末して儲けた気になろうだなんて思いたくもないのです。

2006年5月14日日曜日

天子様が来る!

 天子(てんこ)様は神秘のインスタント食品の精 湯気とともに現れて願い事をひとつだけ叶えてくれるよ このフレーズは実に私のお気に入りでありまして、そもそもインスタント食品の精ってなんですか!? 気概のあるんだかないんだかよくわからない脱力設定に、私はすっかり虜になってしまったのでありますが、もちろん面白いのは設定だけじゃなくて漫画本編もかなりのもの。インスタント麺の紙蓋をめくったらあらわれる天子様のキュートさも素晴らしければ、そのとぼけた仕事ぶりも素晴らしく、あはは、そりゃないよー、というような脱力系笑いが疲れた現代人の心を潤してくれます。ちょっといいすぎかな? けど、ナンセンスの裏に人生の悲しさがちょっと忍んでて、私にはとても好きな感じなのでありますよ。

しっかし、地味な表紙ですよね。こないだ紹介しました『いつも心に太陽新聞』に勝るとも劣らない地味っぷりで、この二大地味表紙を連続させなかったのは私の不徳のいたすところというほかないですね。

しかし一見地味で、中を見てもやっぱり地味なこの漫画、この地味さゆえの面白み、おかしみというのが追求されていて、本当にいい味が出ていると思います。どんな願いだって叶えられるほぼ万能の天子様を前にしてるというのに、素っとぼけた願いを連発する登場人物たちの善良さ。何度も天子様に会って、何度も願いを託しているというのに、うまくことが回らない準レギュラーたちの悲しみ。人間の無力ゆえに悲しくおかしいところがよく出てるよなあと、一種チャーリー・ブラウンの漫画『ピーナッツ』に通じるものがあると思うのです。

でもまあ、そんな大げさに考えて読むような漫画じゃないですね。天子様が出てきて、どんな素っとぼけた願いの叶え方をするのか、その意外性や脱力っぷりに笑うというのが基本で、それでもし天子様が自分のところにあらわれたら、みたいなことを夢想して楽しんだら面白いかも知れない。

というわけで、今月号(2006年6月号)の『まんがタイム』には、天子様が読者の願いを叶えますというスペシャル版が載っていたのですが、それを見てみたらきっと天子様にお願いするのはやめておこうと思えること請け合い、けどよく真っ向からの願いをいなしておかしみに変えるものだと感心するやら笑うやら、でした。

とにかく肩透かしのうまさが利いている漫画だから、読めば肩の力も抜けるかも知れません。老若男女問わず万人に勧められそうな懐の広い漫画ですが、私みたいなやつが読むのにいい漫画じゃないかななんて思います。

  • 安堂友子『天子様が来る!』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社.2006年。
  • 以下続刊

引用

2006年5月13日土曜日

RICOH Caplio R3

 リコーのデジタルカメラGR DIGITALを欲しいんですよ、と係長にいったらいつ買うの? 明日買うの? っていわれて、いやあすぐには買いませんよとかいいながらインターネットをふらふら。そして係長が見つけたのがRICOH Caplio R3。GRに比べるとずっと一般向けのカメラで、ズームもついてるし、小さいし、画素数はちょっと少なめだけど、けれど面白機能が搭載されているんです。それはなにかというとななめ補正モードなんですが、これ、どういう機能かといいますと、看板とかを撮影したときに、きちんと四角になるように補正してくれるんです。言葉で説明するより実際に見てもらったほうがずっとわかりやすいから、ITmediaの記事を紹介しておきます。

私は写真は写真を撮るため以外に使わないからわからなかったのですが、人によってはメモ代わりにカメラを使ったりしますよね。例えば時刻表を撮ったり、旅行先なら名所や施設の案内看板を撮ったり、そういう用途を知ったときにはちょっとカルチャーショックで、この機能はありかも知れないなあと思ったんですね。で、次にぴんときまして、私の母は絵を描くのですが、結構大きな号数になると、きちんとまっすぐ正面から撮るというのも難しくなってくるようでしてね、結構台形になってたり斜めになってたりして、だから絵の記録用途にこの機能はきっと役立つんじゃないかと思ったんです。

以前うちでGRが欲しいと思っていると話したときに、ズームのないようなカメラは駄目だといわれたのですが、このカメラは35mm版換算で28mm-200mmという高倍率ズームを搭載していますし、F値もF3.3-F4.8とちょっと暗いもののめちゃくちゃ暗いということもない。それに手ぶれ防止機能もあるから、本当に必要充分機能をそつなくまとめたカメラという印象があります。ああ、このカメラは結構いいんじゃないかななんて思ったりしているんです。

じゃあ、GRは買わんの? と問われれば、いやきっといずれ買うと思いますよ、と答えます。つまりCaplio R3は私用のカメラじゃなくて、母が使うのによいと思うんですね。GRみたいなちょっと癖のあるカメラは、写真を写真として撮りたい人向けのカメラだと思います。そうじゃなくて、写真を多用途に撮りたい人にはCaplio R3がよいのだろう。これが私の結論なのであります。

2006年5月12日金曜日

少女探偵金田はじめの事件簿

 私があさりよしとおの漫画に出会ったのは中学に通っていたころで、なんか独特の表現、ひねてて皮肉も利いてて、そうしたのが独特の丸み、柔らかさを帯びた絵で展開されて、なんというんでしょうね、シュール? 私にとっては好きな作家なのですが、一般層への浸透というといくつも疑問符がつくくらいにマイナーで、漫画をかなり読む人ならば知ってる可能性は高いとはいえ、普通の漫画読みなら知らないかも知れないくらい。けど、面白いんだけどなあ。

あさりよしとおの面白みというのは、シニカルさ辛辣さもそうなのですが、少々ブラックに寄り気味(寄りすぎ?)のパロディであるとかジョークでしょうか。氏の科学に対する造詣、愛、思い入れが光とすれば、それらと引きあう影がこうしたかたちをとるのでしょう。けどさ、その光も影も両面が面白い。まあ、読む人は選ぶんですけどさ……。というわけで、『少女探偵金田はじめの事件簿』は明らかにあさりの影の部分が反映された漫画であろうと思います。

基本は探偵もののパロディで、ヒロインが金田はじめ、つまり金田一で、これは横溝正史を引きながら、同時に『金田一少年の事件簿』も視野に入れているのですが、多分これは後者の方が強いんでしょうね。でもって、強引な推理やらで事件を解決するのは後者に同じでありまして、しかしそれが推理の体をなしていないというのは特筆すべき特徴なんではないかと思います。というか、端から推理ものを真面目にやるつもりなんてないんじゃないかというのがありあり出ていて、推理ものにかこつけてブラックなギャグをやりたいだけなんだこの人は。けどそういうのが面白いんだもの、しかたがないですね。

金田一以外にも探偵は出てきて、それは例えば江戸川乱歩の小林少年、そしてアガサ・クリスティのエルキュール・ポワロ。しかしどちらも最悪だ……。特にポワロ……。

あさりよしとおの漫画では、自分の異常さ加減に気付いていないとんでもないのが無茶をやって、それに振り回される常識人という形式が王道なのですが、この漫画では当初常識人代表が警部であった。しかし気付けば金田も常識人組に組み入れられて、この何気ない移行はちょっと面白いかも知れません。けど、全体を見渡す限り、あさりよしとおの真骨頂は発揮されずに終わったのかも知れないなあとも思います。後書きにもちょっとあったけど、得意ねたを出せなかったのが大きいのかなあ。ともあれ、そのへんはちょっと残念なことであろうと思います。

2006年5月11日木曜日

前略、テレキャスター様

 ローリングストーンズのキース・リチャーズといえば、ロックファンにとってはちょっと外すことのできないビッグネームであると思うのですが、しかしこの人ってなんというのか、危なっかしいというか、目が離せないというか、まさにトリックスターであると思うのです。そのキースがですよ、なんと事故でけがをしてその再起さえ危ぶまれているというではありませんか。そのニュース、記事のタイトルが『木から転落したストーンズのK・リチャーズ、演奏無理か』というもので、木から落ちた!? いったいどういうことかと思って記事を読んでみたら、リチャーズさんはフィジーで休暇中にココヤシの木から落ち、頭部を負傷。ニュージーランドのオークランドにある病院に入院しているのだそうで、しかしいったいなんでこの人は木なんかにのぼったんだ。私はちょっと頭を抱えてしまいました。

しかも、その怪我というのが結構重いようで、

リチャーズさんは脳の血腫を除去する手術に続いて、頭蓋(ずがい)骨の一部を取り除く手術も受けたが、脳に損傷が残ったり、体の一部がまひしたりする恐れがあると医師団はみているという。

結構ショッキングなニュースですよ。その後の報で、「手術は[略]100%成功した」「脳障害はなく、順調に回復している」と伝えられて、一旦は安心。けど、本当にキースはちゃんとしてくださいよ。そもそもなんで木なんかに登ろうと思ったんでしょう。多分、のぼりたかったんでしょうね。どうしてものぼりたかったんでしょうね。しかし、本当にお体には気をつけていただきたい。だって、前だって、日本公演の時、急にキャンセルしたかと思うとその理由というのが、弦を指に刺してしまって腫れたからでしたっけ? とにかく本当に、やんちゃな人だなあという話で、それゆえかとにかく憎めない人だなあと思うのです。

さて、そんなみんなに愛されるキース・リチャーズといえばテレキャスターという印象で語られることも多いようで、6弦を抜いてオープンにチューニングしたテレを弾くキースというのは実にひとつの確固たるスタイルであります。と、そんな理由でえい出版から出たテレキャスター本『前略、テレキャスター様』はちょっとしたキーストリビュートの様相を呈しておりまして、本当にキースは愛されているのだな、ロックを語ろうというときに欠くことのできないギタリストのひとりであるのだなと感じたものでした。

だから、どうかキース・リチャーズには御身を大切にしていただきたい。今回の怪我にしても、なにごともなかったように復帰していただきたいものだと、そんな風に祈っています。

引用・参考

2006年5月10日水曜日

いつも心に太陽新聞

 師走冬子というと『スーパーメイドちるみさん』が代表作になるのだと思うんですが、実は私にとってはそうではなくて、なにしろ私はラブリー読みからスタートしたものですから、つまりは『女クラのおきて』の方が印象が強かったりします。『女クラ』がはじめてラブリーに掲載されたときの印象は最悪で、なんじゃこの勢いばっかりの設定漫画は、だなんて思っていたのですが、気付いたら好きになっていたというのですから、人間の好みというものはいいかげんなものです。さらにいうと『スーパーメイドちるみさん』の印象も最悪で、なんじゃこりゃメイドものか、はやりに迎合しおって、なんて思っていたら、いつの間にかうちには全巻そろっていて、もうなんていい加減なんだろう私という人間は。ひとしきり反省します。

そんなわけでいつも悪印象からはじまる師走冬子の漫画ですが、『いつも心に太陽新聞』に関してはそうした悪印象はなくて、というのはですね、私はこの漫画のはじまったころを知らないのです。『太陽新聞』の連載されていたのは『まんがタイムナチュラル』で、私は『ポップ』は買っていましたが『ナチュラル』は買っていなかった。これ、今から考えると大きな落ち度でありまして、『ポップ』に手を出すのなら等しく『ナチュラル』も買っとけよ。けれどその頃はまだ全誌買いなんてことをやってなかった時代で、だから迷いつつ見送ったのですね。

だから、私がこの漫画を読んだのは『ナチュラル』がなくなって後、掲載が『スペシャル』に移行してからですね。その頃には絵柄も路線もキャラクターも全部かたまっていて、それゆえかスムーズに抵抗なくはいっていくことができて、面白かったですね。面白かったですよ。師走冬子特有の突飛な設定も多少はあるとはいえ、他の漫画に比べればずっと薄いし、その分漫画のもつ表現も薄めなんですが、だからといって面白さまで薄味というわけじゃないんです。私にはいい味付け加減で、全体に薄味気味だけどうま味はしっかりしてますよという、そんな感じの漫画です。のんびり寝転がって、ほのかな笑いが欲しい休みの午後なんかには、本当にうってつけの漫画なんじゃないかと思います。

蛇足

それはこばとだっ。けど桜木先輩もきっと好き。

2006年5月9日火曜日

使い方の分かる類語例解辞典

 どんなものにしても、一番最初に使ったものが自分にとっての原器となるのかも知れないと思うことがあります。私にとって、例えば辞書なら『広辞苑』で、記憶にはっきりと残る出会い方をして、何度も何度も引いたというその経験が評価尺度の基準になっています。だとしたら、私にとっての類語辞典の基準とは小学館の『類語例解辞典』なのではないかと思います。

私がはじめて使った類語辞典は、システムソフトエディタというソフトウェアに同梱されていた電子辞書で、それが『小学館類語例解辞典』だったのでした。最初はいったいどんなものだろうかと思っていたのが、使ってみたらこれは本当に便利なものでありまして、レポートにせよ論文にせよ、そしてサイトに載せる記事にせよ、文章を書く際に大いに役立ってくれたのでした。

けれど、システムソフトエディタというのも古いソフトだから、私の今使っているOS X上では動作しないんですね。だからこのお気に入りであった『類語例解辞典』は今はもう使えないんです。辞書のデータが汎用形式だったらよかったのにと思ったりして、また私に技術があれば、なんとかこれを見られるようにしたいとも思うのですが、なにぶん私にはそういった技術がないものだから、残念に思いつつ見送っておるのです。

この辞書は、言葉をその意味に従ってカテゴリー分けしていて、私はそういったタイプの類語辞典しか知らないのですが、どうもこういうやり方というのはちょっと画期的な方法だったみたいですね。十進分類みたいに三桁の数字がふられていまして、代表的な語句が見出しになり、そして類語がたくさん書かれている。また、を見よ参照もあり、違うカテゴリーに移動しながらよりふさわしいと思える言葉を探すというのも可能でした。

私がこの辞書を使っていた期間というのは意外に長く、OS Xに移行したのが2003年のことだから八年ほど使っていたのですね。だから、やっぱり私には類語辞典といえば『類語例解辞典』となっているようで、実は講談社の『類語大辞典』を持っているのですが、昔使ってたやつの方がしっくりきたなあと思うことが実に多くて弱っています。

類語辞典を欲しいと思うのは、こうした文章を書くときもそうですが、短歌を詠むときなんかが実にそうで、あれはとにかく三十一文字で表現しないといけないから、語彙力が求められるわけですよ。でも、私はそんなに言葉を知らないもんですから、ときには辞書に頼りたい。けれどしっくりとくる言葉が見つかることなんて実にまれで、もしあの時のあの類語辞典が手もとにあったらばなんて思う、のですね。

辞書だらけになってしまうかも知れないけど、一冊買っとこうかな。どうしようかな。

2006年5月8日月曜日

広辞苑

 子供の頃、立ち読みの漫画雑誌で見覚えて帰った『広辞苑』という名前、とにかくそういう名前の分厚い辞書があるらしいと知って、私は親にねだりました。そして買ってもらったんですね。その頃はまだ第3版で、奥付見れば昭和58年12月の第1刷とあって、とすると私はまだ十歳ですね。ということは、広辞苑とつきあってもう二十年以上経つというわけで、思えば長いのかもなあ。人生の半分以上、辞書といえば広辞苑というスタンスでやってきて、とにかく小中高は広辞苑で全部済ませました。大学に入っては第4版のCD-ROM版に移り、院を出るときに第5版を買って今に至る。とにかく、常に傍らには広辞苑があった。だから、私の日本語のベースには、少なからず広辞苑ひいては岩波の影響があると思います。

広辞苑は説明するまでもないほどに知られた日本語の辞書で、ちょっとした権威といっていいくらいの扱いを受けていることに関しても知られているでしょう。そもそも私は、ただすごく分厚いと聞いて欲しがった子供でしたからそうした権威についてはまったくといっていいほど意識せず自然につきあっていたのですが、でも他の子供が小さな辞書を引いているときに私だけは大きな辞書を使って得意げだったのだから、やはり広辞苑は権威だったのかも知れません。ただそれが世間一般にいう意味とはかけ離れているとはいえども、子供心に得意だったのです。

広辞苑はなにが面白かったんでしょう。広辞苑以前には、子供向けの図鑑が好きで、とにかくぱらぱらとめくって絵を見て、説明を読んで、それだけで楽しかった。ところが広辞苑は、挿絵もあれどやはり文字ばかりで、じゃあそれを子供の頃の私は読んだのかといえば、読んだんですね。小さなころからの習い性で、適当に開いたページを軸にぺらぺらとページをめくり、興味のある項目を読んで、それだけでも楽しかった。思えば、知ることの喜びは図鑑に始まり広辞苑に育まれ、そして今もなお私の中にうずいています。

私が大学に上がって、その頃にはいろいろ大きな辞書が整備されていたころだから、岩波の広辞苑だけが権威ということはなくなって、むしろその歴史のあるということは、説明や用語の古くささ、硬直を問題にされるようになっていたように思います。その頃、私も含めて皆がよく使っていたのは講談社の『日本語大辞典』で、けど私はこれは図書館で利用するのが関の山で、ちょっと買うにはいたらなかった。そして、新語に弱いといわれた広辞苑がその弱点を克服すべく短期間に版を重ねて第5版となり、結局広辞苑に手を出したのだから、私はやっぱりこの辞書が好きなのでしょう。

今、私がメインに使っている辞書は広辞苑第4版で、それに新辞林を併用しています。やっぱりひとつの辞書だけではあやういことを私もわかってるんです。で、なぜ第4版なのかというと、CD-ROMの便利さゆえというやつです。じゃあ、冊子の第5版はどうしているかというと、短歌やなんかを詠むさいに使う。やっぱり手でもって引き、巻末の活用表、仮名遣いなども参考にし、それぞれの用途で使い分けているのです。

2006年5月7日日曜日

メヌエット

  私が先日カラオケにいったときのこと、山崎まさよしの『メヌエット』を歌って欲しいといわれまして、残念ながら私はその歌は知らないんです。けど調べて仕込んでおきますよと答えて、調べてみたらゲーム『ロマンシング・サガ Minstrel Song』の主題歌なのですね。ミンストレルというのはヨーロッパ中世の音楽実演家でありまして、吟遊詩人と理解してもいいと思うのですが、すなわち『メヌエット』という歌はそうした吟遊詩人的印象をもとに作曲されているというのだそうです。

『メヌエット』の通常バージョンは山崎まさよしのサイトで、『With Strings』のバージョンはiTunes Music Storeでそれぞれ試聴できますが、残念ながらどちらもフルバージョンではありません(当たり前だけど)。少し聴いてみての印象は、山崎まさよしっぽくないなあというもので、なんか詞にしても妙に大仰で、こんな感じだったかなあ、山崎まさよしって。という違和感もあったのですが、まあそれはそれ、私はそもそも山崎まさよしを嫌いではないからCD買ってみるのもよさそう。ということで、シングル『メヌエット』とアルバム『With Strings』をそれぞれ買ってみたのでした。

現在シングルがヘビーローテーション中です。シングルには通常のバージョンとアコースティックバージョンが収録されていて、私はこのアコースティック版に興味津々であったのですが、聴いてみたところ通常版にそれほど違うところがない。ただ全般にアコースティックバージョンの方が素直な感じがして、だから私の好みからしたらアコースティックバージョンの方がよいと感じられます。

でも実際に聴いていれば、それがどちらのバージョンであってもよい歌であると思います。確かに言葉遣いが大仰で、変に漢語くささが残っているけれども、そうしたものを含めて古めかしさであるとかを出そうとされたのかもなあと思います。

残念ながら、私の思う中世らしさとはかけ離れた『メヌエット』ですが、別にこれが忠実に中世をトレースする必要なんてのはかけらもないのですから、これはこれでよいものだと感じます。

2006年5月6日土曜日

ボビー・フィッシャーのチェス入門

今夜は、友人の企画で麻雀ネット対戦をしようという話になっておりまして、私はどうしようかなあとずっと迷っていたのですが、どうせなら出たほうが楽しいだろう、枯木も山の賑いっていうものな、ということで参戦あるいは観戦を決めたのであります。

さてですよ、私が始めてプレイしたオンラインゲームというのは実は『ときめきメモリアルONLINE』ではなくってですね、麻雀なのでありますよ。『対局麻雀ネットでロン!』というゲームなのですが、多分ご存知でない方のほうが多いでしょうな。いや、でも私は好きでした。

こんな書き出しをすればさぞ私が麻雀を好きなようにみえますが、実はそれほどでもなくて、ちょっと打つくらい? 本も買ったりはしたんですが、あんまりのめり込まなかったです。どうも私はこの手のテーブルゲームは好きじゃないようで、楽しくないことはないのですが、それ以前に考えるのが面倒くさい。なにしろ私の行動原理は面倒くさいに支配されているものですから、考えるのが面倒くさいこれらゲームは苦手なのです。

けれど、唯一はまったものがありまして、それはチェスでした。もともとは『鏡の国のアリス』をよりよく理解したいという思いから入門したチェスですが、やってみれば面白くてですね、最初は紙で作ったピースを使っていたのに、日本チェス協会からの通販でスタントンタイプのセットを手に入れるは、図書館からいろんな本を借りだして読むは、それはそれはがんばったものでしたよ。チェスに対する情熱は数年続いたのですが、その後かなりブランクがあいてしまったので、今やただルールを知っているだけの初心者以前に戻っています。

チェスに熱心だったときに読んで一番ためになったと思ったのが『ボビー・フィッシャーのチェス入門』でした。ハードカバー、右ページに問題と回答が交互交互に載っていて、最後まで読むと上下をひっくり返して、また右ページだけを読んでいくという面白い装幀の本です。内容はいたってシンプル、棋譜がありさあ次の一手は? あるいはキングを追いつめよ、そうした目標が示されていてその最善手を探すのですが、それが本当によくできていて、これを読むだけで初心者から中級の入り口にたどり着くことができそうなほど。実際この本を繰り返し読んで、実践での応用ができるようにまで精読するなら、中級者が読んでも充分ためになる本だと思います。

著者のボビー・フィッシャーは、いろいろあって国を捨てて行方をくらませていたのですが、実は日本に潜伏されていたのですね。チェスの天才にして私のヒーロー、ボビー。彼が日本にい続けてくれたらと私はそのニュースが報じられたときに心の底から願ったのですが、残念ながら彼は日本から出ることを余儀なくされました。

けど、この国にボビー・フィッシャーが住んでいたと思うと、私なんかは本当にわくわくする。そうなんです。チェスを指さなくなった今でも、彼は変わらず私のヒーローであるのです。

2006年5月5日金曜日

アニーよ銃をとれ

  オペラはみるけどミュージカルはほとんどみたことのない私です。

さて、それでもなんでか持ってるミュージカルのCD。ええと、ミュージカルの人気ナンバーを集めたというよくありCDなんですが、これがまた長いこと塩漬けにされていて、iTunesに放り込んでiPodを買うまでまったく聴かれたことがなかったのでした。なんで持ってるのかというと、ほら私はワゴンセールが大好きだから……。

長く聴いていないというからミュージカルは好きじゃないのかといえばそういうわけでもないのです。ミュージカルナンバーはいうまでもなくすごくよくって、歌がうまいのは当然、表現うんぬんに関しても文句の付け所はないし、ダイナミックでドラマティックで、さあこれで舞台を一度も見たらはまるかもー、っていう予感がひしひしとします。

件のCDにおける私のお気に入りはなにかというと、Anything You Can Do (Annie Get Your Gun)。『アニーよ銃をとれ』の『あなたに出来ることなら』ですね。これは、はじめて聴いたときにガツンと衝撃を受けて、えっ、えっ、なにこれ、すごくポップで、すごく楽しい。で立ち止まって確認してみたらば『アニーよ銃をとれ』でした。私の持っているアルバムというのはJohn McGlinn指揮によるロンドンシンフォニーの盤なのですが、これには他にも『アニーよ銃をとれ』のナンバーが入っていて、とりあえず一曲目がかの有名な『ショウほど素敵な商売はない』。と知ったみたいなふりをしているけれども、実は私はこのミュージカルをみたことなくて、筋も知らない、映画も見たことない。ないない尽くしのない尽くし。到底なにかしゃべれるような有り様ではないのです。

だから、ちょっと見たいかもなあ。と思っていたらこの映画、DVDが500円で買えるらしくて、その価格はちょっと衝撃ですが、そういえば職場の近所のCD屋店頭のワゴンに500円DVDが並べてあったのを見たことがあります。

今度探して買ってみようっと。

映画

ドラマ

CD

2006年5月4日木曜日

悲しい色やね

   実は私は、カラオケあんまりいきません。歌が嫌いなわけはないんです。むしろ好きで、ただいく機会がないのですね。だから、たまにカラオケにいったりするとすごく戸惑います。どの歌を歌うべきなのか、そもそもうまく歌えるものなのか、毎回緊張して、これだという歌を選べないのですね。

そもそも私の好きな歌というのは女声が多くて、だからどうしてもキーがあわず、移調するんですが、それでもまだ高くてひいひいいうなんてことは普通にあって、だから男声のレパートリーを持たないといけないなあ。と思っていたときに思い出したのが『悲しい色やね』。まさに大阪を歌って、情感たっぷりの素晴らしい歌。私はこの歌大好きなんですが、歌ってみても、本当によい歌であると実感しました。本当にいい歌です。

私はこの歌が本当に好きで、ギターを弾きだす前からピアノを前に歌っていたんです。頼りは楽譜、どこからコピーしてきたものやら、私の手もとにはこの曲の譜面があって、コードネームを頼りに歌ってきて、情感の深さがすごいのですよ。メロディがよい、歌詞もよい。大阪弁で、別れの情景が歌われて、ああまた別れか。私はなぜか別れの歌ばかり歌ってる。でも、この歌は本当にいい。愛の深さがあって、別れの切なさがあって、これまで過ごしてきた時間がほんのこれだけの歌詞にぎゅーっとつまっているようで、大きい。詩的で深みがあって、すごく豊かで、圧倒されます。

私、これまで何回かこの曲を買おうと思ってきて、けれどその度に踏ん切りがつかずにきたのですが、というのは、なんか『悲しい色やね』の録音には何バージョンもあるみたいで、いったいどれを手にしたものか踏み切れずにいたんです。きっとそのどれもがよいに違いないのですが、まずは基本になるようなものを聴きたいというような私は、初出のアルバムの版から聴きたいなんて思うから、そしてそれがどれかが今一つわからずきたものだから、そうして私は今もこの歌のCDを持っていないのです。

でも、いつか必ず欲しいと思っています。

2006年5月3日水曜日

フラッシュダンス

  ときめきメモリアルONLINE』には部活というのがあって、それは結局はRPG戦闘風の対戦になるのですが、このとき奥義(呪文みたいなもの?)を使うとプレイヤーキャラクターが大写しになります。このときに部活ごとの衣装が見られるんですが、運動部ならそれぞれのユニフォーム、文化系でも家庭科部ならエプロン、科学部なら白衣といったようにコスチュームが変わるんですね。

さて、昨日ですよ、他にもいろいろ部活が欲しいよねって話になって、吹奏楽部が欲しいとかいう意見にまじってダンス部というのも出たんです。それを受けての私のこたえは次のようなものでした:ダンス部ならコスチュームはレオタードですよね、そしでレッグウォーマー — 。残念ながら通じませんでした……。

なんでレオタード? なんでレッグウォーマー? みたいな反応を得て、私はちょっと焦ったのですが、そうなんだ、今の人は『フラッシュダンス』とか知らないんですね。私たちの世代になるとダンスといえばヒップホップとかではなくてですね、『フラッシュダンス』なんですよ。レオタードにレッグウォーマーといういでたち、そしてあの印象的な音楽。一世を風靡しました。街に出れば、レッグウォーマーをつけた女性はそこかしこに見られて、本当にあの映画はヒットしました。

私にとってはあの映画の印象は音楽そのものであって、映画をビデオで見る時代ではなくて、テレビでやるのをビデオに録ってみるような、そんなころで、だから今もうちのどこかを探せば『フラッシュダンス』の録画は見つかるんじゃないかなあ。で、なんべんも見たんですよ。それこそ、ラストのダンスの部分ばっかり何度も何度も見て、それでどたばた真似して遊んで、そんなことをしていたから筋よりも音楽ばっかりが思い出されるわけですよ。それに、その頃テレビで放送された映画音楽の特集番組、それをテープに録音したのがうちには残っていて、『E. T.』、『南極物語』などにくわえて『フラッシュダンス』のテーマもあって、やっぱりこのころの映画音楽を聴くとなんかわくわくするものがありまして、なんなんでしょう。私の育っていく過程で刻み込まれた印象、興奮、楽しさが音楽でよみがえるというんでしょうか。

でも、いずれにせよ、この映画は流行りまして、それは私にとっても同じであって、まさに忘れ得ぬ映画なのであります。

2006年5月2日火曜日

心のかたち

  なんかちょっといろいろあってさ、ここのところメランコリック気分。なんていうんだろう、そうした気分もたまには悪くはないんだけど、でもなんでかこうしたときには誰かに心のうちをうちあけたくなるものでしてね、けどそうした試みが成功することってのはまあめったにないわけでして、なんていったらいいのかなあ、通じないんだ。言葉の不完全さがいけないのか、単に私の表現力の乏しさか、話せば話すほど私の思うところからはかけ離れていって、最後の方には、そうじゃないんだ、そうじゃないんだ、ばっかりいってる。そして寂しさ、悲しさはいよいよつのって、よくないよねこういうの。うん、よくないよねこういうの。

でさ、こういうときに思い出すフレーズがあるんです。海援隊の歌の一節で、今 心のかたちが 言葉にできない。私は海援隊というグループはそれほど好きではないのですが、けれども奴らいい歌書きやがるなあって思うんです。本当にいい歌を作ると思うんです。

心のかたちが言葉にできない。本当にそのとおりだなあって思う。言葉のつたなさがありのままをありのままに伝えられないこともあれば、心にわだかまる怖れが言葉をつまらせることもままあって、けれど仮に怖れが消えたとしても、克服できたとしても、出てくる言葉がどれほど心をそのままに伝えているものか。ああ、私には自信がないね。これだけ文章を書いて、いろいろ試したりもしてきてさ、うまくいったと思えたことがない。いや、その時だけならうまく伝えられたと思えることもあるのです。ですが、それが後に幻想であったと知れることの悲しさったらなくってね、あかんわ、本当に心のかたちというのは言葉にならない。ため息ついちゃいますね。

とまあ、こんなこと書いて、メランコリックを振りまいていけないなあなんていったりして、けど内心はちょっと違うんです。けどそれもまたうまく表せそうにないから、私は口をつぐんでおこうと思います。言葉を重ねるより、海援隊を聴いていただく方が、きっと伝わるなにかは多いはずなんだ。普遍の域にたどり着くことのできた歌の力は、いや増して言葉以上であるなと思います。

引用

  • 武田鉄矢『心のかたち

2006年5月1日月曜日

くちびるためいきさくらいろ

 少女セクト』と同日に購入。

先日のことです。最近流行ってる『テニスの王子様』についての話をしておりまして、けれど実をいうと私は本編をほとんど知らないんですよ、漫画読んだことがないんです。私の知っている『てにぷり』ではぜんぜんテニスをしてなくってですね、そのかわりに、といったところで私の言葉にかぶさるようにもうひとつの声が! 「ラブラブしている」! ああ、私のいった言葉はなんだったかというと「いちゃいちゃしている」。そう、どうやらその声の主も私同様の趣味嗜好傾向の持ち主であったようで、ギャグ系いちゃいちゃがお好きなようでございましたとさ! そうそう、本編を読んでないというのも同じだったのが笑えるところでありますね。

さて、いきなりなぜ『テニプリ』から入ったかといいますと、このエピソードというのが私の嗜好というものを実によく物語っているからだと思うのです。以前、『少女セクト』について書いたとき、私はいっていました:私にとっては女性の描くエロの方がよいようで、それもできれば直接描写の少ない、寸止め系の方がよりよい。そう、以前はまわりくどくこう書くしかなかった私の嗜好がまさしく実体を伴った瞬間というのが、先ほどのエピソードだったのです。いちゃいちゃないしはラブラブしているのが好きなんだー、と思いいたって、またひとつ私は自分について明るくなったのです。

『くちびるためいきさくらいろ』は、ごくまれに突っ込んだ描写もありますが、基本的にはいちゃいちゃとラブラブの世界。はっきりとかたちにしにくい、女の子の女の子に向けられた恋心が、ほのかに揺れてみたり、時に盛り上がってみたり、そしてハッピーエンドもあれば恋破れてしまうエピソードもあって、そうしたそれぞれの話がそれぞれにラブラブしている? ともあれ、ことにいたることが主目的ではないわけで、その結果、ふたりの恋の周辺がこそばゆく描写される。そういうところが私は好きです。

しかし、面白いよね。いろんなキャラクターが出てきて、いろんな恋愛感情の向け方をしてみて、時に強引な展開を見せたり、時に急いだような描写であったり、けれど基本的にはダイナミックさよりも切々とした様が表立って、そこがこそばゆいんです。ああ、なんというんでしょう、同人の人ならもにょるとかいうのかも知れませんが、それとはちょっと違うと思います。おたく系なら萌えるというのかも知れませんが、それも違うように感じます。ああ、このこそばゆさが言葉にならない。でもなんか、にまにましてしまう感じがあって、ああこの感覚はなんと呼びあらわしたらよいのでしょう!

というわけで、私の自分探究は続きます。とりあえず、この感情にふさわしい名前を見つけなければいかんですね。

引用