2006年4月16日日曜日

さとうきび畑

 今日はなぜか歌を歌いたい気分だったのか、手持ちの楽譜を次々、それこそ棚卸しするみたいにしてひとつひとつ歌っていって、そうしたら『さとうきび畑』の楽譜があるのを発見、歌ってみてそしてこの歌のあまりに歌いづらいことに気付いたのでした。技術的に困難というんじゃないのです。楽譜の一番あたまに記された発想の表示は、淡々と、感情をおさえて。ええ、これは本当に必要なことであると思います。表現の上でもそうであれば、それ以前の歌う姿勢として私には大切な心構えで、というのも、だって、私は油断をするとうっとつまってしまって、感極まってしまうのですね。つとめて感情を抑えていないと、歌うどころではなくなってしまうんです。

『さとうきび畑』は今更説明するまでもないほどに有名な歌で、シンプルなメロディ、やさしい言葉で淡々と紡がれる歌詞。印象的なざわわざわわの繰り返しは目の前にあたかも青々と息づくさとうきび畑が広がるようで、そして夏の強く明るい太陽のもと、一連のエピソードが語られていく。その様は、まるで時間がとまったかと感じるほどに鮮烈な印象に彩られていて、絵画的状況のなか、私たちはその印象を自分の中に刻んでいくかのようです。

私がこの歌にこれほど強く心を揺さぶられる理由は、私自身わかりません。沖縄戦どころか、あの戦争についてさえなにも知っていない私が、この歌に感情をつのらせる。いったい私はこの歌のなにに共鳴しているというのでしょう。おそらく、この歌の中心に、核のようにしてある実感の強さに共鳴しているのであろうと思います。声高に叫ぶようなそぶりも見せず、ただ思いのまま、静かに言葉にすべてを移して、しかしその穏やかな凪のような言葉、メロディに、さとうきび畑を揺らす風が吹いているのです。その風が私のいる今のこの時にも届くようで、そして沖縄の強い光が照りつけてくるようで、ここで私は油断をしてはならない。

心を強く保っていないと、きっと歌うどころではなくなってしまうからです。

参考

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