2009年7月31日金曜日

「けいおん!」第1巻

 昨日は失礼いたしました。本当なら、一気に書ききるつもりだったのですが、力尽きてしまいまして、いやあ、これ、原因は寝不足だと思います。いやね、アニメ『けいおん!』BDが届いた夜にね、今夜はK-ON! Nightだぜー、みたいなことをいって、もちろん本編だけ見たら寝るつもり、残りは翌日に見るつもりでいたんですけど、本編、特典映像、キャストオーディオコメンタリー、スタッフオーディオコメンタリーと立て続けに見てしまいまして、見終わったの午前4時過ぎですよ。馬鹿じゃないのんか。ほぼ徹夜状態、でもその時はいいんですよ、テンション高いから。けど、翌日からがもうつらくって、日中ずっと眠くって、ほーげー、ってなってるんですね。あー、あかん。昨日も文章書いてる途中、なんどもほーげーってなって、もう駄目だー。続く! とやっちゃったわけです。

夜更かしすると、翌日からがきついってことはわかってたのに、なんでそんな無茶をしてしまったのでしょう。って、そりゃコメンタリーが面白かったからに決まってるじゃないですか。最初はね、Blu-ray Discの機能を確認したいなあ、みたいな気楽な感じで、キャストのコメンタリーをオン、字幕もオン。それで、ちゃんと機能することがわかったら、ストップしようと思ってたの! でもね、でもさ、見始めると止められないんです。私の悪い癖なんですが、一度これっていう楽しみに触れちゃうと、ロックオンされてしまって、途中でやめられなくなってしまうんです。というわけで、キャストコメンタリー、楽しかった!

こういうコメンタリーの面白いところは、こちら、見ている側からではわからない話、裏話といってもいいのかな? 制作の現場の様子だとか苦労だとか、そういうのが語られるところが面白い。けど、それ以上に面白いと思うのは、私とはまったく違った視点で見ている人たちのコメントでしょう。気付かなかったこととか、新しい発見とか、もう、どんどん出てくるの。そういうのがすごく嬉しい。あー、そういう意図だったんだ、はじめて気付くこともあれば、あー、私もそう思ってたのよー、同感、共感することもあってね、もう、すごくすごく嬉しくなってしまうんです。

キャストコメンタリーは、「らじおん!」のおかげで、どの声が誰かわかるようになっていて、だから聴きやすかったです。紬役の寿さんと律役の佐藤さんの声が、演じてる時と素の時で結構違うんですよね。寿さんはちょっと声の質が他の三人と違うからいいんですけど、佐藤さんの地声っていったらいいの? やたらかわいくってですね、最初豊崎さんと区別つかなくて、今、誰がしゃべったはるん? みたいになってたのが、今ではちゃんとわかるようになって、人間、やればできるようになるんだなあ、って思った。なんか、すごい低い達成感で涙が出ます。

キャストのコメンタリーは、収録の際の話、例えば唯が和ちゃんにニートといわれたシーン、その次のカットかな? で口をとんがらかせてぴよぴよやってるところで、ぶつぶついってましたみたいな話とかね、へー、そういうのってアドリブなんだ、結構自由といっちゃあなんですが、出演者の裁量ってのが大きいんだなって思って、脚本が骨子だとしたら、そこに膨らみをあたえる、それがキャストなのだなあとあらためて思ったりしたですよ。脚本家が作曲家なら、監督や演出が指揮者、けど細かなニュアンス含めての音、メロディを作っていくのは個々の演奏家、つまりはキャストであるんでしょうね。だから、脚本にないけど、こんな風にやってみましたという話であったり、あるいはここの台詞はこんな感じでやりましたみたいなのとかね、それから自分は演じてないシーンでも、ここでこう思った、そういうなにげない感想のやりとりされるのが、もう本当に聴いていて楽しかった。

でさ、面白いのが、話が進むにしたがって、口数が少なくなって、なんか笑ってるだけみたいになって、最初どうしたのかと思って、それこそしゃべることなくなった? そんなこと思ったりしてたのだけど、いやいや、違うから、見入っちゃってるんですね。それに気付いたのは、スタッフコメンタリーで同じ状態が発生したからで、その時に、見入っちゃってますね、みたいな、もっとしゃべらないと、ほらほら、みたいな、そんな発言があって、ああーっ、あの状態はそれだったんだ! でも、そうして自分の作り出したものに入りこんでしまう、作り手もまた鑑賞者になってしまうという、それがなんだかいいなと思ったんです。

キャストコメンタリーの、OPの自転車のシーンの掛け声、あれは毎回のお決まりになるのかな。なったら面白いな。唐突にいいたいこと突っ込んで、次!

スタッフコメンタリー。これが、最高だ。山田尚子さん、監督の人、堀口悠紀子さん、キャラデザと作監の人、そして伊東優一さん、原画の人、これもまた面白かった。普段その発言を見る、聴く、読む、知ることの少ない人たちでしょう? それがこうしてお話聴けて、すごく面白かった。OPの唯のギター弾くシーンは、伊藤さんが立候補したみたいな話とかね、自分もギターを弾くから、みたいな話ね、それで、律のドラム叩くシーンはドラム経験者が作画してるとか、そういうの、聴くだけで嬉しい。そうかあ、あの唯ののりのりのストローク、あれはギター弾きが描いたものであったのかー。そういう、意気込みみたいのがね、嬉しい。こうした話は他にもいろいろあって、原画に描いてない部分を動画の人が追加したみたいな話でしたっけ? あの、唯が、軽音部に入りました! って和ちゃんに報告するシーン、なにするのって聞かれて、さあって答えるところ。口の中にパンが入ったまましゃべってる、あれは原画にはなかったとかでしたっけ。他にも、ほっといたらどんどん描いちゃうから、とめました、みたいな話が何度も出てきて、うわあ、すごいなあ。今のアニメって、秒間に何枚描くのか知らないけど、繰り返しですまさない、そんな動画をそれこそのりのりで描いてるっていうのですね。うわあ、そりゃいいのできるよなって思った。

唯と和ちゃんの昼食のシーン、軽音部に入りましたのところの飲み物は苺ミルク、五千円くらいで買えるよねー、ではコーヒー牛乳。律っちゃんの、入部希望者を待つのシーン、戦国武将っていうようなところ。他にもいくつかあったんだけど、キャストコメンタリーでもスタッフコメンタリーでも話題になるところがいくつかありまして、ああー、唯がプリント拾おうとして机に頭をぶつけるシーンとか、それからオカルト部の先輩がすーっと現れるところとかもだ。ああいう、思わず気になってしまうようなところ、キャストもスタッフもちゃんと意識してるんだなって。それは、見どころとしてそれらがよく機能しているというべきなのでしょうか。実際、上にあげたシーンもそうだし、他の話題になったところ、紬のポテトをトレイにざーっとあけるシーンとかね、やっぱりみんな気にしてたものなあ。細かいといえば、細かいシーンなんだけれど、そうしたちょっとした見どころが見ているものに伝わっている。それは、やっぱり作り手の意図がよく反映されてる、そのうまさってことなのかなって思いました。

まだまだ、続きます。

原作では、特に意識してなかった紬の可愛さ。アニメでは第1回からもう直撃って感じでめろめろきゅんだったわけですが、これ、作り手が紬大好きだったからなのか、って思ったり。いや、だってさ、紬に対する言及がすごい。私は自慢じゃないが、山田さんと堀口さんの声の聞き分けができないのだけれども(ちょっと低めの声が山田さん?)、紬が好きだみたいな話、本当に多くて、それで、眉の太さは情の深さなんだー、みたいな話や、それで第2話は線3本くらいで表現されていた唯たちの眉、その意図みたいなのね、言語化されて伝えられることで、ほー、そうなのかー、はじめてわかることもある。第2話の絵は好きなんです。あの、眉を逆八の字にしてる唯とか、すごく可愛いじゃん。あの、眉の表現は確かに見ていると意識が自然に向かってしまうのだけれども、そこから感じていることっていうのは簡単には言葉として意識されない。それが、こういう意図でああなっていると言葉にされれば、そうか、じゃあ自分はどう思ってたのだろう、ぐーっと意識の言語的なところに引き寄せられてくるわけです。ああ、コメンタリーには知らないことへの気付きと、思っていたがわかってなかったことの明確化、そうした機会がたんとあって、もう本当に面白い。これはもう何度でも見たい、聴きたいと思ってしまいます。

まだ、終わりません。

山田さん、堀口さんが最高だ! あのしゃべり口。ちょっと低めの声で、ちょっとスローに話される。あの声が好き。あの言葉のイントネーション、まさに京都イントネーション、それが好き。関西の人が標準の言葉を意識して話すとあんな感じになるんです。だから、このBlogの記事もあんな感じのイントネーションで書かれています、ってのはどうでもいいとして、山田さんも堀口さんもほんのりとやわらかな言葉を使われて素敵。で、たまに京都の言葉になるの。しゃべらはる、とかですね。大阪では、しゃべりはる、になるのかな? もう、断然京都。それで、じゃなくて、ほんで。もう、もだえそうなくらいにいい。唯がバス停でね、毎日練習するねー、っていうシーンで、ゆったな、絶対やれよ、みたいなつっこみが入るんだけど、もう、もう、最高だと思った。なんべんも巻き戻して聴いたもん。

そもそも、私がこのアニメがいいと思ったの、楽しみに読んでる『まんがタイムきらら』の『けいおん!』だったっていうのがあります。音楽ものだったっていうこともあります。そして、舞台の背景が京都から借景されているっていうの。うわー、京都だー。それだけで興奮してしまったりして、なんで今さら、こんなに京都ってだけで嬉しくなるんだろう。自分でも疑問なんですが、そんな私にはスタッフの京都イントネーションは素敵すぎて、でもさ、作者萌えとかスタッフ萌えとかって、いきすぎたファン心理だとも思うのよ。なんか、ブレーキかけなくっちゃだわ、みたいな感じになってて、けれどそこに美しい花がある時にそれを美しいと表明することのなにが悪い、空の星の見事さに嘆息する、それのどこがおかしい、みたいにも思うのね、っていったいなにがいいたいかわからなくなってきたので、今日はここらで終わりにしましょう。

けど、最後にもうひとつ。アニメ『けいおん!』の女の子の、足がちょっと短かったり、ちょっと太めだったり、山田さんの好みでしたっけ、そういうのがいいんだ、発展途上なところがいいっていう意見面白くって、それから髪の表現。あの、フードに髪を入れたりするっていう、短い髪の肩にのっかって、それがふんわりと盛り上がるふわふわ感、そういうポイント、ああ、なるほどって思ったの。アニメ『けいおん!』は、全話がそうだとはいわないけれど、髪の表現が魅力的な回っていうのが確かにあって、ほら、あの11話とか、律の寝ているベッドにもたれかかった澪の髪の、しっとりと重くって、芯のあるって感じさせる表現とかね、いや、あの回の髪の表現は素晴しかったよ。私はそうしたところに気付くまでに、それだけかかったわけだけれど、そうした魅力はすでに第1話の時点で盛り込まれていたんですね! って、いや、もう、そうした細かな表現のなされているっていうところ、直接的に意識されることは少なくっても、少なからず見る人の感情には働きかけてたりするんだろうなって思って、いや、もう、ほんと、コメンタリー大好きです!

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原作

  • かきふらい『けいおん!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • かきふらい『けいおん!』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2009年。
  • 以下続刊

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