2009年2月17日火曜日

少女Aはまっすぐ

水井麻紀子の『少女Aはまっすぐ』、ヒロインの山本南はA型。ゆえに掃除と整とんが得意。じゃあ、私はA型じゃないや。整頓が苦手だからB型か。いや、一旦スイッチが入ると完璧に片付けようとするからAB型だな。でも、普段からここというところはきちんと整理していて、例えばコンピュータのデスクトップは、アイコン、ショートカットひとつ置いていません。ファイル管理もきっちり形式やカテゴリでもって分類していて、でもすべてがこうきっちりしてるわけじゃないからなあ。気にするところ、しないところが極端だからO型ですね。などと思っていたら、山本さん、大事にしまい込みすぎて、よくものをなくすそうです。そういえば、私の学生時分に使っていた万年筆、まだ出てきません。とにかく大切に仕舞ったことは間違いないんですよ。そうかあ、山本さんと私は似たもの同士なのだなあ。ということは、やっぱり私はA型でいいみたいです。といった具合に、『少女Aはまっすぐ』は血液型に基づいた性格分類をもって話を進めていって、そして私はというと、その流れにいつか耐えられなくなりそうです。

私は、血液型性格判断なるものが、大嫌いなのです。

そんな私が、この人の漫画は面白いなと思っています。絵柄は可愛く、よくまとまっているし、雰囲気もほのぼのとして実に罪のない感じがして好感触。そしてキャラクターひとりひとりの個性がうまく表現されているから、とっつきやすく、好印象。けどその個性は血液型に基づいて逆算されたものなのか……。タイトルからしてそうですが、『少女Aはまっすぐ』は血液型性格判断というギミックがビルトインされてしまっているから、どうしても血液型という要素を意識しないではいられません。初期とは違いこのごろでは、血液型色もずいぶん薄れてきたようにも思うのだけど、そして実際、血液型というギミックを捨てたとしても、充分に回っていくだろうと思わせるのだけれど、それでも要所に血液型は現われて、そのたびに立ちすくむような感覚に襲われます。

しかし、なんでそんなに血液型うんぬんを嫌うのか。それは、血液型を前面に置くことで、その向こうにあるその人の本質を見ずともわかったつもりになる、そうした構造が嫌で嫌でたまらないからです。この記事の冒頭にも書きましたが、片付けが苦手で、けれど分類することには一生懸命で、このBlogなどはその例示となるかと思いますが、数年に渡り、毎日一件以上の記事を起こしてきた、一種偏執的ともいえる几帳面さ、これなどは一体何型の性格なのでしょう。A型でしょうか、B型でしょうか。AB? O? どれだっていいのですが、もし私を血液型で区分してわかったつもりになる人がいるとしたら、私はそのあまりに失礼な態度に気分を害することでしょう。失礼とはどういうことか — 。人を既存の枠組みに押し込むことで、理解したと思っている、そのことが失礼です。その視線は私を離れてしまっており、血液型性格判断という偏見に基づくありもしない虚像ばかり見ている。そういう態度は非常に失礼なものなのではありませんか?

もしあなたが女なら、ちょっと想像してみてください。

君は女だから、判断に際しては、理性よりも感情を優先するだろう。

私はこれは極めて失礼な態度であると思います。目の前にいるあなたをではなく、勝手な思い込みで作り上げられた偏見で推し量る、こうした不快を覚えた経験はありませんか?

『少女Aはまっすぐ』のヒロイン、山本南の性質は、血液型に由来する気質であるというよりも、もっと別の要因で説明した方がしっくりくるようなものです。それこそ、診断名が付きそうな性格だと私は思っていて、具体的には書きませんが、おそらく私の同種だなと、そのように感じています。ある疾患に原因する行動様式、それを漫画にしてはいけないとは思わないけれど、でもそうしたネタが危険をはらみかねないということは理解されやすいのではないかと思います。それがただその人の個性であると諒解されているうちは、問題とはならなかったけれど、その性格はある疾患に特有のものだという表現となったら、事情はちょっと変わります。その表現は偏見を助長しませんか? その疾患は典型的とも思える気質を生み出しはするけれど、それでも各個人によって性格は違っているのです。私の持つ異常性、それを同種の人たちがみな備えているわけではありません。しかし、私の異常性とその原因に気付いている人は、私と同じ疾患を持った人に対し、ああ、この人は私同様の異常者であるのだなと判断するかも知れない。その人が、異常性を有す有さないに関わらず、そのような判断がなされる時、その判断こそを偏見というのではないでしょうか。

去年は血液型性格判断が、近年稀に見るブームであったのだそうですね。苦々しく見ていました。『少女Aはまっすぐ』は、そうした世相を受けて出てきた漫画なのかな、そんな風に思っています。ですが、ブームはいずれ去ります。あるいは、盛り上がったブームを批判する、そうしたブームが発生しないとも限らない。かつてオカルトがブームになり、その後、オカルト叩きがブームになったように。その時、この漫画はどうなるんだろう。できれば長く続いて欲しい、そういう思いもないではないけれど、この漫画に血液型がかたく結びついているかぎり、血液型のブームが去り陳腐化してしまった時のことを思うと、心配は消えません。

けれど、そんな起こるかどうかわからない心配よりも、今は私がこの漫画をいつか嫌いになってしまうのではないかという、そちらの方がずっと重要です。重ねていいますが、私はこの漫画が結構好きです。絵柄が好きです。話のもっていきかた、ふくらませかたが好きです。登場人物が好きです。由井さんが好きです。ですが、血液型に関しては、耐えがたい。今は好きが大きいから、なんとでもなっている。けれど、この耐えがたさが、一定のレベルを超えてしまった時に、好きという気持ちが反転してしまうのではないだろうか。どうでもよくなるならともかく、嫌いにはなりたくない — 。

いっそ、最初からつまらない漫画だったらよかったのに。そこまで思います。けれど、面白い、好感触であるのは事実。だからこそ、揺れるのです。好きと嫌う可能性の間で、複雑に揺れています。

  • 水井麻紀子『少女Aはまっすぐ』

引用

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