2008年6月29日日曜日

はなマルッ!

— 可哀相に。

— なんて
なんて悲しいお話なんだ。

不幸系ヒロインが好きだといってはばからない私の心の奥底には、自分を必要とするより不幸な誰かを見付けることで、あまりにも低い自己肯定感から目をそらさせようとする、そんな浅ましさが隠されているのです。だから、そんな私には、『はなマルッ!』というゲームはうってつけで、なにが素晴らしいといってもメインヒロイン三人が三人ともなんらかの不幸的要因を抱えているという設定ですよ。それこそ私のような不幸を餌にしてたかるような人間にはご馳走とでもいうべきでありましょうか、それぞれに問題を抱えたヒロイン、この人を救えるのはあなただけなんですよ、そんなシチュエーション提示されれば、もう身を乗り出さんばかりにして取り組まないではおられない。といったわけで、『はなマルッ!』、やっとこさ全CGオープンいたしました。

ネタバレ気味にいきますね。

前回報告は、椿とスミレのシナリオを終えてのものでありました。性同一性障害を取り扱ったスミレシナリオ、母の死を引き金とする父の発狂をその一身に受けることとなった椿のシナリオ。自分の真実を知られればきっと嫌われてしまうからと、愛し愛されることに対し怖れを抱いているスミレ、狂った父が亡き母と自分を重ね合わせてしまったことからはじまる不幸を、その身に受け続けることとなってしまった椿。両者ともに結構ハードな、それこそ鬱シナリオと呼ばれてもおかしくないような、暗く重い要素を持った話であったのですが、正ヒロインであるヒマワリともなるとその重さはより以上のものとなって、読みごたえたるやかなりのものでありました。正直、スミレ以外のシナリオには期待をしていなかったのですが、それがヒマワリには心底やられてしまい、いや、しかしあのシナリオはよかったと思います。

なにがよかったか。それは結局は、主人公の奮起する、その様であったんではないかと思うのですね。イギリスで出会った幼なじみ、従妹のヒマワリが押し掛けてきた、そんな楽観的な、それこそよくありそうなシチュエーションからスタートしたシナリオでした。かわいくて明るい女の子との嬉し恥ずかし同居譚。それこそなんの憂いもない、そんな雰囲気を持って進行していたシナリオが、個別ルートに入るや否や転倒するという、その落差が強烈でした。死に至る病。彼女のそれまでの振舞いに理由がついて、納得いかなかった部分、ご都合主義に思われたところに理由がついて、ええーっ、ちょっと待ってよ。いきなり直面させられるシリアス展開に戸惑うのは、主人公もプレイヤーも一緒。しかし、そのシリアス展開において、主人公は奮起する。一抹の後悔を胸に抱きながらも、しかしそれ以上の後悔はしたくない。できるかどうかわからない、救えるかどうかわからないけれど、それでも救う努力をあきらめたくないという主人公の前向きさが胸を打ったんだと思うのですね。

遺伝性なのか、移植を必要とする病を設定しての展開でした。ドナーの適合率は極めて低い。そんな中、少しでも多くのドナーをつのろうとする主人公とその関係者たち。ただ主人公だけが動くのではなくて、残るふたりヒロインや友人教員までも動かされるという、その動きが素晴らしかった。さすがに正ヒロインとでもいうべきでしょうか。この時にいたって、すべての設定、すべての要素が、ヒマワリのために用意されたものであったとわかるのですね。ヒマワリが倒れた! そこで語られる真実、引き起こされた混乱、失望、落胆から抜け出して毅然と顔を上げる主人公、それが薄っぺらにならないのは、彼がそうせねばならないという内面のもろもろが少しずつ語られていたからに他ならず、そして他の登場人物たち、彼彼女らの動く理由もほのかに見えるのもよかった。さらに、ふたりのヒロイン、彼女らが動くことによって変わる、それがわかるというのも大きくて、私は椿→スミレ→ヒマワリという順に追ってきましたが、その順番はきっと正しかった。私は彼女らの抱える問題をすでに知っていて、そしてそれがヒマワリルートでもフォローされている、そのことが嬉しかったし、なにより物語の内実を豊かにしたと思うのですね。

スミレシナリオでは性同一性障害、ヒマワリシナリオでは難病とドナーの問題を扱って、けれどその取り扱いはとても丁寧なものでありました。物語の感動を演出するために適当にピックアップしました、そんなあざとさはまったくといっていいほどに感じられず、もちろん演出の要請とでもいいましょうか、不自然な部分、納得いかない部分、気にくわない部分もないわけではなかったのですが、それを帳消しにしてもいいと思えるくらいに力の入ったシナリオ、好感を持てるものであったと思います。印象はそれこそ真面目だなあといったもので、しかしその真面目さゆえに、スミレの正体を隠し通して、結果それがゲームへの苛烈な批判を招くことになったのだとすれば、それは本当に不幸なことであったと思わないではおられません。このへんは、好みの女の子を攻略したいという欲求に応えなければならないという、この手のゲームの宿命と、その上でより内容の充実したシナリオを提供したい、プレイヤーの心になにかを残したいといった制作側の欲求が不幸にしてすれ違った、そんな事例なんではないかと思われてなりません。

さて、妙に作り込まれたキャラクター、スミレのぶりっ娘と桃ちゃん先生のもろもろには耐えにくかったといっていましたが、何度かシナリオをループさせればなんということもなくなれて、それどころかヒマワリシナリオにおけるシリアス桃野先生のしゃべりには、なにしろ普段があれですから、がつんとくる強烈な真実味がのってきて、よかったですよ。これが制作側の思惑であるなら、よくやった、素晴らしかったよといいたいです。ヒマワリにせよ、桃ちゃん先生にせよ、スミレにせよ、椿先輩にせよ、その声をあてられている方たちの力、やっぱり馬鹿にできないなあと思いましたもの。蝶子に関しては最後まで微妙な違和感拭えませんでしたけど、けどそれでも悪いとはいいません。それは結局は、すべてをひっくるめて、いい話だった、お涙頂戴というわけでなく、確かにそれを読んで、通り抜けた私の中になにか残るものがあった、その感触があるためでしょう。その感触がために、忘れ難いゲームとなった、そのように思います。

ところで、このゲームって、攻略可能キャラは全員三つ編みなんですね。さらにいえば主人公まで三つ編み。素敵すぎ。というか、三つ編みに対するフェティシズムがあちこちに感じられて、つまりは三つ編みマニアによる三つ編みマニアのためのゲームだったんでしょうか。攻略対象キャラは三つ編みというルールは実に徹底されていまして、なんと主人公も攻略されてしまうという、そこが実に素晴らしかった。人によっては受け入れがたいものであったそうですが、私はリバオッケーなので、というかどうも私は受け側に感情移入するタイプみたいだから、よかったですよ。二重丸どころか花丸あげたいくらい。

そういえば、メインシナリオはどれも劣らず暗く重いけれど、サブシナリオやifシナリオは、その反動とでもいったらいいのか、あほみたいに明るい、ばかばかしいのが特徴的でした。そして、そのばかばかしさの影に意地の悪い本性みたいなのが感じられた桃ちゃんルート。あのエンドはバッドだったんでしょうね。ああ、このゲームは外に出さないとバッドに向かうんです。最初意味がわからなかったんですが、どうもこのゲームでの常識は外出しは思いやりであるらしく、つまり思いやりを欠いた行動を繰り返すとバッドに向かう。で、バッドエンドだとヒロインが死んだり(がばほー!)、主人公が死んだり(おがーん!)するんですね。もう、たまらん。ヒマワリ攻略時、何度彼女を殺したかわかりません。あまりなつらさに、攻略情報を探そうかと思ったくらいにショックで、けどそれだけにグッドに向かうルートをつかんだ時にはほっとしたものだったなあ。

さて、桃ちゃんルートに関してはちょっと感触が違いました。どこまでも純と思われた桃ちゃん先生は、その攻略時に思いやりを欠いてしまうことによって、本性をちらりと垣間見せてくれます。おおー、やってくれるじゃん! 正直、かなりのショックであったのですが、同時にその意外性、いや真実味といってもいい? 作り手に対するポイントがアップしたことを言い添えておきます。プレイヤーを喜ばせるくすぐりをあちこちに仕込みつつ、はっとさせるような要素もぴりりと混ぜてある。そんなところがうまかったなと思います。

引用

  • 篠房六郎『ナツノクモ』第8巻 (東京:小学館,2008年),78頁。

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