2006年3月14日火曜日

はげまし希望

私だって人間なので、落ち込んだりふさぎ込んだり、寂しかったり悲しかったりするあまりに誰かにすがりつきたいだなんて思ったり、泣きたくなったり人恋しかったりすることもあるのです。そんなときにかけられる言葉があるということはなんとありがたく、嬉しいことであろうかと実感して、人というものに背を向けてきたかのような自分のこれまでを悔やみます。だから願わくば、私も誰かの力になれるといいと思う。うつむいている人があれば、そっとはげましの言葉をかけられるような人間になりたいと、そんな風に思います。

浜田隆史氏の歌に『はげまし希望』という歌があって、この歌に流れる叙情性が胸に迫るようで、私は好きなのです。けれど、歌詞を読めばわかるのだけど、これはおそらく、これまで同じ道を歩んでいた人に向けられた歌で、違う道へとはずれていってしまう私を笑顔で送りだしてくれないかと頼む歌なのですね。不安があって、けれどその不安を越えていこうと決めた私をはげましてください。そういう歌なのだと思うのです。

こんな歌詞があるんです。

言葉はとても大事なもの
それはわかるけど
言葉でうまく言えない時は
ただ黙ってしまうのです

私にもあるのです。思うことが言葉にならないということは、往々にしてあるのです。けれど、それがもし私が落ち込んでいるときであれば、素直な思いを — どんなに稚拙であったとしても — そのまま言葉にしたい。そしてそれがもし誰かが落ち込んでいるときならば、そのそばにありたいと思うのです。誰かが、私の思うところをはかってくれて、そばにいてくれることがあれば、それはきっとなににもましてありがたいことではないかと思います。だから私は弱気でいる人があれば、そうしたいというのです。

落ち込んでいるとき、そばにいるよと告げてくれる人がいることは、なににもましてありがたい。これは、本当のことなのです。

引用

  • 浜田隆史『はげまし希望』 オタルナイ・レコード OTR-010R,CD【私の小樽】

2006年3月13日月曜日

さんさん録

 私ももう人生の折り返し点を過ぎて、そういうには早すぎるようにも思いますが、いったいいつ私の人生が終わるのかがわからないでは、遅いも早いもなくってですね、昨夜、高校時分の部活の顧問であった先生が逝去されたという連絡を受けまして、もうお歳であったからそうかと思う、その程度なのですが、しかしこうして私のまわりから、櫛の歯が抜けるように、知った人、お世話になった人がいなくなっていって、寂しいなあ、悲しいなあ、私はたまらなくなります。

そんな時に、ちょうどこうの史代さんの『さんさん録』が出ていたのは、私にとってはすごくありがたいことで、自分の中にわだかまる悲しさやらなんやらを客観的に見つめるきっかけとなってくれました。主人公参さんは妻に先立たれて気力をなくしたところを息子夫婦のうちに呼ばれて、それからのつつましやかな家庭での暮らしが語られることのほぼすべてです。日常の事々、家事、ちょっとしたことがきっかけとなって、隣にいたはずの妻を思う。寂しげであったり、悲しげであったり、そして時に深く優しげであったり。亡くなった人は、どこかへゆくのではなくて、私たちの傍らにこそあるのかも知れないと思った。流れもしなければ、消えもしないのかも知れないと思いました。

さんさん録、これは生前に妻、おつうさんが書きためた奥田家の記録の一部をなす、夫さんさんにまつわる記録です。参さんは分厚い奥田家の記録をひもとき、空虚に流してしまうところであった残された日々に生活を取り戻してゆくのですが、その過程は死者との対話に似て、荘厳で清浄でけれどとても人懐こく、微笑みもあれば暖かみもあって、こうした時間を追って思うことができれば私たちも死を怖れることはないかも知れない、いや、それでも私は死を怖れます。私自身の死ではなく、私が大切に思う人の死を怖れます。

もしまた愛した人を失うことがあったら、私は立ち直れないかも知れない。けれど私は心の壊れそうな思いにさいなまれる可能性を思いながらも、きっといつか時がそれをいやすだろうということも勘定していて、そして完全にいやされることがないということもわかっているのです。後ろを振り返るなよ。前を向いていこうや。そう思うし、もし私が先に死ぬことがあれば、残される人にはそのようにいっておきたい。そう、残された私たちも、いつか追いつくのですから。少し先にいらっしゃっただけで、私たちもいずれそこへたどり着くのですから。けれど、それまでの時間がつらくて悲しい。果たして私に耐えることができるだろうかと思うとき、きっとこの漫画は、ありうることをあらかじめ私に予測させて、いわば一種の覚悟をさせるのではないかと思います。

すまんね。辛気臭いね。けど、こうの史代の漫画は、そんな辛気臭いということがないから安心してください。確かに寂しさや悲しさを感じさせることはあって、けれどそれと同じくらい仕合せを感じさせて、世界の、人の優しさ暖かさがしみるようです。参さんを案じる人があるように、私を思う人もきっとあるでしょう。参さんが案ずる人のあるように、私の思う人もやはりあるのです。だから、そうした人たちのために生きることができたらば、そうした人たちとともに生きることができたらば、残りの人生もきっとずっと素晴らしいことであるでしょう。

私はそのように思います。そのように思えるようになったのは、私にとってなにより大切な人たちのおかげで、そして心に染みる本、漫画たちのおかげであろうかと思います。そして、その漫画の中にはこうの史代の漫画がそうっと、けれど確かに位置を占めています。

  • こうの史代『さんさん録』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2006年。
  • 以下続刊

2006年3月12日日曜日

ファイナルファンタジーXII ポーション

 ええと、お試しBlog初の試み。今日扱うのは飲み物についてです。ついに食品にまで進出して、でもきっと今後食品を扱うことなんてなさそうだから、カテゴリどうしよう。飲み物(Boissons / Beverages)カテゴリを新設するのは簡単だけど、今後一件も追加されないというのはあんまりに悲しすぎる。なので、雑貨に押し込んでみました。というか、本当に押し込みだなあ。

さて、無理矢理に押し込んでみました本日のアイテムはなにかといいますと、今巷で話題沸騰(?)のポーションです。ファイナルファンタジーXIIの発売に向けてリリースされた飲料で、サントリーから絶賛発売中。絶賛というのは言葉の綾やなんかではなくて、地域によってはかなり入手困難である模様。コンビニ何店舗も回って一向に見つからない、空の棚があざ笑うようだよ、みたいな情報も寄せられて、でも、あれ? 私の身の回りにはごろごろだぶついているがごとく大量にあるのですが。

基本的に私の性格からすると、この手のものには手を出さないというのが相場なのですが、あまりに周囲で盛り上がっているものですから、いっちょ飲んでみようかねと思って入手してみました。

買うにあたってですね、私も一通り情報を集めてみたんです。でも、色についての情報を得ることができず、だからここはまず自ら確かめてみなければなるまいと、愛用の脚の低いワイングラス(どこで使われるものであるかおわかりの方もいらっしゃるでしょうが、これ、盗ってきたわけじゃありませんから。いただきもので、四客そろっています)に注いでみてびっくり!

FFXII Potion

青い! コーチ、青いです!

原材料を確認してみたところ、これ、青色1号ですね。思うんですけど、着色する必要はないでしょう。しかもよりによって青(というかシアン?)はないよ……。

色の時点でかなり腰が引けたのですが、せっかく買ったものですから飲まないわけにもいきません。というわけで勇気を出して飲んでみてまたびっくり!

甘い! コーチ、甘いです!

これ、めっちゃくちゃ甘いですね。原材料名の筆頭に果糖ブドウ糖液糖が記されてるのは伊達じゃありません。ちなみに次点は砂糖。これは甘いわ。甘さにへこたれそうになります。

飲んでみた感想はといいますと、素直なところをいいますと、ラムネ(飲み物じゃなくてお菓子の方)を液体にして飲んでいるといったような感じで、エリカさんは思わずタンスをかじったね、とそんな具合に甘い。確かにあとくちにはほのかにハーブが香るのですが、でも正直これならそのままハーブティーを飲みたいなあ。ええ、コーヒーにも紅茶にも、もちろんハーブティーにも砂糖を入れずに飲む私には、ポーションは甘すぎました。

けど、まずいってことはないと思いますよ。それ以前に甘すぎるというだけで。この甘さがなくなったら特になんともなしに飲める飲み物だと思います。あ、甘さをなくすなら一緒に着色料も抜いて欲しい。糖類を抜いて、着色料も香料も抜いて、そうしたら私にはいい感じかも知れません。

一応記念だから、原材料名他を抜き書きしておきます。

●品名:清涼飲料水 ●原材料名:果糖ブドウ糖液糖、砂糖、ローヤルゼリー、プロポリスエキス、エルダー、カモミール、セージ、タイム、ヒソップ、フェンネル、マジョラム、マンネンロウ、メボウキ、メリッサ、酸味料、香料、カフェイン、保存料(安息香酸Na)、リン酸塩(Na)、ビタミンB6、ビタミンB1、青色1号 ●内容量:120ml ●賞味期限:ラベル下部に記載 ●保存方法:直射日光をさけて保管ください。 ●販売者:サントリーフーズ株式会社

引用

参考

2006年3月11日土曜日

愚者の楽園

今日はコメントSPAMの対処やらなんやらで疲れてしまって、くさくさして、なにに対してもやる気を失ってしまって、そんないやな気持ちでいっぱいになってしまったのですが、こういうときには川原泉の漫画が効くのです。なかでも私には『愚者の楽園』が優しくて、思えばこれは私がはじめて読んだ川原漫画でした。

詳しくは、以前書いた文章を読んでくれ、ていうのもなんだからちゃんと書きますよ。ああ、駄目だ、思い出したら泣きそうになってきた。そうなんですよ。川原の漫画は心の奥底にすっと入り込んで、日頃はかたくなな私も、思わずほだされ、素直になってしまうのです。普段からため込まれているようななにかがどうっと一度に洗い流されるように消え去って、こうしたことをカタルシスといいますが、確かに川原の漫画にはカタルシスがあります。決して大げさなそぶりを見せないのに、大きな波となって押し寄せるようなカタルシスがあります。

『愚者の楽園』を一言で表すとすれば、けなげであると思うのです。私たちは与えられた状況の中で、自分にとって少しでもよい状況を得ようとして四苦八苦しながら生きているわけですが、川原の漫画の登場人物においてもそれは同様。ただ普段はぼんやりとにこにことして見せているからそれと知れないだけなのです。けれど表にあらわれた穏やかさをそうっとのけて見てみると、悩んだり苦しんだり戦ったりしているんですよね。でもその大変なさまを大変な風に見せないから、川原の漫画とその登場人物たちはすごいと思うのです。

『愚者の楽園』のヒロイン麻子さんはまさにそうした人の典型です。この漫画は珍しく(といっていいのかな?)苦境というほどの苦境に立たされていないのですが、それはつまり一般的等身大の少女の悩みというのが素直に表現されているというわけで、恋愛にゆれる心模様もあり、しかし川原らしい苦境に立ち向かうシーンもきっちりと用意されていて、短編ながらも読みごたえのある素敵な小品に仕上がっています。そして私は、最後の最後、小さな人間たちが無力さに打ちひしがれることなく、自分たちにとって大切なものを守ろうと奮闘する姿に感動して、泣いたり、鼓舞されたり、もう大変なことになってしまうのです。

川原の漫画を読めば、大変なことを大変に取り組む必要はないのだと、ただ自分の大切にしたいものに向かって進んでいくことが大切なのだと、たとえ不器用でも、時に自分のちっぽけさにへこたれそうになりながらも、一歩一歩をあきらめないで歩むことが大切なのだと、そんな風に思えてきます。だから、私の心の健康には川原が欠かせなくて、それはちょうど今日みたいな日に実感するのですね。

  • 川原泉『美貌の果実』(白泉社文庫) 東京:白泉社,1995年。
  • 川原泉『美貌の果実』(白泉社文庫) 東京:白泉社,1987年。

SPAMに負ける

こととねお試しBlog[旧お試しBlog]は、本日四百を超えるアクセスを記録しました。もちろん過去最高記録です。でも私は全然喜んでいません。なぜかというと、この内訳にありまして、おそらく三百以上がコメントSPAMの投稿にともなうアクセスでありまして、残る百程度はSPAMコメントを削除するために私がリロードした回数だからです。そう、数百のコメントSPAMが投げ込まれ、その対処で大わらわであったのです。

以前にもいっていましたが、ここ数年のSPAMの主流はBotnetであり、乗っ取られた憐れなPCから大量のSPAMメールやらSPAMコメントやらが発されています。今回のケースでは、朝の8時43分から45分にかけての数分間で数百のコメントがポストされていたのですが、この事例からもBotnetの威力は容易に知れるでしょう。今回はたまたま私のBlogがそのターゲットとなったわけですが、もちろんBotnetの対象は私のBlogだけでなく、防御の甘いBlogや掲示板があれば簡単に攻撃対象になりえます。一種社会問題化して久しいのですが、あからさまにBotnetであるという証拠もなかなか出ないものですから、一般的な認知度はまだ高いとはいえません。

防御の甘いBlogが狙われるといっていましたように、このBlogのSPAM対策は極めて脆弱です。投稿の拒否をしようにも、発信元のIPアドレスに対してブロックするのがせいぜいで、だからIPが変わると投稿可能。このアクセス制限手法は、Blogを荒らす人間が個人である場合にのみ有効で、こういえるのもプロバイダの変更は簡単にはなされないだろうという希望的観測が根拠、どうしようもなく希薄な根拠に基づく考えです。

Botnet出現以前のSPAM行為も、個人による攻撃行為同様に、特定の端末から発されるのが一般的で、仮にそれがどこかを踏み台にして身元を偽装していたとしても、発信元はある程度しぼれました。だから、IPアドレスでもってブロックするという対処法も少しは使えたわけで、でもこれでも万全ではありませんね。プロバイダを変えたら、踏み台を変更したら、それでもう駄目です。でも問題ユーザーを常に抱えるようなプロバイダもある程度絞れるので、そういうプロバイダを中心に対処することで、多少の効果も期待できます。

ですが、Botnetだとそうはいきません。Botnetの場合、敵は全世界に転がっているゾンビPCです。プロバイダなど特定できるわけもなく、事実今日このBlogが受けた攻撃もとは、アメリカ、イギリス、ロシア、中国、台湾など広範囲にわたり、昨年12月から講じてきた攻撃もとIPを含む65,536IPを制限するという対策は、まったく無意味、焼け石に水でさえなかったということを改めて明らかにしました。いや、わかってたんですよ。でも、わかっていながら対処のしようがなかったのです。

コメントSPAMにはある程度のパターンがありまして、主に検索エンジンにコメントを読ませるのが目的であるそれらには、攻撃者が保有するサイトのURIが含まれています。a要素を含んでいるのも多く、また一部のBlogや掲示板で採用されているリンクを作成するための記法を含んでいることも多いです。だから、もし禁止語句を設定することができるなら、そうした特定のフレーズを取り締まることで被害を激減させることができます。ですが、私の使っているBlogサービスにはそうした備えがなく、複数のユーザーからクレームは寄せられているはずだと思うのですが、改善される気配さえもなく、ただむざむざと攻撃されるままになっています。

なお、サポートはメールフォームのみ。今日、あまりにあまりと思ったからついに電話に踏み切ったら、その窓口ではインターネット接続に関するサポートのみしか扱わないとのこと。ホスティングとBlogはメール・サポートのみですといわれ、しかしメールを出してもまったく返事さえよこさないような状況だから電話したわけですが、いったいこの利用者を舐めた態度はなにかと、仕事に対してやる気があるのかと、さすがの私も頭にきました。

と、以上のような経緯から、最後の手段でもって対策することにしました。現在、当Blogではすべてのコメントを拒否しています。これは実に苦渋の決断で、数少ないコミュニケーションの手段を閉ざすことは本当にしたくなかった。コメント自体は少ないといえども、やはりコメントがあれば嬉しく、Blogというのはただ一方的に記事を書いて公開するだけではなく、読者からのレスポンスによって支えられている仕組みなのだと、自分でもBlogを運営するようになって実感したものですから、本当に全拒否などはやりたくなかった。

ですが、次に大規模なコメント攻撃を受けたら、私はBlog自体を放棄するかも知れないと思ったものですから、拒否せざるを得ませんでした。だってね、コメントを削除するだけで一時間以上かかるのです。攻撃者はほんの一二分で数百をポストしますが、削除にはその百倍ほどの時間がかかるのです(コメントの管理しにくさも当Blogサービスの問題であると考えていますが、ここではあえて問題にしません)。

なんとかコメント受付は維持したかったのですが、今回ばかりは負けました。禁止語句の指定機能がつくまで、当Blogはコメントを受け入れることができません。ですがトラックバックの受付は可能なので、もしなにかありましたら、トラックバックしてくださるとありがたいです。それらは私にとってどれほどのなぐさめになるかわかりません。

2006年3月10日金曜日

カレーの王子さま

今、私の職場にはとにかくカレーが好きだという男がひとりあって、朝昼晩三食カレーでも飽きないみたいなことをいっているものですから、そんなことじゃいつかキレンジャーになるぞなんていってたりする。ともあれ、カレーが伝来し日本洋食化し、私たちの食卓に乗れば子供たちは喜んで、まあ、私も喜びますよ。でも、きっと姉の方が喜ぶだろうな。思い返せば、姉は本当にカレーが好きでした。

で、なんでカレーについて延々書いているのかというと、今日、大阪は南港ATCにいってきまして、そこでカレーを食べまして、そのカレーというのは日本カレーよりもオリジナルに近い。昼食のバイキング、バイキングとなればどうにも食べ過ぎてしまう傾向にありまして、案の定食べ過ぎました。ええ、夜になってもお腹がこなれず、まさに午後はカレーにどっぷりと浸ったかのようであったのです。

なので今日はカレーにどっぷり浸った男の話。川原泉の『カレーの王子さま』です。ひとつの食べ物に執着してしまうという吉川弘文(これってどう見ても吉川弘文館! ちなみに妻はみすずだ)が物語であり、彼が今まさに執心するのはカレー。日本カレーなのでありますね。

けどこの漫画はカレーという食べ物をモチーフにしながら、いわゆる料理漫画食通漫画におちいらず、若い(?)新婚夫婦の仲むつまじい(?)日常を描いて、ほのぼのと明るく暖かい小品に仕上がっています。私がこの漫画にはじめて出会ったのは高校生の頃、部活の同期が貸してくれたのがきっかけで、しかし少女漫画にこういう独特の世界があるとはこのときまで知らなかったのです。

川原泉は紛れもなく固有の価値です。よく男にもファンの多いなんていわれる川原ですが、それは男とか女とかのカテゴリをまたぎ越しているからで、どことなくドライで、けれど人情は深くしみじみと、この背反の性質がひとつところに調和してすごく素敵。そう、きっと私が川原にひかれてやまないのは、こうしたところにあるのでしょう。

『カレーの王子さま』は、惚れた腫れた好きだ愛してるということなしに、妻へ夫への愛をほのかに感じさせて、私はこういうところになんだかじんとしてしまいます。泣きはしないさ。楽しく読めるコメディだもの。けれど、なんだか心の奥底にほっとしてゆったりとした時間が生まれるような感じがします。

ええ、間違いなく私は、川原のこういうところにひかれています。私にとって川原とは、疑いもなく固有の価値であるのです。

2006年3月9日木曜日

欺術(ぎじゅつ) — 史上最強のハッカーが明かす禁断の技法

 なんかここ最近、Winnyを介した情報漏洩というのが相次いでいまして、それも名だたる大企業や公的な組織 — 学校、警察、自衛隊がそうした被害に遭っているようです。ん? 被害? 実をいうと私はこれらは被害だとはちっとも思っていません。だってね、そもそもファイル交換ソフトと機密性の高い情報を共存させるのがいかんのですよ。それを新聞やなんかはあたかもWinnyという特定のソフトが悪いような見出しを付けて、ですがこれは悪いバイアスですよ。Winnyに感染みたいな誤謬丸出しの見出しを付けた記事も見ましたが、ですが当然のことながら、Winnyはインストールされないことには入りません。ウィルス感染は確かにあったのでしょうが、しかしそれでも漏れて問題になるような情報をそうしたファイル交換ソフトインストール済みの端末に置くというのが問題で、とにかく理解しがたい状況であるとしか言い様がありません。

仕事に使うPCならファイル交換ソフトなんて必要ないでしょう。私用のPCなら、そんな機密情報をなんで持ち帰ってるの? って話にもなります。CNET Japanで読んだ記事によりますと、自治体の情報セキュリティにおける最大の懸案事項は職員の意識なのだそうですが、しっかりしろよ公務員なんてものではなくて、昨今の状況を見るかぎり、問題があるのはすべての職種、すべての職場であるといってもよいのではないかと思います。

というわけで、今日紹介しようというのはソーシャル・エンジニアリングを扱った本。著者のケビン・ミトニックというのは有名なクラッカーでしてね、いろんな企業やら組織やらに侵入して機密情報をいただいたりした人です。そのために捕まって有罪判決を受けたのですが、それでもなんだか不思議と人気のある人です。ちなみに映画にもなったりして、まあそれがまたださいタイトルで、しかも一方的な視点から書かれた本が原作だからと、いいたいことはたくさんあるのですが、やっぱり悪いことして捕まった方が悪いのだということなのでしょう。

で、そのミトニックさんですが、出所後はセキュリティ専門家としてご活躍とのこと。で、彼が明かすクラッキングの手法というのがソーシャル・エンジニアリングなのです。ソーシャル・エンジニアリング、日本語では社会工学と訳されたりしますが、これはいったいどういうものかといいますと、言葉巧みに近づいて情報を聞きだしたりといった、そういう作業のことをいうのです。他にもいろいろ、例えばゴミをあさってみたりというのもソーシャル・エンジニアリングの一手法で、なりすまして電話をかけたり、メモやなんかを盗み見てみたりと、とにかく地道な捜査をするのですね。

私自身はクラッキングに興味はないので、こうした手法を試したことはないのですが、でも実感としてはかなり有効であること疑いなしと思っています。私たちは普段気をつけているつもりでも、存外不用心なものなんですよ。例えばあなたの職場でですよ、事務所をぐるりと一回りして目に付くログインユーザー名とパスワードはいくつありますか? 不用意に出しっぱなしにされているパスワードリストはありませんか? あなたは同僚との会話の最中に、そうした情報を口にのぼしたりはしてませんか? 電話での問い合わせにうっかりパスワードを答えたりしたことはありませんか?

私が昨今話題の情報漏洩のニュースを目にして思ったのは、ちょっとソーシャルな方法で探りを入れたら、きっとざくざくお宝情報が手に入るんだろうなということでした。だから、そうした情報に興味のある方には、ミトニック氏直伝の『欺術』がお勧めです。なにしろここにはソーシャル・エンジニアリングの基礎技術がしっかり紹介されていますからね。

余談

こうした本を一番読むべきなのは、情報を守るべき側であるのはいうまでもないのであって、本文の反語的表現を額面どおり受け取ったりするのは、本当によしてくださいよ。

参考

2006年3月8日水曜日

漱石全集(第二次刊行)

  私はむかし図書館に勤めていたことがあって、そこではなにがよかったといっても、書店の外商さんをとおして本を買うと一割引だったというところでしょう。だから私はここで結構高い本をそろえまして、例えばそれは『阿部謹也著作集』で『新校本宮澤賢治全集』で、そしてその最後にくるのが『漱石全集』。漱石全集は1993年版の第二刷が出るということで、図書館用にどうですかとチラシが入ってきたのを見つけて、よし買った! といっても図書館用にではなくて、私の個人用としての購入。こう書くと見た瞬間に購入を決めたようにみえますが、実際には結構迷いまして、予約締め切りぎりぎりまで悩んだんじゃなかったかな。けど、これは持っておいてもいいかなと思ったものだから購入に踏み切ったのですよ。

でも残念ながら、『漱石全集』第二次刊行の完結を待つことなく私は図書館をやめて別のところに移っていって、だから手もとには中途巻までの『漱石全集』が残ったのでした。けれど、私こういうときにはなんというのか執念深くて、いつか必ずそろえてやろうと、なんかの弾みで図書券や図書カードをもらえることがあれば、『漱石全集』用にと決めて取っておいて、少しずつでもそろえていくと決めたのです。

以前、調べてみれば2005年の1月22日のこと、大阪のジュンク堂にいって買ったのは何冊分でしたか。確か六冊か七冊だったと思います。このときは第18巻の漢詩文までをそろえて、それから一年あまりたって、京都のジュンク堂でようやくまた五冊を購入。第23巻、書簡の中巻までが手もとにきたのでした。

残すは書簡の下巻、別冊上中下、総索引、そして別巻。あと六冊かあ、結構あるなあ。

岩波書店にはこれらの在庫があることを確認していますが、けれどこれらはとりあえず刷った分だけしかないのも確かで、だから早いうちに、少なくとも今年の夏あたりにはそろえたいと思います。そろえてどうする、研究者でもないくせに、という思いもないわけではないのですが、それでもそろえようと思ったこと、そしてそれが不可能ではないということ、なにより漱石を深く知りたいと思うこと、これらが自分の中にわだかまる疑念を払拭させるのです。

とか格好いいこといってるけど、少なくとも「漢詩文」だけは一生読まないと思う。正しく言い換えるなら、読めないと思う。だから、これは孫子の代に積み残したいと思います。私の子は、すらすら漢詩も和歌も読めるように育ってくれればよいなと。まあ、私が私ですから、このうえなく無責任な発言ではあるのですけどね。

  • 夏目金之助『漱石全集』第1巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第2巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第3巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第4巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第5巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第6巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第7巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第8巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第9巻 東京:岩波書店,2002年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第10巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第11巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第12巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第13巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第14巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第15巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第16巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第17巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第18巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第19巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第20巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第21巻 東京:岩波書店,2003年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第22巻 東京:岩波書店,2004年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第23巻 東京:岩波書店,2004年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第24巻 東京:岩波書店,2004年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第25巻 東京:岩波書店,2004年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第26巻 東京:岩波書店,2004年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第27巻 東京:岩波書店,2004年。
  • 夏目金之助『漱石全集』第28巻 東京:岩波書店,2004年。
  • 夏目金之助『漱石全集』別巻 東京:岩波書店,2004年。
  • 夏目金之助『漱石全集』補遺 東京:岩波書店,2004年。

2006年3月7日火曜日

Microsoft Office Access 2003

 MS Accessに関しては私は運がよかったのだと思います。出会いは以前の職場。配備された端末にはMicrosoft OfficeのProfessionalがインストールされていて、ちょうどデータを扱う仕事であったことから、見様見まねでRDBに入門したのでした。しかし、私がそれまで触ってきたデータベースというのはもれなくカード型データベースであったものですから、どうもAccessはピンとこず、そこへ同僚が魔法使いの開発工房を発見。この情報を得て、だから私はAccessの魔法使いニキータさんの弟子なのです。

あの、はじめてAccessをさわりはじめたあの頃は、バージョンも2000。気がつけば二十一世紀。現行のバージョンは2003であります。

RDB、リレーショナル・データベースといえばそのどれもが重量級のサービスで、いくらMySQLやらが軽いといったとしても、ちょっと手軽に使ってみようと思える代物ではありません。ところが、この仕組みとしては結構高度なRDBを手軽に扱える環境がある。それがMS Access。実際、AccessはMS Officeにおける肝であり、まさにキラーアプリケーションといえる存在であります。

ですが、時間がたってですね、その優位も揺らぎはじめてきているといいますか、OpenOffice.orgがバージョン2になって堂々データベースアプリケーションBaseを引っさげてあらわれてきたかと思えば、日本語プログラム言語「なでしこ」がパブリックドメインのSQLアプリケーションSQLiteを同梱するなど、ここ数年、RDBMSをめぐる環境は一変しているといっても過言ではない。選択肢が一挙に広がって、RDB花盛りといった様相を見せていると実感します。個人ユーザに関しても企業ユーザに関しても、RDBの敷居は確実に下がっていると思います。

個人ユーザに関しては、MS AccessとOOo Baseの一騎打ちという感じでよいと思うのですが、このふたつを比べると、やはりAccessには一日の長があるというか、実際MSはいい仕事をしていると思うのです。上位バージョンを使いはじめた時は気付かないんですが、途中で旧バージョンをさわるようなことになると、そのあまりの使いかっての悪さに辟易します。かつて私のゆりかごであったAccess 2000はもう手狭で使いにくいと感じられて、Access 2002に関してもそれはもう同じ。私にとってAccessは2003でとどめを刺しています。それくらい進化している。残念ながら、OOo BaseがAccess 2003の域に食い込むのは後数年を待つ必要があると判断せざるを得ないでしょう。

Accessの優位はなにかというと、その手軽さであることは間違いなく、これはその登場当初から変わりありません。でかいシステムを組むほどではないけれど、Excelやなにかで管理するには荷が重すぎるというようなものは、もうAccessで決まりですよ。私は職場のメールの管理をAccessでやり、人員の管理もAccessでやり、差し引き簿もAccessで作り、そしてやっつけ仕事にもAccessは最適です。

とりあえずデータをCSVで用意した。これをなんとか分析、整理して欲しい。こういう仕事が投げられることがまれにあるのですが、こういうときはなにはなくともAccessにぶち込んで、SQL書きまくります。私の最初の導師がニキータさんだったとすれば、次のステップアップは稚内北星学園短期大学の丸山不二夫氏のおかげでなりました。稚内北星学園短大に公開されている「UNIX データベース入門」を読んで、私はSQLを自分でも書けるようになり、だからこういうのですが、AccessはSQLを書けるようになると、数段使い勝手があがります。

SQL書きまくって、書きまくって、書きまくって、分析、整理して、最初は渾沌としていたデータが徐々に明らかになり、最後には正規化される。この楽しみはちょっと言葉にはしがたいものがありますよ。もちろんうまくいかないことも多いのですが、けれどしっかり使えるデータベースができたときの喜びはなかなか他に換えがたいものがあります。

だから、私はその資質があると思われる人があれば、RDBの使用を勧めます。金持ちだったらMS Access。そうでないなら、OOo Base。そして、これぞという人にはなでしこを勧めます。

2006年3月6日月曜日

ぱにぽにだっしゅ! ボーカルベストアルバム 歌のザ・ベストテン

 以前私は『黄色いバカンス』を評してこりゃ、買いますね。シングルになるかアルバムになるかはわからんけど、絶対買いますねなんていってましたが、じゃあ買ったのかというと、買ってません。あー、この有言不実行のていたらく。で、この度ふたたび『ぱにぽにだっしゅ!』の話題です。

ほら、以前いっていました。最近のアニメはよくわからん私にとっては、こうしたボーカルコレクションとかが出るかどうかというさじ加減はわからんって。で、先日梅田に出たときに、偶然店頭にてボーカルベストアルバムが出ているのを発見しましてね、うわー、これは買いかー、と思いまして、けどちょっと手持ちがないものだから断念しました。もしこれが昨年夏に出てたらなー、絶対買ってたよなー、なんていいながら、自分の不実を棚上げしております。

さてさて、不実とはいっておりますが、それでも欲しいなという気持ちはあるのですよ。価格は三千円。ちょっと高いとは思いますが、シングル数枚分と思えばまあ妥当とも感じます。だから買ってもいいかなという気持ちは揺れに揺れて、なにしろ私はこの手の歌が結構嫌いじゃないものですから、しかも実際に聴いてみて『黄色いバカンス』は悪くないといってしまったくらいですから、やっぱり今でも揺れるのです。

そんなわけで、Amazonのレビューなんて読んでみたりして、そしたらドラマパートが入っているみたいなことが書いてあって、うわあ余計なことしてくれちゃって。というのはですね、私、アニメみてないから、ドラマパートなんていらんのですよ。純粋に歌だけ聴きたいじゃありませんか。だから、もしこの非歌唱トラックが独立していなかったりしたら! 買ってから血涙かもなあ。

レビューを読んでみたら、どうもサントラもなかなかよいできらしいという話で、そういうなら一度は聴いてみたいなんて思ったりなんかしていまして、そうなるとこちらは完全にレビュー買いになっちゃいますか? けど、やっぱりちょっと私は踏み切るに度胸がなく、これがもし昨年の夏、せめて秋なら、と思わないではおられません。

とかいって、どうせアニメみてないんだから、夏も秋も関係ないんだけどさ。余裕があったら買いたいなー。

参考

2006年3月5日日曜日

クオレ

 私の町には、一時に比べれば減ってしまったのですが、結構個性的な書店がそろっていて、漫画や趣味性の高い本をうまくそろえている書店があると思えば、児童文学やなんかをそつなく扱う書店もあって、まれに用があっていったりすると、必ずなにかしら欲しくなってしまうのですね。そのどちらもが私の行動範囲からはずれているのが残念というかさいわいというか、でも品揃えにて個性を主張している書店が身近にあるというのは、本当に仕合せなことであると思うのです。

その、後者の書店にいく機会がありまして、めったにはいかないから店内をぐるりめぐりまして、それでやっぱり欲しくなってしまいました。以前ここで買ったのは『秘密の花園』で、今欲しくなったというのは『クオレ』です。『クオレ』、世界的に知られ、愛されている児童文学です。日本では知名度はさほどではなく、けれど『母をたずねて三千里』といえば多くの人がそれと気付くはずです。名作アニメ『母をたずねて三千里』は、『クオレ』に収録された小エピソードであったのです。

私が『クオレ』を読んだのは、いったいいつごろのことであったでしょうか。もう思い出せないくらい昔。多分、高校に上がる前、きっと小学校の高学年くらいであったのではないかと思います。その頃は、人から借りたり、あるいは図書館で借りたり、なにしろ本も安くありませんからね、借りて本を読んでいました。ゲームにも熱中して、一日ゲームで遊んでいたような子供だったはずなのに、思い出せば結構本も読んでいたのです。児童書。全集の分厚い一冊を、一日かけて少しずつ進めて、それが本当に楽しかった。今ではもうなにをどれだけ読んだかもはっきりしなくて、けれどそうした思い出せないような記憶が今の私の心であったりの基礎を作っているのであるというのでしょう。だから、『クオレ』も私の大切な一部としてしまい込まれているのだろうと思います。

『クオレ』。私はもうすっかり忘れてしまいました。『飛ぶ教室』と混同してしまったりして、けれどこれらは全然違う作品で、それくらいに私は『クオレ』について覚えておらず、けど読んだという記憶ははっきりしているのです。

その記憶の中で『クオレ』はよい作品の棚に収められていて、だから私はまた読みたいと思うのです。また読みたい。読みたい。もし買うとすれば、偕成社の上下巻を買うでしょう。けど、私にはまだ読んでいない読みたい本がたくさんあって、けど、それらと同じくらいに読んだけどまた読みたい本があって、『クオレ』は間違いなくそんな一冊です。

お金があったら、買ったんですけどね。私は衝動買いするたちだから、あんまりお金を持たないことにしてるんです。けど、きっと来月には買っているのではないかと思います。そんな気がします。

  • デ・アミーチス,エドモンド『クオレ 愛の学校』上 矢崎源九郎訳 (偕成社文庫) 東京:偕成社,1992年。
  • デ・アミーチス,エドモンド『クオレ 愛の学校』下 矢崎源九郎訳 (偕成社文庫) 東京:偕成社,1992年。
  • デ・アミーチス,エドモンド『クオレ』矢崎源九郎訳 (少年少女世界文学館) 東京:講談社,1988年。
  • デ・アミーチス,エドモンド『クオレ物語』塚原健二郎編纂 (世界名作童話全集) 東京:ポプラ社,2000年。
  • デ・アミーチス,エドモンド『クオレ』杉浦明平訳 (世界文学の玉手箱) 東京:河出書房新社,1993年。
  • デ・アミーチス,エドモンド『クオレ—愛の学校』上 前田晁訳 (岩波少年文庫) 東京:岩波書店,1987年。
  • デ・アミーチス,エドモンド『クオレ—愛の学校』下 前田晁訳 (岩波少年文庫) 東京:岩波書店,1987年。
  • デ・アミーチス,エドモンド『クオレ』赤沢寛訳 (大学書林語学文庫) 東京:大学書林,1960年。

2006年3月4日土曜日

J. S. Bach : The Art of Fugue, BWV 1080 played by Glenn Gould

  アートという語は本来技術、技法という意味であり、それが今では芸術をさすものとなっています。これはつまり、芸術は本来的に技術に根ざすものであったということを示していて、そして今日はバッハの『フーガの技法』。技法はドイツ語ではクンスト、英語ではアートと表示し、つまりここでこれらの語の指す意味は芸術ではありません。フーガという楽式に用いられる技法を駆使して作られた一連の作品群。それが『フーガの技法』であります。

ピアニストとして知られるグレン・グールドは『フーガの技法』にてオルガンも演奏して見せて、彼の履歴をみると確かにオルガンも習ったことがあったみたいなのですが、彼のピアノが型破りであるようにオルガンもまた横紙破り。けれどそういうところがやっぱり彼らしいのではないかと思われます(甘やかしすぎかな?)。

グールドは『フーガの技法』を愛していました。楽器の指定のないこの曲こそは、まさに音楽の構造美の行き着く場所であるうんぬん、みたいなことをいってたんじゃなかったかな。さまざまなバージョンを聴いた、サクソフォンによる演奏も聴いた、そのどれもが素晴らしかった。そのように語る彼は自説を検証するように、オルガンでも演奏し、そしてピアノによる録音も残しています。

『フーガの技法』は単一の主題により作り出されたフーガやカノンによって構成されて、その曲順は出版者や演奏者によってばらばら。けれど私は思うのですが、この曲が楽器を指定しないというのなら、曲順も無指定でいいじゃないか。実際のところは演奏される楽器も想定されていたとする説が有力であったりするのですが、たまには謎を謎のままにしておくのもロマンティックでよいではないかと思ったりして。そんなだから私はいつも異端だなんだっていわれるんです。けど、気にしやしません。

象徴的に響くのは、未完のフーガでしょう。グールドのアルバムではContrapunctus XIV (Fuga A 3 Soggetti) unfinishedと記されていて、未完の語も実に趣が深く感じられます。

この未完というのは本当に未完で、演奏を一度でも聴いてみればわかります。グールドのピアノが奏でる神秘的でメランコリックな対位法の美がしんしんと降り積むようにして、振り返れば来し方足跡がてんてんと見えるというようなそんな曲。さあ、その曲がこれからいかにして終わりに向かうのだろう、美しいフレーズが終わりを予感させ、そしていよいよと思ったところですぱっと終わります。いや、終わったのではない。終わりがもぎ取られたかのようにして止まるのです。

そして沈黙。

美しい、本当に美しい曲です。

2006年3月3日金曜日

あおいちゃんとヤマトくん

   師走冬子の漫画では散々書いたような気がしていたのですが、まさかそれが『スーパーメイドちるみさん』でしか書いていなかったとは思いもよりませんでした。しかも『ちるみさん』で書いたといいながら、実質は『おサケの星座』について書いたようなもので、だからこれが私の初師走冬子関連文書ということになるのでしょうか。なんだか本当に意外な感じがします。

私にとって師走冬子とは『女クラのおきて』の作家でありまして、『まんがタイムラブリー』で『女クラ』がはじまったときには、まさかこれほどにまで人気の作家に成長されるとは思いませんでした。いや、好きなんですよ、『女クラ』。でもこんなにメジャーどころになって、ばんばかあっちからもこっちからも単行本が出るようになるだなんて思いもしなかったものですから、まるで自分のことのように喜んでいます。

師走冬子の代表作となると、やっぱり『ちるみさん』なんでしょうかね。けれど、どじっこメイドが大暴れ(?)という『ちるみさん』は一般人には少々ハードルが高く、『女クラ』にしても奇人変人オンパレード際物設定漫画だから、やっぱり一般層には受けない気がします。ですが『あおいちゃんとヤマトくん』は違います。本屋にてアルバイトする大学生の女の子、男の子が主人公で、ちょっとほのぼのとしたラブコメ風味? けどやっぱり師走冬子だから際物設定は健在で、けど他の漫画に比べれば充分許容範囲に収まるでしょう。

ラブコメ風味といいますのは、ラブコメというまでにラブコメ展開するわけでなく、けれどそれはそれで二人が互いを意識しあってるような節もあってという、そういうほのかな恋愛感情みたいのがふんわりと漂うのが私にはちょっと心地いいんです。ほら恋愛ものって、怒濤の展開みたいになっちゃったりするでしょう。あれね、私もまだ若くて元気だったらいいんだろうと思うんですけど、もう、そういうの疲れちゃったんです。なんというのかなあ、十年連れ添った夫婦みたいな感じでいいじゃないですか。好きだ、けれどすれ違い、そこへライバル登場! ってそんなの若いうちだけの話ですってばよ、と思う。こんな私に『あおいちゃんとヤマトくん』は妙に優しく響きます。本当に貴重な漫画と思うのです。

蛇足

香澄さんですな。いや、でも、ヤマトの妹で強烈なブラコンのかえでちゃんが気になるだなんて口が裂けてもいえない。口が裂けてもいえません。

香澄さんです。香澄さんが最高です。

2006年3月2日木曜日

でりつま

 『でりつま』ってタイトルはデイリー妻ってことだったのか。さすがにデリバリー妻とは思わなかったけれど(嘘、ちょっと思った)、デイリー妻とは思いませんでした。デリシャスなのかなって思ってましてね、いや、これも大概無理のある解釈であると思います。

『でりつま』は私にとって山名沢湖遭遇となった作品でありまして、これが購読している『まんがタウン・オリジナル』にあらわれたときは衝撃的でありました。異常に可愛い絵柄にシュールな内容。内容のシュールさは絵柄でカバーして、メルヘン? に持ち込んでいるけど、これ、結構シュールだよなあと思っていたら『白のふわふわ』などはその比ではなかった。いや、とにかく、結構衝撃だったのです。

以前からいっていますように、私ははまると既刊を全部買い集めるタイプです。ですが、その時点での既刊は『いちご実験室』一冊で、しかも絶版なんですか? どこにいっても売ってない。いわゆる出版社在庫なしの状態なのですが、これ、絶版とどう違うというのでしょうか。とにかく買えなくて、中古市場とか探すとおそろしい高値で(足下みやがって)、とにかくいろいろ手を尽くして入手がかないませんでした。

お願いですから、講談社さんは『いちご実験室』を増刷してください。いや、本気でお願いしますから。

『でりつま』がよかったと思うのは、現実味が程よくなくなるまでにふわふわに描かれた内容で、読むたびに、こんな夢みたいな感じで生きたいなあという気持ちがじんわりと涌いてくるんですね。決して非現実を追求するような漫画ではなくて、結構現実的な色合いも出しているんですが、メインヒロインのももえさんのズレっぷり、ふわふわ感が効いているのだと思います。ええ、効きます。とにかくいろいろとお疲れ気味の私にはいやになるほど効いて、もう中毒一歩手前というような感じでありましたものね。

でも、多分ヒロインがももえさんひとりだったらこんなにも効かなかったのではないかと思います。ヒロインは三人、ももえさん、すみこさん、たまよさんの、それぞれ性格や色合いを違えた三人が三様にあらわれてきたから、話にも膨らみが出て、私もその膨らみにそっと乗っかることができたのだろうと思うのです。

優しい空間だと思います。優しいというのは、ただひたすらに優しいというのとはちょっと違って、心地よくちょっと刺戟もあって、けどやっぱりくつろげるというような気持ちよさです。ひだまりっぽい。そういう気持ちよさがあふれているというのは、やっぱり作者の人となりであったりするのでしょうか。もしそうなら、私はこれからもきっと山名沢湖を追い続けるだろうと思います。

蛇足

すみこさんですね。すみこさん。ちょっと凛々しい感じのお姉さんって感じで、もうどうしたらええのんっ、て感じになります。

よいですわ。

  • 山名沢湖『でりつま』(アクションコミックス) 東京:双葉社,2006年。

2006年3月1日水曜日

特ダネ三面キャプターズ

 海藍の『特ダネ三面キャプターズ』が出版されて、私、これは非常に嬉しいです。この人の漫画が好きということもあり、またまとめて読める機会を得られたわけでもありまして、そうして読んでみれば、何度も本誌を繰り返して読んでいたはずなのに、あまりはっきりと覚えていないものもあって、初出一覧をみても『まんがタイムラブリー』にすべて掲載されていたはずだというのに、はっきりしない。もしかしたら、一時的に四コマ漫画につかれていた時期があったのかも知れません。買い漏らしなどはないはずですから、すべて手もとに残っているはずなのですから、そうとでも思わないと説明がつきません。

そうしてまとめて読んでみて、想像以上に面白くて改めて驚きました。いや、連載時に読んでいたんですよ。それで面白いと思っていたんですよ。しかもかなり面白いとまで。なのに、単行本になってまとめて読んでみれば、今まで感じていた以上に面白くて、これはいったいなにごとなんであろうかと思いました。

いや、そりゃ確かに連載で細切れに読むよりも、単行本でまとめて読んだほうが面白いものってありますよ。でもそういうのは大抵ストーリー漫画だったりして、そう『特ダネ三面キャプターズ』は四コマ漫画です。しかもストーリー展開などはしない。一回分をひとつのエピソードでまとめるタイプの四コマでありながら、それがひとつにまとまるとこんなに面白くなるんですね。ええ、口元から笑みの絶える暇がないほどに面白かったです。

この漫画は間違いなく刷を第二第三と重ねることでしょう。そして、もしかしたらそのうちに帯はなくなってしまうかも知れません。帯には、表にはずっと高二(幸)、裏にはずっと高二(辛)。この違いはいったいなんなんだ! という理由は帯をくまなくちゃんと読めばわかるはず。帯にまでネタがあって、しかもそのネタがかなりいかしていて、海藍さんのこりようには頭が下がります。だから、もしこの漫画にちょっとでも興味を持っている人がいたら、この帯のあるうちに買うべきなのではないかと考えます。マニアやおたくの類いで、とにかくチラシだろうが広告だろうが見たいというタイプの人は、この帯を確保すべき。でないといつか後悔する日が来ないともかぎりません。

細部にまで意識の張り巡らされていることのわかるネタの数々。これはもちろん本編四コマにおいても同様です。私は、この人のこういう丁寧に細部までを処理するところが好きなのだろうと思います。それで、ネタの向かう方向がきっと私の好きなところにゆくのですから、これで嫌いになれるはずがありません。

そんなわけで、出てくる女性陣が(一人をのぞいて)すべて辛辣な『特ダネ三面キャプターズ』。これはもう本当に最高であります。

蛇足

たからですね。冴木たから。最高じゃありませんか。特に、あの中学時分のボブ! ボブ! ボブ!

引用