2006年2月21日火曜日

終末の過ごし方

  次の週末に人類は滅亡だ。『終末の過ごし方』はいきなりそんな極限状態からスタートして、公約通りといいますか、その一週間が過ぎれば世界は終末を迎えておしまい。そんな状況だというの主人公たちは日常を淡々と平時同様に送っていて、いざ世界が滅びます、逃げられませんよ、なんてことになれば実際でもこんな感じなのかなと思ったりもする。そういう妙な感覚が妙に心地よく感じられるゲームで、結構この雰囲気が好きだという人は多いみたいなのですね。もちろん私も嫌いじゃない。絵のはかなげで優しい雰囲気、音楽の繊細さも加わって、悲劇的なはずが悲劇とは感じられず、そうですね、穏やかなのです。残された時間をどう過ごしたらいいんだろうかとぎりぎりまで迷いながら、でもあくせくもせず淡々と。私の人生の最期はこんなだったらいいなと思ったりしたのは秘密です。

一週間というのは長いようで短く、短いようで長く、そんな微妙な時間の感覚というのは、実は人生に似ているように思います。人生は、なにもせずただ過ごすにはあまりに長すぎ、けれどなにかひとつでも目標を持てばあまりに短い。その長く短い生をどのように過ごすかは、その人生を送る本人次第。価値あるものに変えられるか、それとも空しさにため息つくか。本当に、本人次第であると思います。

もしもですよ、後一週間ですと刻限が切られたとしたら、私はいったいどうするんだろうかなんて考えましたらね、きっと、多分、私は今までと同じ暮らしを変えないだろうと思います。ギターを弾いて、仕事にもいくでしょう。そして、できれば残された時間一杯を使って、今まで知りあって、好きになった人たちに会いたい。あって、最後の挨拶をしたいではありませんか。思いがけず世界が終わっちゃうことになりましたよ。いつかくるとは思ってましたが、こんなに早くくるとは思いませんでした。振り返れば短いなりにいろいろあった人生で、そんななかで、あなたにお会いできたのはすごくありがたいことでした。得難いことを得ることができました。あなたと話したこと、あなたと一緒に見たもの、感じたなにか、それらは世界が終わっちゃうのと一緒に消えてなくなってしまうのかも知れませんが、私はそれでも忘れないと思います。

そういう挨拶をしたい。出会えたことへの感謝と、喜びを言葉にして伝えたい。そして最後に、あなたと、あなたのいらっしゃったこの世界が大好きでした。そういってお互い微笑んで別れることさえできれば、— 私は、私が生きて死ぬということを悔いることも嘆くこともなしに受け入れることができるように思います。

なんや、えらい陰気になってしまいました。私はまだまだ生きるつもりだから、あと五百年は生きるつもりだから、この人あやういんじゃないかなんて、どうぞお思いにならないでくださいましよ。それでできましたらば、ああ、この人はシニカルなふりして見せてるけれど世界や人間が好きなんだと感じてくださったりしたら、どんなにか嬉しいことかと思います。

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