2006年4月26日水曜日

木綿のハンカチーフ / わかれうた

  デアゴスティーニの隔週誌『青春のうた第7号に中島みゆきの『わかれうた』が収録されていて、これだこれだよ、私の求めている歌はこういうものなんだ、と思ったか思わなかったか。ともあれこの本のいいところは歌詞にコードのふってあるところで、なので私は鋭意『わかれうた』練習中。でも、『わかれうた』ばかりもなんだから一緒に収録の『木綿のハンカチーフ』歌ってみたらば、これがまあ、なんて都合のいい歌詞かしらとあきれてしまったのでした。国許に残した女性の心をまるっきり斟酌しない勝手な男の言い分に、あれやこれやと毒にも薬にもならんこというだけで、振られた最後にいたっては涙を拭くためのハンカチをくださいってなんだその物分かりのよさは! だなんて憤慨して、結局この歌というのは男の視点において語られる恋愛模様なのかもなあ、と思ったのでした。

でもって『わかれうた』に戻ってみて、ふと思いついたんです。『木綿のハンカチーフ』において物分かりのいい女を演じているその娘の別の側面が『わかれうた』であったらどうだろう。捨てられることに納得いかない女の醜態、都合のいい女を演じてみたり、あるいは泣きすがってみたり、恋愛の終わろうというときがきれいごとばかりですむわけなんてないんです。今まで自分が優位に立っていると思っていたならなおさら。自分がこの人を振り回していると思っていたときからひとたび状況が違ってしまえば、これまで見せたこともないようなそぶり口調で、去ろうという人の心をつなぎ止めようと必死になるのが恋愛なのです。ましてやつなぎ止めることもかなわず、一方的に去られようというときに、涙を拭くハンカチ一枚贈ってくださいというのなら、その一見物分かりのよすぎる態度の裏にいかほどの情念渦巻かせておることでしょうか。

とこんな風に思いながら『木綿のハンカチーフ』、『わかれうた』を一続きに歌ってみると、まったくといっていいほど違う歌に聴こえてくるから歌というのは面白いのです。

だから私は、ちょっとこの二曲をセットで練習してみようと思います。『木綿のハンカチーフ』を歌うときには『わかれうた』じみた情念を明るさけなげの裏に隠して、『わかれうた』歌うときには、かつてあったろう美しい季節、関係をほのめかしてみて。

けれど本当のところをいうと、『わかれうた』歌うときには、あの時はすまないことをしてしまったなどと昔を思い出し思い出し、つまり私はこの歌に責められる立場の人間です。

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